2頭の気持ち
朝日杯FSを終えたライスフィールドは、関東のトレセンで数日を過ごした後、野々森牧場に放牧に出されることになった。
ここ数日の間にトレセン → 阪神競馬場 → トレセン → 牧場と、移動が相次いだため、彼は牧場に着いたころには体調を崩してしまっていた。
ライスフィールドと再会したカヤノキは、GⅠ制覇を達成した孝行息子を祝福しようとしたが、風邪をひいてしまった姿を見て、思わず顔をしかめた。
『フィールド、どうしたの?大丈夫?』
『ちょ、ちょっとのどが痛いし、熱も出ているみたい。それに疲れた。まあ、プレッシャーからは解放されて精神的にはほっとしているし、休めば何とかなると思う。』
『そう。でも母さんはフィールドがここに戻ってきてくれてうれしいよ。ここでゆっくりと過ごしていきなさい。』
カヤノキは優しく微笑みながら語りかけた。
『ありがとう、母さん。』
ライスフィールドは疲れ切った表情をしながらも、うれしそうに応えた。
翌日。ある程度風邪も治り、元気を取り戻してきたライスフィールドは、夏の放牧時に母親から教えてもらったアドバイスを、厩舎に戻ってからすぐにフロントラインに伝えたことを打ち明けた。
『あら、そんなにすぐに伝えたの?早いわね。』
『うん。だけど、先輩は「だから母のことは言わないで!」と言われて、逆に怒られちゃったよ。母さんの教えてくれたことを伝えれば、きっとすぐに心を開いてくれると思っていたんだけれど…。』
『そんな単刀直入に言ってはだめよ。ちゃんと時と場合を見極めて言わないと。』
『そんなこと言われても、時と場合なんて分かんないよ。とにかく僕は先輩に1日でも早く心を開いてほしかったから。』
『あらそう。でもまあフィールドはまだ2歳だし、そういうことは色々経験しながら学んでいくしかないでしょうね。』
『はあい…。』
ライスフィールドはその後も、フロントラインとのやりとりについて話を続けた。
彼女から当たり散らされた時には、何か言い返したくなっても、母から言われたとおり、じっと我慢し、最後まで話を聞き続けたこと。
彼女との関係がギクシャクしそうな状況になっても明るくふるまい続けたこと。
時にはやっぱりだめかもしれないと思いながらも、あきらめずにアドバイスを伝え続けたことなどを話した。
そんな彼の姿を見て、フロントラインの心にも変化が出たのだろう。朝日杯に向かうために阪神競馬場に向かっている時、こんなやりとりがあった。
『フィールド君、そんなに私に心を開いてほしいわけ?』
『うん。だって、これが母さんとの約束だから。そして今度野々森牧場に戻ったら、母さんにどうしてもいい報告をしたいと思っていて…。』
『ふうん。じゃあ、私から1つ条件を出してもいい?』
『何ですか?条件って。』
『フィールド君はこれからGⅠレースに出走するんでしょう?』
『はい、そうですけれど。』
『そのレースに勝ったら私が心を開くことを考えてあげるわ。でももし負けたら私にこれ以上母親のことを話さないようにしてくれる?』
『えっ?』
『文句ある?』
『えっと…。』
そんなフロントラインとのやりとりを聞いたカヤノキは思わず顔をしかめた。
『フィールド、それでその条件を受け入れたの?』
『僕はどうすればいいのか分からなくてあたふたしていたら、先輩から「じゃあ、これで文句はないわね!」と言われて、合意したことになっちゃった。』
『それであんたはその後、朝日杯を勝ったんでしょ?』
『うん。色んな意味ですごいプレッシャーだったけれど、どうにか勝てたよ。』
『じゃあ、フロントラインとの約束を果たしたことになるわね!すごいじゃない!』
『そうなんだけど、僕がレースを終えて馬運車に戻ってきた時には、先輩は先に競馬場を後にしていたから、勝利の報告をすることができなかった。それに僕がトレセンに戻った時にはもう放牧に出ていった後だったから、とうとう報告できなかったよ。』
『あら、タイミングが悪かったわね。』
『うん。僕はGⅠ勝ったけれど、先輩は心を開いてくれるのかなあ…。』
『それは分からないけれど、フィールドがここで放牧している間は確かめることができないから、考えても仕方がないわ。とにかく一旦フロントラインのことは置いといて、あんたはここでゆっくりと過ごしていきなさい。』
『はあい。』
ライスフィールドはそう答えると、ここにいる間はフロントラインのことについてあれこれと考えることをやめ、母親と親子水入らずの時間を過ごすことを心に決めた。
一方、フロントラインは放牧のため、ライスフィールドよりも先に生まれ故郷である道脇牧場に到着していた。
牧場では実母スペースバイウェイの1歳年上の姉であり、母親代わりになっているダイヤモンドリングが出迎えてくれた。
フロントラインはライスフィールドに実母のことを色々と言われ、何度も当たり散らしてきたことや、朝日杯の前に馬運車で彼に言ったことをダイヤモンドリングに話した。
『私、あの馬運車の中で思わず彼に挑戦状を叩きつけてきたんだけれど、そうしたらフィールド君、本当にGⅠを勝ってしまったから…。』
『それは凄いことじゃない!ライスフィールド君、やったわね!』
『うん。私も彼が勝ったことはうれしいんだけれど、その後、どう接したらいいのか分からなくなってしまって…。それで、彼に出会わないように競馬場を後にし、急いで放牧に出ることにしたの。』
『じゃあ、彼とはその後、会話も交わしていないわけ?』
『そう…。フィールド君、怒っていないかなあ…。』
『多分怒ったりはしないと思うわよ。きっと、心を開いてくれて、笑顔になったあんたの姿を期待しているでしょうね。』
『そうなるのかなあ…。それにしてもフィールド君、どうして私のこと、こんなに気にするのかしら?彼はスペースバイウェイさんが自分の母カヤノキの心を開いてくれた馬だから、その恩返しをしたいとか言っていたけれど…。』
『確かに恩返しをしたいという気持ちもあるでしょうけれど、彼はそれ以上にスペースバイウェイの仔に出会えたということに、何か運命的なものを感じたのかもしれないわね。』
『何か運命的なものって?』
『つまり、あんたに好意を持っているってこと。』
『そ、そんなはずはないわ!だって私、彼より1歳年上だし、それに私、彼に何度も当たり散らしてきたから!』
『でも彼はあきらめずにあんたの心を開こうとしているでしょう。はっきり言ってあんたと無二の親友になりたいとか、あんたに惚れたとか、そうでもなければそこまでできないと思うわよ。』
『そんなまさか…。』
フロントラインは思わず顔を赤らめながら言葉に詰まってしまった。
『まあ、とにかくあんたががここで放牧している間は確かめることができないから、考えても仕方がないわ。とにかく一旦ライスフィールド君のことは置いといて、あんたはここでゆっくりと過ごしていきなさい。』
『はい…。』
フロントラインは照れながらそう言うと、ダイヤモンドリングにお辞儀をして自分の馬房へと戻っていった。
ライスフィールドとフロントラインの2頭は、お互いの気持ちを確かめることのできないまま、それぞれの牧場で休養の日々を送ることになった。
それから間もなく、世間では1年を締めくくる大レース、有馬記念が行われた。
寮馬のライスパディーはその日の中山競馬場の3レース、2歳未勝利戦(芝2000m)に出走し、4着に敗れ、未勝利のまま年を越すことになった。




