関東勢の願い
12月。今年行われるGⅠレースもあと少しになってきた。
最初の週に行われたチャンピオンズカップではまた新たなGⅠ馬が誕生し、中京競馬場に駆けつけた大勢のファンの人達は優勝馬に大きな声援を送った。
そして馬の関係者の人達は歓喜にわき、表彰式では満面の笑みを見せていた。
そんな中、関東の関係者達はレースが終わる度に大きな悔しさ、そしてこれまで経験したことのないようなプレッシャーに襲われるようになった。
「まずいな。このままではうちらにとって屈辱の1年になってしまう。」
「ああ。こちらも打つ手は全て打っているし、ベストは尽くしているのだが…。」
「とはいえ、関西馬が強すぎる。何だか勝てる気がしなくなってきた。」
彼らの間にはそのような失望感が漂っていた。
無理もない。関東馬による平地GⅠ制覇は、トランクトニージャがプリマドール、ファントムブレインとの叩き合いを制して優勝した去年の有馬記念が最後という状況だった。
(なお、この年の春に行われた中山グランドジャンプ(J・GⅠ)では、関東馬のヴィクトリーワンが勝っていたため、解釈としては「平地」GⅠとなっていた。)
この時点で残された平地GⅠは阪神JFと朝日杯FS、そして有馬記念の3つだけだった。
もし関東馬がこれらのレースを勝てないと、関西馬が今年行われた平地GⅠレース完全制覇を達成することになる。
もちろん関東のトレセンの人達は以前から懸命な努力を重ねていた。
それでも勝てない状況が続き、レースが終わる度に彼らのもどかしさは増していった。
チャンピオンズカップと阪神JFの前には、関係者の人達がヴィクトリーワンの所属している厩舎を訪れ、同馬のたてがみを分けてもらったり、中山グランドジャンプ優勝時のゼッケンを借りたりして、ゲン担ぎをした。
しかしレース後に残ったのはやり場のない悔しさだけだった。
そのような状況はファンの人達も敏感に察知していた。
「GⅠレースになったら関東馬は消しだな。」
「そうね。とりあえず関西だけに注目しましょう。」
「まあ、中山大障害(J・GⅠ)にヴィクトリーワンが出走したら賭けるとするか。」
彼らの考え方はオッズにも反映され、人気も関西馬ばかりに集中した。
阪神JF当日。出走した18頭中、関東馬は5頭、関西馬は13頭で、人気も関西馬が1~5番人気を占めていた。
レースは新潟2歳Sを勝ったソルジャーズレスト(3番人気)が、前走のファンタジーSで8着に敗れた借りを見事に返し、2歳牝馬の頂点に立った。
これで残りの平地GⅠは2つ。しかも有馬記念に出走を予定している有力馬はほとんど関西馬ばかりの状況だったため、関東馬にとっては次の朝日杯FSが事実上のラストチャンスだった。
それだけに、メディアの人達はすでに重賞を2勝しているライスフィールドの陣営に次々と取材にやってきた。
「村重先生は朝日杯で勝てると思いますか?」
「厩舎開業以来初めてのGⅠがこのような状況ですが、プレッシャーはありませんか?」
「今、どのような作戦を考えていますか?」
このような質問を浴びせられる有様だったが、善郎や道脇君達は
「余計なプレッシャーをかけないでください。僕達はいつもどおりにやっていますから。」
「作戦は秘密です。相手に手の内を見せるようなことはしません。とにかく勝ちます。」
ときっぱりと言い切った。
マスコミの人達は「そこを何とか。少しでいいから作戦を教えてください。」と迫ってきたが、彼らは決して打ち明けるようなことはしなかった。
さらに、本番でライスフィールドに乗ることになる坂江騎手は、初めての大舞台に挑む善郎、道脇君に積極的に声をかけ、彼らを精神面からも支えていた。
朝日杯前日。ライスフィールドはフロントラインと一緒の馬運車で関西に向かうことになった。
「フロントライン、フィールドを頼んだぞ。彼を支えてやってくれ。」
「フィールド。阪神競馬場で会おう。そして、レースは頼んだぞ。」
善郎と道脇君は2頭を見ながらそう言うと、トランクを閉め、決戦の舞台へと向かっていく馬運車をじっと見つめた。
そしてその日の夕方、彼らはお守りとしてヴィクトリーワンが中山GJ優勝時につけていた蹄鉄とゼッケンを借り、車と列車を乗り継いで阪神競馬場へと向かっていった。
朝日杯FS当日。阪神競馬場の第6レースでは、フロントラインが3歳以上500万下(牝馬限定、ダート1800m)に出走した。
人気は12頭立ての8番人気と低かったが、フロントラインに騎乗する弥富伊予子騎手はこの後、朝日杯での騎乗(シリコンヒルに騎乗)を控えていることもあって、相当気合を入れており、本気で勝つつもりでいた。
レースがスタートすると彼女は馬を中段につけさせ、じっと機会を伺った。
そして折り合いがきっちりとついていることを生かして、3コーナーで仕掛けに入った。
(さあ、行きなさい。一気に先頭に立つのよ!)
彼女はそう思うと同時に手綱をしごき、ロングスパートを開始した。
フロントラインは外からスルスルと上がっていき、最後の直線の入り口で先頭に立った。
(よし!このまま粘り切って!)
弥富さんはムチを振るいながら手綱を懸命にしごいた。
そして、人気馬の追い込みを退けてそのまま粘りきり、見事1着でゴールした。
「よし!勝った!弥富さん!よくやったぞ!」
「ヨシさん、これで朝日杯に弾みがつきますね!」
善郎と道脇君はガッツポーズをしながら喜んだ。
「やったわ!見事に作戦が成功した!」
弥富さんはガッツポーズこそしないものの、フロントラインをクールダウンさせながら喜びをあらわにした。
そしていよいよメインの朝日杯FS。
このレースにはライスフィールド(2枠4番)の他に、次のような重賞勝ち馬が集まった。
・トランクゼウス(5枠9番、小倉2歳S優勝、京王杯2歳S 2着)
・フシチョウ(3枠6番、デイリー杯2歳S優勝、函館2歳S 2着)
・トゥーオブアス(1枠2番、札幌2歳S優勝、京都2歳S優勝)
・シリコンヒル(8枠16番、東スポ杯2歳S優勝)
他にもトランクミラクル(英語表記:Trunk Miracle、6枠11番)など、18頭が集結した。
この中で関東馬はライスフィールド、トランクミラクルなど合計4頭だけで、見るからに関西有利な状況だった。
そんな中、1番人気に支持されたのはライスフィールドで、単勝は3.7倍だった。
2番人気はフシチョウの3.9倍、3番人気はトランクゼウスの4.5倍で、3強を形成している状況だった。
「初めてのGⅠ挑戦で、こんな状況になるなんて…。個人的には失うもののない状況で向かいたかったが…。」
「1番人気か…。それはそれですごいプレッシャーだな。何だか吐きそう…。本音を言うなら早く終わって欲しい…。」
善郎、道脇君は2人とも手足が震え、胃が痛くて逃げ出したい心境だった。
その気持ちはGⅠの雰囲気にはすっかり慣れている坂江騎手でさえも例外ではなかった。
(こんな気持ちは初めてGⅠに騎乗した時以来だな。でも逃げるわけにはいかない。僕にできることはライスフィールドの実力を出し切るのみだ。さあ、行くぞ!)
彼は恐ろしいまでのプレッシャーと闘いながらパドックに駆け出していった。
それから約20分後。いよいよ朝日杯のスタート時刻が近づき、ファンファーレが鳴った。
周囲が異様なまでの盛り上がりを見せる中、ライスフィールドと坂江騎手は、一目散にゲートに入っていった。
そして18頭がゲートにおさまった後、いよいよ運命のレースがスタートした。
果たして、先頭でゴールインする馬は…。
(次回に続く。)




