ライスフィールドがくれた希望
大晦日が過ぎ、年が明け、ライスフィールドは3歳になった。
同馬が朝日杯を勝ったことによって関東勢に与えた反響は、年が明けても続いていた。
以前は悲観的な雰囲気が漂っていた厩舎の雰囲気は、あのレースを境に明らかに変わった。
さらにはそのレース以降、関東の厩舎に入厩の申し込みが増えるようになった。
その傾向はスターマインが有馬記念を勝ってからより顕著になり、人々の表情が以前と比べてかなり明るくなった。
また、そのスターマインに騎乗していたベニー・ベラクア英語表記:Benny Belacqua)騎手は、年が明けてからインタビューで次のように語っていた。
「The victory of Rice Field encouraged me.」
「I've got to think “If it can do, I can do it.” since the Asahihai Futurity Stakes.」
「I couldn't have won the race without it.」
(ライスフィールドの勝利が私に勇気をくれました。)
(朝日杯フューチュリティーステークス以降、「あの馬にできるのであれば、自分にもできる。」と思えるようになりました。)
(あれがなかったら、あのレース(有馬記念)を勝つことはできなかったでしょう。)
彼は他にも「Rice Field could be a memorial horse in the future.(ライスフィールドは将来記憶に残る馬になれそうです。)」と、同馬を称えるコメントをいくつも残していた。
その後、競馬界では昨年の年度代表馬や各部門での最優秀馬が発表された。
ほとんどの部門で関西馬が選ばれる中、最優秀2歳牡馬にはライスフィールドが、最優秀障害馬にはヴィクトリーワンが選出された。
当日。式に出席する善郎は緊張のあまり寝付けず、少し眠そうな表情で出席することになった。
やがて各調教師のインタビューの時間になり、報道関係の人達は一斉に善郎にマイクを向けた。
彼は逃げ出したい程の緊張感に襲われながらも、腹をくくってインタビューに臨んだ。
「村重先生、受賞おめでとうございます。」
「…ありがとうございます…。」
「それにしても、村重先生は開業1年目で最優秀2歳牡馬を輩出するという快挙を達成したわけですが、その理由は何だと思いますか?」
インタビューアーは何か秘訣を聞けるんじゃないかという期待をしながら問いかけた。
「理由は…、自分でも分からないです…。とにかく僕は…、えっと…、預けてもらった馬を大事に管理し、どのレースでも勝たせるつもりで色々と頑張りました。その結果が…、こういう快挙につながったと…あの…、思います。」
「トレセンの関係者からは『あの勝利に勇気づけられました。』という声が上がっていますが、先生はそれをどう思っていますか?」
「その声は、すでに、多くの人達からいただきました。正直、照れくさかったです…。」
「今年のクラシックはまさしくライスフィールドが主役になると思いますが、春はどのレースからスタートするつもりですか?」
「それはあの…、ここで打ち明ける必要はないと思います。馬は今、あの、休養中ですし、厩舎に戻ってミチやシン、そして牧場の人達と相談をしてから考えることにします…。」
「今年中に海外を目指す予定はありますか?」
「今はちょっと…、そこまで考えられないです。」
「『今は』ってことは、選択肢としてはあるわけですね?」
「正直、先のことは、分かりません。僕はその…、厳しい勝負の世界にいるわけですし、今回が最後の重賞になる可能性だってあるわけですから…、そうならないように、頑張ります。そしてライスフィールドが、関東の星で、あり続けられるように、頑張ります。」
善郎は言葉が途切れ途切れになりながらも、どうにか最後まで答えることができた。」
「村重善郎調教師、お忙しい中、どうもありがとうございました。」
インタビューアーは会話を締めくくると、一斉に最優秀2歳牝馬に選出されたソルジャーズレストの調教師のところに向かっていった。
それにつられるように、カメラマンの人達もそちらの方に向かっていった。
プレッシャーから解放され、やっと一人になることができた善郎は、大きく息をして安堵の表情を浮かべた。
(とにかく最大の山場は乗り越えた。あとは表彰式の雰囲気をしっかりと満喫しよう。そして、厩舎に戻ったら気持ちを切り替えて、馬達の面倒をしっかりと見ることにしよう。)
彼はそう思いながら、式での残りの時間をかみしめるようにして過ごした。
その頃、村重厩舎ではライスフィールドを輩出したということで、馬主さん達から預託の依頼がいくつも寄せられ、道脇君や鴨宮君をはじめとするスタッフが対応に追われていた。
「ミチさん、どうしましょう?依頼が来るのはうれしいですが、ここまで来てしまうと困りますね。」
「そうだな、シン。全部を受け入れることは不可能だし、誰かには丁重に断らなければならないな。」
「断るにしてもどう断ればいいんでしょう?下手なことを言おうものなら批判されるだけですし。」
「僕もそれはよく分からん。でも、とにかく言葉は丁寧に選ばなければならないな。」
鴨宮君と道脇君はうれしい悲鳴をあげるような感じで、どうしようか意見を重ねていた。
その後、村重厩舎には2歳馬が何頭か入厩してきた。
その中にはホワイトリリーとクノイチという牝馬や、フォークヒーローという牡馬がいた。
(英語表記はそれぞれWhite Lily、Kunoichi、Folk Hero)
ちなみにクノイチは、昨年のセリ市では蓉子と木野牧場のオーナーである木野求次との間で一騎打ちとなり、最終的に求次が購入した馬でもあった。
厩舎にはこの後も2歳馬が入ってきそうな状況だったため、善郎は厩舎で働く人を増員することを考え始め、それを厩舎の人達に打ち明けた。
「それは大賛成です。僕達もそう考えていました。」
「確かにこれからも馬の数が増えそうですからねえ。」
道脇君、鴨宮君はそう言って善郎の考えを支持してくれた。
「じゃあ、早速募集をかけることにしよう。誰か雇えそうな人がいないかチェックをしておいてくれ。」
「はいっ!」
善郎の問いかけに、みんなは威勢のいい声で返した。
1月末。ライスフィールドは野々森牧場での休養を終え、少しずつ体を動かしていくために育成施設へと移されることになった。
(今日でこの馬とはしばらくお別れになるわね。なんだか寂しいけれど、これからクラシック戦線に挑んでいくわけだし、その点は割り切らないとね。)
葉月は馬房に行くと、ライスフィールドに飼い葉を与え、さらには馬体に不安がないかどうかをチェックした。
しばらくして、馬運車が到着したため、彼女は馬を外に出した。
そして車のトランクを開けて待っている蓉子のところに向かっていった。
すると、蓉子は馬の右後ろ脚の動きが気になった。
「葉月、フィールドに何か変わったことはなかった?」
「いえ、何も?何かあったんですか?」
何も心当たりのない葉月は首をかしげながら答えた。
「うーーん、ちょっと歩き方で一つ気になる所があるのよねえ。もしかしたら何かあったのかもしれないから、馬運車の運転手さんには申し訳ないけれど、ちょっと獣医さんを呼んでみようかしらね。」
蓉子はそう言うと、早速スマートフォンを取り出した。
「お母さん、そこまでしなくても。」
葉月は引き留めようとしたが、おおごとになる前に手を打っておきたいと考えていた蓉子は、それを振り切るようにして電話をかけた。
その様子を見ていた葉月は顔をしかめながらも、母親の意見にいさぎよく従うしかなかった。
「うーーん、ちょっと右後ろ脚を痛めているようですね。恐らく昨夜、馬房で暴れるなどして脚を壁にぶつけてしまい、その時に痛めたのかもしれませんね。」
蓉子からの連絡を受けて道脇牧場から駆けつけた獣医師の道脇ケイ子さんは、顔をしかめながらそう言った。
「えっ?そんな…。せっかく休養を終えてクラシックに向けて始動しようとしていた時だったのに!」
思わぬ宣告に、葉月は動揺を隠すことができなかった。
「確かにそう言いたくなる気持ちは分かりますが、もしこのまま育成施設に行って体を動かし始めていたら、故障につながったかもしれません。私としては早いうちに気づいてくれただけ、まだ良かったと思っています。」
ケイ子は少しでも前向きなことを言って、何とか動揺を抑えようとした。
「それで、先生。治るまではどれくらいかかりそうなんでしょうか?春のクラシックには間に合いそうでしょうか?」
蓉子は不安げに問いかけた。
「まあ、けが自体は1~2週間で治るでしょう。ただその分始動が遅くなるので、その分予定が後ろにずれると思います。もし皐月賞の前にスプリングSを予定したのであればそれをパスして、ぶっつけで皐月賞に挑むことになりそうです。」
「そうですか…。予定がちょっと狂ってしまいましたね。」
「まあ、蓉子さん。故障さえしなければこれからチャンスはいくらでもあるわけですから、気を落とさずにいきましょう。」
「そうですね…。先生、ありがとうございます。」
蓉子は悔しい気持ちをぐっとこらえながら、ケイ子に感謝することにした。
一方、葉月は何も言えないまま、ライスフィールドのけがに気付けなかったことを悔やんでいた。
そして彼女は事務所に行くと、電話で育成施設に電話をし、悔しさを抑えながらライスフィールドの到着が遅れることを告げた。




