八十三話 「ベルナイアふたたび」
エルロッドによって練兵場のよく均された土の上に寝かされたクロドアは、起きるや否やいつの間にか来ていたククロマの言葉に目を丸くした。
「魔人?……エルロッド?」
咄嗟に否定しようとしたエルロッドでしたが、ククロマの後ろからよく見知った顔の商人が笑顔で歩いてくるのを見てやめました。
最近は面白半分にエルロッドという魔人がいると広めている様子で、エルロッドはもう諦めていました。
「魔人…エルロッド…聞いたことがあるな」
案の定兵士の一人が何か言いだしました。得心がいったという表情でエルロッドの噂を話し始めました。
曰く、魔人にも関わらず魔王を打倒しようとするもの。曰く、人族側に類する魔人である。曰く、いくつものスキルを所持している。曰く、相当に強い。
「眉唾だと思ってたんだが…今の攻防で息一つきらさず服の裾すら掴ませない動きは相当なものだ…」
息を呑む声が聞こえます。エルロッドは多くの畏怖の視線を受けて少し気まずい気分になりました。
日差しは暖かいにも関わらず、空気は冷たく張り詰めていました。
「あの」
じゃり、と地面を踏みしめる音が広い練兵場に響きました。一斉に兵士が動く姿はなかなか壮観です。エルロッドは先程とは打って変わって警戒されている状態に苦笑いを浮かべます。
まさか一言発しただけで武器を向けられるとは。
どうしたものかとエルロッドが目だけを動かしてククロマの方をちらりと見ると、不思議そうな顔をしているククロマと目が合いました。
「いやお前が止めんかい!」
「動くなッ!」
「えっ、なになに!?」
混沌としていました。
練兵場を時折吹き抜ける風はとても爽やかで気持ちが良く、草花を撫でていく穏やかなものでしたが、エルロッドたちの周りだけは恐怖、困惑、動揺、笑顔が渦巻いていました。ちなみに笑顔はアキンドとノーモのものです。
結局その場が収まるために、アキンドとノーモによる手助けがあって、ククロマが説明して渋々兵士達も武器を下げました。
最終的にはエルロッドの「殺そうと思えばお前らなんてとっくに」というセリフに全員が青い顔をしつつも妙に納得して収束したのですが。
「くっ、このクロドア…エルロッド様になんという無礼を…首を撥ねるなり…ご自由に…!」
「領主やれよ」
心底申し訳なさそうにいうクロドアをバッサリと切り捨てます。するとクロドアは嬉し泣きか、涙を流しながらエルロッド様とククロマ様の命とあらば…と言ってどこかへ走り去っていきました。
「……なんだあいつ」
思い込みが激しいのかわからないですが、いちいち行動が素早いクロドアを呆然と見送るエルロッド。
見つけてきたはずのククロマも何やら苦笑いです。
「便利でしょ」
「便利かは知らないけど、真面目だな」
おかげで留守が任せられるわ、私より適任みたいだしー、と言ってひらひら手を振るククロマ。揺れる金髪と小さな手に応えるようにエルロッドも右手を軽く掲げると、アキンドの方を向いて言いました。
「アキンドさん、そろそろ俺はベルナイアを超えて最前線に向かう。ここよりはるかに危ないんだが…どうする?」
アキンドが足手まといと言いたいわけではなく、純粋に危険だと案じているのが伝わった様子です。小太りの優しい商人はニコリと微笑みました。
「そうですな。魔王城ともなると私では力不足でしょうし…ベルナイアまで行ってからは、エルロッド殿の無事を祈ることにしますぞ」
「そっか。じゃああと少し、よろしくな」
そうして二人は硬い握手を交わしました。
―――――
ククロマのひらひらをバイバイという意味で受け取ったエルロッドは、特に挨拶もなくノーザスの街を出ていきました。
今回は少女ククロマを元気にした魔人として望まれるものが発動しているようです。もうなんでもいいのでしょうか。
「こうして空を飛ぶのも最後と思うと感慨深いな…」
「魔王を倒した後にまたお連れしてくだされば構いませんぞ!」
「それもそうか。楽しみにしといてくれよ、アキンドさん」
二人が空の旅を楽しんでいるちょうどその頃、ノーザスではククロマがエルロッドのいない寝室に来て「なんでいないのよおおお」と叫んでいました。
後ろに控えるノーモは苦笑しています。
「なにか挨拶くらいしていきなさいよ…もう…」
そう呟いてクロドアに仕事を教えるために部屋を立ち去りました。
「……っくしゅ」
そして空を飛ぶエルロッドがくしゃみをして唸ります。それに気付いたアキンドがおや、とエルロッドの方を向きました。
「風邪ですかな?」
「風邪とか俺引いたことないよ…なんだろ」
さりげなく健康アピールを挟むのも忘れません。真下を流れていく畑や森をぼーっと眺めつつそう言うと、アキンドがにやりと笑いました。
「ククロマ殿がエルロッド殿の話をしていたりして…」
それを聞いたエルロッドもまたニヤリと笑って応えます。
「あー、あるかもな。もしくは…ベルナイアの同級生達」
「全員と会うのは久し振りでしたかな?楽しみですな」
空中で停止した二人の眼前には、二度目のベルナイアがありました。
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