乗り替わり
ライスフィールドが生まれ故郷の牧場で休養を取っている間、村重厩舎の所属馬達は何頭かレースに出走した。
結果は次の通りだった。
オーバーアゲイン 阪神ジャンプS(J・GⅢ、阪神) 14頭立て、5着
ユーアーザギター 3歳以上500万下(中山、芝1600m) 12頭立て、3着
ライスパディー 2歳新馬(中山、芝1200m)9頭立て、3着
どの馬も賞金を持って帰ることはできたものの、勝利を挙げるまでには至らなかった。
なお、上記の3頭の他に、これまで未勝利だった3歳馬が現役続行の最後の望みをかけて、俗にいうスーパー未勝利戦といわれる3歳未勝利戦に出走した。
その馬は善戦こそしたものの、3着に敗れてしまった。
善郎達は馬主さんに対し、これから裏開催の500万下で再起をかけるか打診をした。
しかし馬主サイドは未勝利戦を勝ち抜けなければ引退という方針を固めていたため、結果的にその馬は美浦を去っていくことになってしまった。
寂しげな雰囲気を漂わせながら馬運車に乗せられ、運ばれていく姿を見るのは善郎、道脇君、鴨宮君達にとって辛いものだったが、彼らはしっかりとその姿を脳裏に焼き付けていた。
10月。ライスフィールドが厩舎に戻ってくると、早速11月に行われる京王杯2歳S(GⅡ、東京、芝1400m)に目標に調整が開始された。
調教では鴨宮君が乗り続けていたが、そんな中で、善郎はそのレースで乗る騎手について頭を悩ませていた。
そんなある日、善郎は鴨宮君を呼び出し、考え抜いた末に出した結論を打ち明けた。
「えっ?次のレースは乗り替わりですか!?」
鴨宮君は内心覚悟はしていたものの、それを聞いた途端、ショックで言葉を失ってしまった。
「おそらくそうなるだろう。すまない、シン…。」
善郎もそう言ったきり、しばらくかける言葉が見つからなくなってしまった。
それから約1分後。善郎はこのままではいけないと思い、理由を説明することにした。
「…まあ、僕も悩んだが、こうすることにした。君はまだ通算22勝だし、あと9勝しなければ朝日杯フューチュリティーS(GⅠ、阪神、芝1600m)には乗ることができない。あと2ヶ月でそれだけ勝てればいいのだが、今のままでは達成は厳しい。だからこそ、こうやって決断してみることにした。」
「他に何か理由はありますか?もしあるのなら隠さずに話してください。前走で負けたからとか、そういうのも理由なんですか?」
「そういうわけではない。仮に朝日杯で乗り替わりとなると、その人はぶっつけ本番になってしまう。だったら、本番前に一度乗ってもらった方がいいと思ってな。」
「なるほど、そういう考えですか。それで、誰に依頼するかは決めましたか?」
「まだだ。騎手の状況を見ながらこれから決める。だが、調教では引き続き君が乗って欲しい。そしてライスフィールドについて気付いたことがあったら、色々伝えて欲しい。」
「それだと僕は調教助手みたいですね。」
「確かにそうなるが、でも君が31勝を達成したら、レースで君とその人とどちらが乗るかを競争させる。そして1%でも勝てる可能性の高い人を選ぶつもりだ。だから腐らずに頑張ってほしい。」
「分かりました。では、来年のクラシックで再びライスフィールドに乗れるように頑張ります。」
「頼んだぞ、シン。」
鴨宮君は内心では悔しい思いを抱えながらも、再び乗れる時を信じ、闘志を燃やしながら言い切った。
それから善郎はライスフィールドの鞍上を誰にするか、考え続けた。
そして彼は悩んだ末に、坂江陽八騎手に依頼をしてみることにした。
彼は西の網走、東の坂江と言われる程の名ジョッキーで、関東だけでなく、関西の厩舎からも引っ張りダコの存在だった。
それもあって、関東の競馬場でも関西の競馬場でも毎回たくさんの騎乗依頼を得ることができていた。
また、彼が関東でのレースに出る場合、関西の厩舎の中には彼に乗ってもらうためにわざわざ競走馬を関東に遠征させるということも珍しくはなかった。
それほどの存在だけに、すでに2歳馬のお手馬も何頭かいた。
その中には栗東所属のトランクゼウス(英語表記:Trunk Zeus)がおり、同馬は稚内調教師の意向で、京王杯への出走が決定的だった。
同馬は新馬戦を1番人気で、小倉2歳Sを2番人気で制しており、現時点で2戦2勝だった。
そのことは善郎も知っており、実力も認めていた。
だからこそ、即座に断られると予想していたが、坂江騎手から返ってきた返事は意外なものだった。
「なるほど。この馬に乗れるのなら僕の負担も減るだろうし、ぜひ考えさせてほしい。」
それを聞いて善郎は驚き、思わず「えっ?どういうことですか?」と聞き返した。
「僕自身、トランクゼウスに乗れるのは本当に嬉しいが、関西馬だけに、移動が相次いでね。例えば美浦での調教や打ち合わせをしたらその日の午後に移動して夜、栗東に到着。翌日の早朝にトランクゼウスの追い切りを行ったらその日のうちに美浦にとんぼ返りしてまた仕事。といったような感じでね…。」
「それは大変そうですね。」
「そう。そこで稚内厩舎の人には京王杯の追い切りの時には美浦に来てもらうようにお願いしたんだが、陣営は栗東の坂路にこだわっていてね。」
「それだと、また坂江さんが栗東に移動することになりそうですね。」
「その通り。僕もトランクゼウスが強い馬だということは分かっているし、乗り続けたい気持ちはヤマヤマだ。しかし移動による負担を何とかできないか考えていたんだ。だから、ライスフィールドとトランクゼウスが直接対決をするようなら、どちらに乗ったらどうなるかということをこれから頭の中で色々シミュレーションさせてほしい。それから決めてもいいかな?」
「はい。それで十分です。決まったらぜひ連絡をください!」
善郎は威勢のいい声で返事をした。
その後、坂江騎手は稚内厩舎と連絡を取り、トランクゼウスを別のレースに出走させてもらえないか、さらには関東の競馬場でレースに出るのであれば、事前に美浦に来てもらえないか交渉をした。
「こちらとしても坂江さんの要望にできるだけ応えたいと思うのですが、ゼウスは京王杯に向かわせるつもりですし、調教でも栗東の坂路が一番向いていると思うので、やはり直前までここで調教をさせてください。」
稚内調教師は坂江騎手の気持ちは理解しながらも、自分達の意見を変えようとはしなかった。
交渉を終えた後、坂江騎手はトランクゼウスに乗り続けたいという気持ちを持ちながらも、この馬を倒せるとしたら、ライスフィールドしかいないだろうという気持ちを抱くようになった。
そして彼は一晩考え続けた末についに結論を出し、稚内厩舎と村重厩舎に連絡をすることにした。
知らせを聞いた村重厩舎の陣営は歓喜に沸いた。
最初は乗り替わりのためにショックを受けていた鴨宮君も、坂江さんが乗るのであれば仕方がないと開き直ることができた。
そして彼はこれから坂江騎手に色々な情報を伝え、少しでもライスフィールドが勝てる確率が上がるように協力したいと考えるようになった。
大きな後ろ盾を得ることができた陣営は、ライスフィールドの調教にますます熱が入るようになり、絶対に京王杯を勝つぞという意気込みにあふれていた。
一方、坂江騎手を取られる形になった稚内調教師は、落胆の表情を隠せなかった。
「残念だが仕方がない。ライスフィールドは重賞も勝っている馬だし相手にとって不足はない。最高のライバルとして、絶対にこの馬と坂江君に勝つぞ!」
彼は悔しさをにじませながらも、従業員の前でそう言い切った。
そして早速、逗子一弥騎手に騎乗依頼をしてみることにした。
「はい!ぜひ乗せてください!そしてライスフィールドに絶対勝ちます!」
逗子騎手は2つ返事で依頼を承諾し、早速打倒ライスフィールドに向けて闘志を燃やし始めた。
2頭の重賞勝ち馬は、いよいよ京王杯2歳Sで初めての直接対決を迎える。




