ライスフィールドの誕生
ここは競走馬の生産ならびに育成を行っている野々森牧場。
入口の横には木で作られた看板が立ってあり、茶色地に白色の文字でNONOMORI FARMと書かれていた。
オーナーは野々森 蓉子という女性で、彼女の他に娘の葉月と、葉月に養子として嫁いできた太郎が主となって経営していた。
ここには繁殖牝馬と1歳馬がそれぞれ何頭かいた。
繁殖牝馬の中にはかつて競走馬として走っていたカヤノキ(8歳)とクォーツクリスタル(7歳、英語表記はQuartz Crystal)がおり、どちらもまもなく出産を控えていた。
生産馬は大半が0歳の秋か1歳の夏にセリに出されていた。
そこで蓉子は自分で価格を見ながら馬の評価を確認し、売却か自分で引き取るかを決めていた。
牧場の所有馬として走ってきた馬達はこれまで10数頭いたが、重賞タイトルはこれまでGⅡ1つのみだった。
その唯一のタイトルを持つ馬がクォーツクリスタルで、この馬は他にもGⅢ2着が2回あった。
GⅠは8着が最高だったが、最終賞金は1億2500万円になったため、牧場の経営はすっかり軌道に乗り、資金難に襲われる心配はなくなった。
だが陣営はこれで満足することはなく、目標をGⅠ制覇へとシフトして、何とか勝てる方法がないかを模索している状態だった。
「お母さん、何とかして大きなタイトルを取りたいわね。」
「そうね。それにはやっぱりそれなりの資金がないとねえ。」
「確かに。まだ1000万円以上の種牡馬には手が出せないし、繁殖牝馬も自分達の手で走らせた牝馬達で我慢するしかないのが現状だからね。」
「それでも、牝馬がいるだけまだいいわ。特にカヤノキは命にかかわる大ケガをした経験がある馬だから。その馬が無事に助かって復活してくれたんだから。」
「そうよね、お母さん。そして無事に繁殖牝馬になって子供を身ごもってくれたし、これで無事に元気な馬を産んでくれれば御の字よね。」
2人は会話をしながらカヤノキを見つめていた。
それから数日後、いよいよカヤノキの出産が秒読みとなったため、蓉子は医師である道脇ケイ子さんを呼び、葉月や太郎達と共に出産に立ち会った。
カヤノキは多少時間を要したものの、無事に男の仔を出産することができた。
「おめでとうございます。母子ともに元気ですし、良かったですね。」
ケイ子は嬉しそうに蓉子達に話しかけた。
「はいっ!良かったです!これで牧場に新たな希望が生まれました。本当にありがとうございます!」
蓉子は満面の笑顔でケイ子に言った。
「これでこの牧場はクォーツクリスタルの出産を残すだけになりましたね。」
「はい。その時はまたお呼びすると思いますので、よろしくお願いします。」
太郎はおじぎをしながらケイ子に言った。
「分かりました。時間や私のスケジュールの都合もあるかもしれませんが、よろしくお願いします。」
彼女はそう言い残すと車に乗り込み、野々森牧場を後にしていった。
その日の夜、葉月と太郎は産まれた仔馬の名前を何にするか、話し合うことにした。
「さて、母からは自由に考えて名前を決めなさいと言われたけれど、何にしようかしらねえ。」
「そうだなあ…。カヤノキが植物名にちなんだ名前だからなあ…。仔にも植物名をつけてみようかなあ。」
2人は色々な植物の名前を挙げながらアイデアを練った。
そうしているうちに、太郎は去年は米の不作で値段が高くなったため、今年は豊作になって安く買えるといいなという話題を持ち出してきた。
「ター坊。それじゃ、あんたは名前に『ライス』を使おうとしているわけ?」
「そのつもりなんだけど、どうだろう?採用してくれるかな?」
「うーーん…。まあ…、いいでしょうね。採用。」
というわけで、まず名前にライスという単語が入ることが決まった。
「その後の名前を何にしようかしら。ちょっと私、何かいい単語がないか調べてみるわね。」
葉月はそう言いながら一旦その場を離れ、英和辞典を持って戻ってきた。
2人は早速riceの単語のあるページを開き、後に続く単語を調べた。
「あっ、葉月。これなんてどうかな?」
太郎はそう言いながら気になった部分を指差した。
そこには「~field(paddy)水田、稲田」と書かれていた。
「つまりター坊は名前をライスフィールドかライスパディーにしたいってこと?」
「そう。でさ、僕としてはフィールドの方を採用してみたいんだ。」
「ふうん。じゃあ、私はパディーにしてみる。とりあえずどちらを採用するか、じゃんけんで決めてみる?」
「じゃんけん?」
「そういうことよ。じゃあ、私が勝ったらライスパディーで決まりね。」
葉月は勝つ気満々で言い放った。
一方の太郎はこういう時に葉月にNoと言えない性格もあってか、押されるようにして彼女の意見に従うことにした。
「せーの、じゃーんけーんぽん!」(←2人同時に言っています。)
結果、葉月が出したのはパー、太郎はが出したのはチョキだった。
「よっしゃあっ!勝った!というわけで、産まれた仔馬の名前はライスフィールドに決定だ!」
「あ~あ。つまんないの。」
葉月はふくれっ面を見せながら、吐き捨てるように言った。
「あっ、でもクォーツクリスタルに仔が産まれたらライスパディーと命名するわね。はいっ、決まり!」
彼女すぐに気持ちを切り替え、太郎に向けてそう言い放った。
「早っ!でもまだ牡馬か牝馬かも分からない状態なのに、いいのか?」
「うん。どちらであろうとこの名前で決まりっ!」
「あっ、はい…。君がそう言うのなら…。」
葉月のゴリ押しにより、今度産まれてくる仔馬の名前は出産前に決定した。
それからしばらくして、クォーツクリスタルは元気な男の子を出産し、その馬にはライスパディーという名前が与えられた。
こうして牧場での出産は終わり、牧場スタッフのみんなは繁殖牝馬や1歳馬、そして今年産まれたばかりの0歳馬の面倒を見ながら、すでに競走馬として走っている競走馬達の健闘を見守り続けた。
ライスフィールドとライスパディーの2頭はとても仲良しで、双方の母親と共に、幸せそうな毎日を過ごしていた。
その様子を葉月は優しい表情で見守り続けた。
(本当に何度見ても心が癒されるわね。できればこの状況がずっと続いて欲しいわね。まあ9月には親と仔が離れ離れになってしまうけれど、それまでの間、こちらも精一杯の愛情を注いでいかなければね。)
彼女は牧場の掃除をしながら、そう心に誓った。
その後、カヤノキは2頭目の仔を身ごもることができた。
その情報が入った時、牧場の従業員達は満面の笑みを浮かべながら喜んだ。
一方、クォーツクリスタルは受胎に失敗してしまい、さらには体調も崩しがちだったことから、1年間休ませることが決まった。
「クォーツは残念だったけれど、カヤノキには新たな希望が生まれたわね。」
「うん。来年、また元気な馬の出産に立ち会いたいわね。そして、クォーツには元気な状態で仔を身ごもって欲しいわね。」
「そのためには、体力を十分につけてもらわないといけないから、しっかりと体調管理をしていこう。」
蓉子、葉月、太郎はライスフィールドとライスパディーを優しく見守り続けるカヤノキとクォーツクリスタルを見ながら、そのような会話を交わした。
彼女らは0歳馬達がこれからどのような活躍をみせるのか、今から楽しみにしていた。
しかし、すぐ目の前にいるライスフィールドが、後に競走馬としてあれ程の活躍をすることになるとは夢にも思っていなかった。
前回までの競馬小説では登場人物や馬達の名前の由来を書いていましたが、個人的には何かの宣伝になってしまわないか気になっていました。
そのため、今回はとりあえずライスフィールドとライスパディー以外の由来を書かないことにします。
あらかじめご了承ください。