六十二話 「罪、摘み、積み」
どぉん。
大賢者旧邸宅のある敷地の方から大きな音がして、あたりの住民たちが何事かと見に行くと、そこにいた、いえ、あったのは大きな大きな怪物でした。灰色のヌメヌメとした闇を纏い、口だけがついたその顔は明確な意思を持たずにゆっくりと揺れていました。
「地面から…生えてきた?」
その化物は人三人分はあるかという巨体ですが、それでも頭だけです。体はというと、大賢者旧邸宅の地下に取り残されています。
住民のひとりが訝しげに近付くと、口のある頭の更に上から声が発せられます。
「…力…欲しイノ…ち、カラ、血から、地から、力をヨコセエエ!」
近付いた住民は、化物の上から人のようなものが生えてくるのを見ました。
そこまででした。
ひゅっ、という音とともに、住民はその身を骨すら残さずに砕かれてしまいました。
「血、薄いなァ…姉様たちみたいな…血を…私がモラってあ、ゲ、る、か、ら」
ニィ、と口だけの顔が笑うと、あまりの出来事に止まっていた住民達の思考が動き始めます。
叫び声をあげて我先にと逃げる人々を見下ろして、化物はこう呟きました。
「キミ達みタイな血はイラなィ…って話、よね?」
―――――
エルロッドとルサルカが子供たちの治療をし終わり、衛兵を呼び、子供たちを保護してもらい、デザムーアを捕縛してもらった直後のこと。
エルロッドは勇者の力とその加護の力で強化された聴覚で確かに聞いたのです。何かを破壊する音と、人々の悲鳴を。
「師匠!何か出た!行くぞ!」
そんな弟子の呼び掛けに、ルサルカはいつかのような柔らかな笑顔を浮かべました。
「甘ったれるな。一人でやれるだろう?」
知らず知らずのうちに師匠という存在に甘えすぎていたエルロッドを突き放すかのように言い放ちます。しかしこの勇者は、言い方ではなくその思惑、感情、意思を感じ取ると笑顔で応えました。
「…そうだな。行ってくる!」
迷いなく地を蹴るエルロッドの姿にルサルカは先程より更に咲き誇るかのような笑みを浮かべましたが、それも一瞬のこと。
子供たちのいた地下室に残った僅かな魔力の残滓を追って、幼魔球の卸先を捜索し始めるのでした。
「うわあああ!?なんだあれ!?」
「衛兵!衛兵を呼べ!」
「騎士団はまだなのか!?早く来てくれえええ!」
エルロッドが飛んできたのは魔術都市の中心地、城のある区画です。と言っても、恐らくこの都市を治める人間がいるであろうその城、エアストへクセ城は飛行魔法でも使えなければ辿り着けない高さにあるのですが。
「なんだこれ…!?」
エルロッドが見る限りでは化物が住民に手は出さず、何かを探すかのようにキョロキョロしているようでした。
何が目的なのかわからないまま倒しては師匠に怒られるだろうか、と悩むエルロッド。化物が上を見上げて呟くのを聞きました。
「…姉様たちは、ソコ?」
化物の視線の先にあるのは遥か高みから見下ろす城。化物がいくら大きくても届くはずはありませんし、ましてや四肢は細く、ほぼ胴体と口だけで構成された体での跳躍も不可能なはずです。
そうは思いつつもエルロッドは足元の石畳をトン、と蹴ります。
「らああああ!」
姿が掻き消えるほどの速度で跳躍したエルロッドに追随するかの如き見事な跳躍を見せた化物。エルロッドはそれを両手で受け止めると、化物を止めたことで生まれた反動で一回転。化物自身の速度を乗せて高速のかかと落としを叩き込みます。
「ナ…んなの…!?」
飛んできた時と同じように視認できないほどの速度で下に落ちていく化物。住民達は逃げたはずなので誰かが下敷きになることもない、とは思いましたが、エルロッドは備えあれば、とばかりに化物の真下に転移して地面から三人分ほどの高さで化物を受け止めました。
あたりを衝撃波が襲い、民家が軋みます。
「大魔導書の力でこうなったのなら、殺すのはまずい…確か…大魔導書の魔力と本人の意思を切り離して力を取り除く…だったか?」
エルロッドが足元に下ろした化物から僅かに距離を取って観察していると、突然喚き始めます。
「痛いヨォ!!やめてよぉ!!私にこんなことして済むと思ってルのぉ!?」
一体何様のつもりだよ、とは思いつつもエルロッドが口を開こうとした時、真上から大量の魔力が降り注ぐのを感じて即座にその場を飛び退きます。
「誰だ!?」
エルロッドは、何も言わずに魔法を放った上空の一団を睨みつけます。
白銀の甲冑に身を包むその姿は荘厳と言うべき迫力で、神々しさすら放っているように思えました。
しかし、そんな彼ら、もしくは彼女らの答えはこうでした。
「貴様こそ誰だ?ここは我々魔導騎士に任せて下がるが良い」
この場を食い止めていたエルロッドを巻き込んで敵を殲滅しようとした上に、被害を広げなかったことに対する礼も言わずに下がれ、と。これには流石のエルロッドもカチンときて言い返します。
「おいおい、遅れてきてそれはねぇんじゃねえか?」
「なんだ?褒章が欲しいなら出してやるから、早くどこへなりとも行くがいい」
エルロッドの怒りなどどこ吹く風、さらりと流すと隊長格と思しき先頭の騎士が両手を上に掲げます。
すわ攻撃か、と身構えたエルロッドでしたが、魔導騎士団が放った魔法は何の攻撃力も持たない投影魔法でした。
「聞け、魔導の子らよ!!我々が来たからにはもう安心だ!愚かにも我らが主の膝下で暴れ回る醜悪な者を、サリィヘイムが杖と結界である我々が、討ち滅ぼしてくれよう!」
わざわざ出動の度にパフォーマンスしてるんだろうか、と少し可笑しくなったエルロッドでしたが、これは好都合です。この白銀の一団より早く化物を打ち倒し、サリィヘイムを救った希望となれれば、この都市に住む途方な数の人々の希望を糧に出来るのです。
「ま…魔導騎士団だ!助かった!」
そんな声があちこちから聞こえてきます。しかし大魔導書の悪魔は単なる人間の精鋭程度でどうにかなる相手ではありません。
確実に負けるだろうとタカを括っているエルロッドの視線の先で、騎士団の魔力が膨れ上がっていきます。
「なんだあれ…強化魔法か…?」
内包された魔力自体が底上げされるという異常な強化に思い当たるそれは、魂の加護。
魂の加護を持つものだけで十数人にも及ぶ騎士団を作るとなれば、それは世界で最も強い騎士団たり得るでしょう。
「いや…あれは魔法で擬似的に再現されている、のか?…やはり、魂ではなく魔力を集め、借り受けてるみたいだな」
流石魔術都市の最精鋭だと感心し、同時に投影魔法の理由を悟ります。
ですが。
「…散開!絶え間無く撃ち込め!捕捉はされるなよ!」
擬似的な魂の加護を得てなお慎重な戦い方を選んでいても。
「待て!アイツ、魔力を直接吸収してやがる…!」
古代より存在した大魔導書という本物にかなうはずはなく。
「近接攻撃に切り替えろ!物理攻撃でしか、倒せなあがっ!」
辛うじて死者は出ていないものの、一人、また一人と倒れていきます。
「よわぁい」
化物は辺りを飛ぶハエをたたき落とすかのような適当さで騎士団を半壊させると、興味を失ったのか動きを止めました。
「に、逃げろ!立て直せ!」
体裁も何もあったものではありません。逃げ出す騎士団をため息と共に見送るエルロッド。
その後から聞き慣れた声がしました。
「すまん、エル!逃げられた!」
「え?師しょ…」
振り返るとルサルカがエルロッドの後ろを指さしながら悔しそうな顔で飛んできました。
「そっちだ、そっち!」
「あ」
ルサルカの指差す方向を見ると、逃げ出そうとしていた魔導騎士団の残党が、子供の顔が大量についた化物、暴食に踏み潰されるところでした。
そしてそのすべてが余すところなくサリィヘイム中に映し出され、魔術都市の住民は絶望と共に呆然とスクリーンを見上げていました。
「化物が二体…」
「終わりだ…」
しかしもちろん、終わりではありません。幸運なことにこの街には今、歴代最強の勇者がいるのですから。
「…あー、テステス。テステス。聞こえるかな?俺の名はエルロッド・アンダーテイカー。いわゆる勇者で、魔王を倒すために旅をしてる者だ」
エルロッドのそんなセリフに住民は戸惑います。
「…?勇者?魔王?…なにそれ?」
サリィヘイムの住民は滅多に外に出ないので、魔王の復活どころかその存在すら知らないのでした。
「……つまり俺は超強い。だから安心してそこで見てろ。サクっとやっつけちまうからさ」
そう言って木刀を振るうと、化物のひとり、暴食が消滅しました。
「…ほらな?」
お読みいただきありがとうございます。千歳衣木です。本日は少し長めになってる気がしなくもないです。燃え尽きました。嘘です。
サリィヘイム終盤に向けてなるべくキリのいいところまで、と思ったらなんか伸びました。不思議な話です。
…ところで皆さん、ほんの少しでも感想をいただけると私はモチベーションがなんでもありません。
なんでもないので、本日はこのあたりで。千歳衣木でしたっ!




