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野々森牧場にて(後編)

ここでも、ライスフィールドの一人称で物語が進行します。

 僕が野々森牧場に来て、2週間がたった。

 この間、僕は食事の時には飼い葉をモリモリ食べて、減っていた体重を戻していった。

 新潟2歳Sの時には396kgだった体重は、今だったら確実に400kgを超えているだろう。

 個人的には、来月厩舎に戻る時にはさらに体重を増やしたいと思っていた。

 その甲斐もあって、最初は母さんに『やつれたんじゃない?』と言われた状況は徐々に改善されていった。


 自主トレの合間には母さんと妹のレインフォレストに会っては色々な会話を交わした。

 その中で、母さんは弟のパーシモンがセリに出され、かなりの値段で取引されたことを教えてくれた。

 競り落とした根室那覇男という人は、所有馬を全て関西の厩舎に預託している人なので、関東所属の僕と同じ厩舎に所属することはまずあり得ないだろうということだった。

『何か寂しいな、それ。できればパーシモンと一緒に厩舎で過ごしたかったけれど…。』

『でもね、フィールド。あなたはすでに重賞を勝った馬だから、仮にパーシモンがあなたと同じ厩舎になったら「重賞勝ち馬の弟」として見られることになるわよ。そうなったら彼も苦労したでしょうね。』

『うーーん…、僕にはよく分らないけれど…。』

『パーシモンの性格だったら、きっとフィールドと比較されながら過ごすよりも、兄の影響の及ばないところで頑張りたいって言い出すでしょう。私にはそれが見えるの。だからこれで良かったと私は思っているわよ。』

『そうなのかなあ…。』

 僕は母さんの言ったことが未だによく理解できないながらも、とりあえず納得することにした。

(でも、レインフォレストとは一緒の厩舎に所属してみたいなあ。そして一緒に活躍して、パーシモンと一緒に、3頭でいつかこの牧場に戻ってきて、母さんと一緒に暮らすことができたらなあ…。)

 僕はそんな願い事を心に思い描きながら、僕を慕ってくれるレインフォレストと一緒に過ごした。


 母さんと妹と一緒に過ごす時間は何にも代えがたい、楽しい時間だった。

 だけど9月のある日、レインフォレストは親離れをするために、母さんとは別の場所に移されることになった。

『嫌だーーっ!!ママと一緒にいるうーーーっ!!』

 泣きながら大声で叫ぶ妹の声を聞くのは、僕にとっても辛いことだった。

(分かるよ、その気持ち。僕だって2年前に同じことを経験しているんだから。でも、きっとまた会えるよ。僕だってこうやって戻ってこられたんだから。だから、今は辛くてもこらえてくれ。)

 僕は叫び声を聞きながらレインフォレストのいる方向を向き、懸命にそう思い続けた。

 それから日が経つにつれ、妹の叫び声も段々聞く頻度が少なくなっていった。

 彼女は母さんに会えなくなった代わりに、蓉子さんや葉月さん、太郎さんをはじめとする、牧場の人間達の愛情をたっぷりと受けていたので、どうやら人間と一緒に競走馬としての道を歩んでいく決心がついたのだろうと、僕は思った。


 9月下旬。もうすぐ僕はこの牧場での休養を終え、村重厩舎に戻ることになっていた。

 牧場での自主トレも、これまでの体作り重視から調教を意識したメニューに変更し、心の準備を整えていった。

 そう言った点では順調だったけれど、フロントライン先輩に対する気持ちに関しては、未だに整理できずにいた。

(もうすぐ美浦に戻る時期だ。何とかして先輩の心を開かせてあげたいけれど、所詮僕じゃ無理なのかなあ…。)

 そんな中、ある日の夜、僕は母さんの馬房でゆっくりと会話をする機会があった。

 僕は再び競走馬として一生懸命トレーニングをして、大レースを勝つんだという意気込みを話す一方、先輩に何を言えばいいのかという思いを母さんに打ち明けてみた。

『フィールド、本当にフロントラインの心を開かせたいと思っているの?』

『うん…。何か言ったら多分泣かれるか、キレられるかするかもしれないけれど…。でもスペースバイウェイさんは母さんの悩みを懸命に聞いてくれて、母さんの苦しみを吐き出させてくれて、最終的に心を開かせてくれた馬だし、だったら、僕も何とかしたいって思っているんだ。』

『でもね、フィールド…。無理はしなくていいのよ。他馬の心を開かせることはとても大変なことだから。私もバイウェイには本当に苦労をかけたし。そのような苦労を私はあなたに背負わせたくはないのよ…。』

『でも、母さんはスペースバイウェイさんのおかげで最終的に心を開いたんでしょ?』

『まあ、確かにそうだけれど…。』

『だったら、僕がスペースバイウェイさんのような存在になるよ。そのためだったら、先輩にキレられても我慢する!』

『フィールド、それは本当に大変なことよ。たとえ何を言われてもじっと耐えなければならないと思うの。あなたは本当に耐えられる覚悟はあるの?』

『うん!』

『そう…。本来ならそれは私がやるべきことなんだけれど、フィールドにお願いしてもいい?』

『うん!』

 僕は覚悟を決めて、首を縦に振った。

『それじゃあフィールド、今度フロントラインに会ったら、こんな風に伝えてくれる?』

『どのように?』

『あなたは決してわがままだったわけではない。子供なら母親に甘えたくなるのは当然のことよ。そして母親はそんな子供の元気な姿を見て幸せを感じるものよ。だから、もし私がスペースバイウェイと同じ立場だったら、たとえ自分がどれほど苦しんでもかまわないと思ったことでしょう。だからあなたは母親に辛い思いをさせたのではない。母親に一緒に過ごした時間と言う幸せを提供してくれたって。』

『うん。』

『それからね、今フロントラインが元気でいられるのは、スペースバイウェイが心の中で生き続けていて、やさしく見守ってくれているからよ。たとえどんなに母親のことを恨んでも、後ろめたく考えたとしても、バイウェイは心の中で、そして星空の世界の中でいつでも笑顔で見つめていてくれる。だから、あなたは決して一人ぼっちじゃないって。そんな風に伝えてくれるかしら?』

『分かった。じゃあ、タイミングを見計らって伝えてみる。これを聞いて、先輩がどう考えるかは分からないけれど、母さんが言ったことなら説得力もあると思うし、きっと心を開かせてみせるよ。』

『本当に心を開いてくれる良いわね。そして、あなたがフロントラインを支えてあげてね。スペースバイウェイが私を何度も支えてくれたように。』

『うん、分かった。母さん、ありがとう。』

 僕は心の中での迷いをふっ切り、そう言い切った。


 10月。厩舎に戻る前日の夜、僕は母さんと一緒に水入らずの時間を過ごしていた。

 その中で、母さんは夜空を見上げながら、スペースバイウェイさんに向けてメッセージを送り出した。

『バイウェイ、あんなことになってしまったのは本当に残念でならないけれど、私はあなたの分まで一生懸命生きていくわ。約束する。だから、一つお願いを聞いてくれるかしら?あのね、もしも迷惑でなかったらフロントラインだけでなく、私の子供達も遠い場所から見守っていてくれないかしら?どうかライスフィールド、パーシモン、レインフォレストが無事に競走馬としての人生を全うできるように…。』

 母さんのその言葉を聞いて、僕は胸がいっぱいになった。

 そして、絶対に母さんの気持ちに応えようと思い、さらには僕がフロントライン先輩の心の支えになろうと心に誓いを立てながら、翌日の朝、牧場を後にしていった。


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