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生涯一度の大舞台

 3歳馬の頂点を決める東京優駿(日本ダービー)が行われる日、東京競馬場には大勢のファンが訪れ、異様なまでの盛り上がりを見せていた。

 厩舎の陣営はアキ以外の誰もがダービー初体験なだけに、みんな逃げ出したくなる程の緊張に襲われていた。

「ヨシ、本当に大丈夫?顔色あまり良くないようだけれど。」

「まあ、何とか大丈夫です。姉さんのおかげで元気になってきました。」

 善郎は気持ち悪くなりそうな状況の中、アキのおかげでどうにか耐えているような状態だった。

 ちなみにアキは過去に所属していた厩舎で日本ダービーや有馬記念を経験していることもあって、多少は冷静だった。

 そのため、彼女は道脇君や紅君にも

「ホラホラみんな、笑顔笑顔。このレースは冷静でいられた者勝ちですよ。」

 と言いながらなだめていた。

 一方、蓉子達、野々森牧場の陣営は誰もが日本ダービーを初めて経験するだけに、緊張感をほぐせる人がいない状況だった。


 第9レースのむらさき賞に出走する馬達が競馬場に向かっていってしばらくすると、ライスフィールドは善郎と道脇君と一緒にパドックに姿を現した。

 電光掲示板に表示された人気によると、1番人気は2枠3番の皐月賞馬トランクゼウスだった。

 以下、5枠10番の朝日杯優勝馬ライスフィールド、3枠6番のNHKマイル優勝馬フシチョウ、8枠16番のトゥーオブアスと続いていた。

 皐月賞、NHKマイルで共に3着に入った6枠12番のグレイトエスケープは5番人気、皐月賞2着のソングオブリベラは5枠9番で7番人気、同レース4着のシドニーメルボルンは7枠15番で8番人気、一時は出走すら危ぶまれたトランクミラクルは1枠2番で12番人気だった。

(※シリコンヒルは発熱の影響で、締め切り前に回避を表明していた。)

 18頭の馬達の関係者達は誰もが胃が痛くなる程の緊張感に襲われており、それは大勢のファンの人達、さらには当の馬達も同じだった。

(頼むから早く終わってくれないかなあ…。まだレース前なのに疲れてきた。フシチョウ達もこんな気持ちなのかな…?)

 ライスフィールドはパドックを回りながら、そのようなことを考えていた。

(頼むから早く終わってくれないかなあ…。ライスフィールドやトランクゼウスもこんな気持ちなのかな…?)

 一方のフシチョウも似たようなことを考えていた。


 やがて第9レースも終わり、日本ダービーに出走する18頭の馬達はパドックを終えてスタンドに姿を現し、やがてウォーミングアップも終えると正面スタンド前に集結した。

 ライスフィールドはそれまで見たこともないような大勢の人達を目の当たりにして、驚きを隠せずにいた。

 そうしているうちにスタンドからは「ワーーーッ!」という声が響き渡り、さらにはGⅠファンファーレなどの大音響がこだました。

(な、何だ?こんな近くでこんな音が??)

 ライスフィールドはこれまで出走したレースはいずれも向こう正面からのスタートで、正面スタンド前で歓声を聞くことはこれが初めてだった。

 そのため、ただでさえものすごい歓声が、彼にとってはより一層ものすごいものに感じられた。

(トランクゼウス、フシチョウ、グレイトエスケープ達はすでに皐月賞の時に正面スタンドからのスタートを経験しているため、ライスフィールドに比べて冷静だった。)

 盛り上がりが最高潮に達しようとしている中、トランクゼウスをはじめとする奇数番の馬達は次々とゲートの中に入っていき、偶数番の馬達も続々とゲートに吸い込まれていった。

 そして18番の馬がゲートに納まると、いよいよ東京優駿、日本ダービーがスタートした。


『スタートしました。ライスフィールド好スタート。その他の馬達もまずまずのスタートです。』

『大歓声の中、まず先頭に立ったのはライスフィールド。フシチョウも先頭をうかがっています。』

『トランクゼウスは先行策か。グレイトエスケープは後方に控えます。』

 アナウンサーが解説をする中、各馬は大歓声を聞きながら1コーナーへと入っていった。

「ライスフィールドはフシチョウと一緒に逃げみたいな形になりましたね。あれは坂江騎手の作戦でしょうか?」

「多分。彼は一旦控えようとしたみたいだが、好スタートでいきなり先頭になったから少しダッシュをかけて、コーナーまでの間に内に入れようとしたようだ。」

「じゃあ、距離のロスは少なくなりそうですね。」

「確かに。あとはペースがどうなるかだ。速過ぎなければいいが…。」

 蓉子と善郎の2人は横に並びながら、ライスフィールドの姿を追いかけた。

「ライスフィールド、絶対に先頭でゴールしなさい!いいわね!」

「葉月、だからってシャツをグイグイ引っ張るなよ。痛てえだろ。」

 とても平常心ではいられない葉月は、太郎にやつ当たりをするようにしてレースを見ていた。

 道脇君、紅君は金縛りにでもあったように、何も言わずにじっとしていた。

 結局、陣営の中で冷静と言えるのはアキとライスフィールドの鞍上の坂江騎手だけだった。

『各馬、向こう正面に差し掛かりました。先頭はフシチョウ。単騎の逃げになりました。』

『ライスフィールドは3番手を走っています。そのすぐ後ろにトランクゼウスがぴったりとマーク。』

『トゥーオブアスとシドニーメルボルンは中段辺りにいる。その横にはトランクミラクル。』

『後ろから2頭目にソングオブリベラ、最後方からグレイトエスケープ。』

『先頭からしんがりまで12、3馬身。ペースはそれ程速くはありません。』

『快晴の青空の下、選ばれし18頭の馬達があざやかな緑のじゅうたんの上を走っています。果たしてこの中からどの馬が栄冠をつかみ取るのでしょうか?』

 解説の声が響き渡る中、各馬は先頭に向こう正面を走り抜けていき、いよいよ先頭のフシチョウが残り1000mの標識を通過した。

 それから一瞬遅れてライスフィールドやトランクゼウスもその標識を通過した。

 トゥーオブアス、シドニーメルボルン、トランクミラクルが標識にかかる頃にはフシチョウ鞍上のベニー騎手の手が動き始め、いよいよレースはクライマックスに向けて動き出した。

 同時にトランクゼウス鞍上の逗子騎手はペースを上げていき、ライスフィールドに並びかけてきた。

(敵はこの馬1頭。相生先生や割出調教助手は雪辱を果たすためにどれ程必死に調教をしてきたか。彼らの願いを叶えるためにも、この馬は絶対に倒す!絶対に!)

 逗子騎手は鬼のような形相でライスフィールドと坂江騎手をにらみつけた。

 一方の坂江騎手や村重厩舎の陣営にも負けられない理由があった。

 それは関東勢の馬が去年の有馬記念の後、再び関西勢の勢いに押され、障害を含めてGⅠを勝っていないことだった。

(※ちなみに今年の中山グランドジャンプは外国馬が優勝し、関東馬が2着、関西馬が3着だった。そのため、関東馬は勝ってはいないものの、関西勢に先着はしていた。)

 坂江騎手自身は今年の天皇賞(春)で勝利を挙げているものの、乗った馬は関西馬のファントムブレインだった。

 彼は口にこそ出さないものの、関東勢の人達の気持ちはしっかりと理解しており、ライスフィールドでダービーを制したいという気持ちを強く持っていた。

 トランクゼウスとライスフィールド。ゴールラインを通過した時、どちらの執念が上回っているのだろうか?

 そして何より、18頭の中でどの馬が真っ先にゴール板を通過し、ダービー馬という栄光をつかみ取るのか?


(決着は次回にて)


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