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野々森牧場にて(前編)

ここでは、ライスフィールドの一人称で物語が進行します。

 新潟2歳Sを終えた僕は、休養のため、美浦を経由せずに野々森牧場に行くことになった。

 僕としては去年、育成施設に行くことになって以来、1年ぶりの故郷への帰還だった。

 馬運車を降りた僕は、見慣れた牧場の景色を見て(本当に生まれ故郷に戻ってきたんだな…。)と思い、しばらく懐かしさに浸っていた。

 その後、牧場内を仔馬と一緒に歩き回っている母さんを見つけると、何を言おうか考えながら、あいさつをしに行くことにした。

 すると母さんも僕の気配に気付いたのか、顔を上げて僕の方を見た。

 それにつられたのか、仔馬も僕の方を見た。

『ママ、変な馬がやってくるよ!』

 仔馬は僕を不審者とでも思ったのか、いきなりこんなことを言い出した。

『あ、あの…。僕は、その…、ライスフィールドです。決して不審な馬じゃないけれど…。』

 予想外の状況に思わずあせった僕は、冷や汗をかきながら何とか自己紹介をした。

『フィールド?帰ってきたの?』

 母さんははっとしたような表情で僕の方を見た。

『はい、ライスフィールドです。母さん、ただいま。』

『本当に、ライスフィールドなの?』

 母さんは、まだ僕が実の子供だということを信じられないようだった。

『うん、ライスフィールドです。』

『本当に帰ってきてくれたのね。久しぶりね。無事でよかった。』

 母さんはそう言って表情をやわらげ、やっと僕との再会を喜んでくれた。

 そして、まだ怖がっている仔馬に『レインフォレスト。この馬はあなたの2歳年上のお兄さん、ライスフィールドよ。』と言って、僕のことを説明をしてくれた。

 レインフォレストと呼ばれた馬は、それを聞いて安心したのだろう、それまで警戒していた表情をやっと崩してくれて、『おにーちゃん、お帰り。』と言ってくれた。

 それを見て僕も安心することができた。

『ただいま。これから僕は10月のはじめまでここで過ごすので、よろしく。』

 僕はそう言うと妹に向かって深々とお辞儀をした。

『こちらこそ、よろしく!』

 レインフォレストは威勢のいい声でお辞儀をしてくれた。

 それを見て僕はすっかりリラックスすることができ、母さんと妹の中に入っていくことができた。


 翌日。僕が牧場でゆっくりと過ごしていると、母さんが歩み寄ってきて

『ライスフィールド、今話しかけてもいいかしら?』

 と問いかけてきた。

『うん、いいよ。でもレインフォレストは一緒じゃないの?』

『彼女は今、クリスタルコンパスと一緒に遊んでいるわよ。』

『じゃあ、今なら母さんと2頭きりで色々と話せるってこと?』

『そう。だから厩舎での日々とか色々聞いてみようと思ったのよ。いいかしら?』

『いいよ。僕も話したいこと色々あったから。』

 僕はそう言うと、新馬戦と函館2歳Sを勝ったこと、オーバーアゲイン先輩と一緒の厩舎に所属していることなどを話した。

『えっ?アゲイン、10歳なのにまだ走っているの?』

『そ、そう。障害重賞を1回勝ったという実績はあるけれど、それでも引退した後の進路が未定みたいだから、走れる限り走るって言っていました。』

『あらそう。牝馬だったらそれだけの実績があれば確実に繁殖牝馬としての道が開けると思うけれど、牡馬だと大変ね。』

 母さんがそう言うのを見て、僕は自分の将来がどうなるのか思わず不安が込み上げてきてしまった。

 その後、オーバーアゲイン先輩の会話が一区切りつくと、今度は続けざまにスペースバイウェイさんの仔であるフロントライン先輩と一緒の厩舎になったことも話した。

『そう…。バイウェイ、あれから繁殖牝馬になり、子供ももうけたのね。良かった。』

『うん。でも僕、フロントライン先輩に母親のことを話したら、先輩が泣き出しちゃって…。』

『えっ?どうして?』

『実は…。』

 僕は言っていいのだろうかと迷いながらも、これまでにフロントライン先輩やオーバーアゲイン先輩から聞いた話を打ち明けた。

 そしてスペースバイウェイさんが病と闘いながら『この仔は必ず立派に育ててみせます。そのためなら私はどんなに苦しんでもかまいません。』と言って、懸命に自分の仔のために奮闘していたことを話した。

 さらにはフロントライン先輩が自分がわがままだったせいで母親を苦しめてしまったことを、泣きながら後悔していたことも打ち明けた。

 その内容を聞いて、母さんは『うそ…。スペースバイウェイが…。』と言いながら、相当なショックを受けたようだった。

『どうして…、どうして神様は不公平なことをするの…?何度も死のうとした私を生かしてくれた反面、あんなに一生懸命頑張って生きてきたバイウェイをこんな目にあわせるなんて…。その病、私を選んでほしかった…。先に死ぬのは私であってほしかった…。』

 母さんはそう言うと涙をボロボロと流して泣き出してしまい、自分を責めるようなことを続けざまに言い出すようになった。

 僕は俗に言う「サバイバーズギルト」という気持ちに襲われながら、悲しんでいる母さんの姿を黙って見続けていた。

 でも生きる気力までも失ってしまったかのような状況になると、さすがに黙っていることはできなくなった。

『母さん、やめてよ、そんなこと言うの!』

『だって、フィールド。私の命はバイウェイに救ってもらったものだもの…。』

『だからって、はやまるようなこと言わないでよ!僕、母さんが死んじゃった時のことなんて考えてないよ!想像もできないよ!』

 僕は自分も泣きそうになりながら、母さんを説得した。

『ごめんね…。』

 母さんはなおも涙を流して泣き続けていたが、僕の気持ちが届いたのだろう。やがて少しずつ泣きやんでくれた。

『ごめんね。フィールドの前でこんなことを言ってしまって…。』

『大丈夫だよ。僕は母さんが元気でいてくれればそれでうれしいんだ。』

『フィールド…、ありがとう…。』

 すっかり泣きやんだ母さんは、そう言って僕に寄り添ってくれた。

 その後は2頭で親子水入らずの時間をかみしめながら過ごした。


 その日の夜、自分の馬房に戻った僕は、昼間に自分で言った『僕、母さんが死んじゃった時のことなんて考えてないよ!想像もできないよ!』という言葉について改めて考えていた。

(フロントライン先輩は、僕が考えることのできない、想像することもできないことを0歳の時に経験してきたのか…。これじゃ、『母のことを話すのはやめて。』と言うのも分かる気がする。でも、母親が元気に生きている僕じゃ、先輩の気持ちを理解することはできないだろうし、一体どうすればいいんだろう…。)

 僕は先輩の心を開かせる方法をあれこれと考えた。

 しかしいくら考えても結局は出ないままやがて睡魔がやってきたため、モヤッとした気持ちを抱えたまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。


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