四十六話 「アイン」
有象無象に過ぎない脆い体の死者の軍勢にも関わらず、勇者は苦戦を強いられていました。
「街中なうえに暗闇で生きてる人と死者が混じり合いすぎてる…!いちいち確認してから斬ってたら時間がかかりすぎるぞ…」
そう、確認とはいえ瞬くより短い間ですが、何故か戦えるものが勇者だけという状況ではその一瞬があとからじわじわ効いてくる事は明白です。
せめて援軍がきて市民を救ってくれるか、市民の統制をして避難を行える人物が現れなければ犠牲者、負傷者ゼロは難しくなってきます。
多少の負傷者は諦めるしかないか、そう思いかけた勇者の耳に飛び込んできたのはこんな言葉です。
「こっちだ!領主様のいる広場に行けば騎士様達が守ってくれる!急げ!」
最近見かけなかった騎士は領主の周りにはいたようです。
この状況、領民たちが何をされるかわかりませんが死者の軍勢の中に放り出されるよりはましなはずです。
「光明が見えた…!…っ!」
先程の声の主をちらりと見ると、串焼きのおじさんが親指を立てていました。
勇者の手助けをするために危険な前線にまで来て避難を促しているのです。
「助かるぜ、おっちゃん…!」
エルロッドは街の中心に向かって走り始めた生者達の前に立ちふさがる敵を切り伏せ道を作りつつたった一人の前線を押し上げていきました。
「おい、兄ちゃん!避難は完全に完了した!残りは敵だけだ!やっちまってくれ!」
「任せろっ!!」
ほとんど俺、何もしてないなぁ…そんなことを思いつつもエルロッドはその武力を如何なく発揮して死者の軍勢を木刀一本で殲滅してしまったのでした。
「あとはあの領主だけか…!」
エルロッドは諸悪の根源を断つために走り出しました。
―――――
「な、なんでだ!くそっ!」
勇者が街の中心、ヴァンのいる広場に辿り着くとそこでは、避難してきた領民達が騎士達に囲まれてじりじりと追い詰められているところでした。
「おや、お早いお帰りで、エルロッド殿」
「うるせぇ!お前はここで終わりだ!」
嘲笑するかのようにステージの上から見下ろすヴァンの姿を睨みつけたエルロッド。わけもわからぬ領民が固唾を飲んで二人を見守る中、エルロッドの姿が霧散しました。
「…領主として、領民で遊ぶのはどうかと思うぞ」
たたん、たんたん。
いくつかの音だけを残してエルロッドは領主の前に迫ります。
「つーことで、死刑」
エルロッドが木刀を振るおうとすると、ヴァンが言います。「騎士たちよ、領民を斬れ」と。
エルロッドがヴァンに攻撃する度に、いえ、最早何もしなくとも抵抗のできない領民は無残にも殺されていってしまったでしょう。
エルロッドが何もしていなければ。
ヴァンの命令を受けた騎士達はぎこちなくその体を動かし、剣を振り上げ…そこまででした。
「もう遅かったかもしれないけど、あいつら動かさない方がいいぞ」
「ハハハ!何を今更ァ!お前の考え足らずのせいで我が領民達は死…に…」
広場中に轟音が響き渡ります。
死者の軍勢とは違い、一人ひとりが強力な存在である眷属にされていた騎士団。その力が振るわれるその前に彼らは血煙となったのです。
「貴様…何を…」
「ここまで来るついでに全員斬っただけなんだけど」
ヴァンの声が震えます。
それは畏れなどでは決してなく、始祖吸血鬼としての怒り。自分の半分も生きていないような子供に舐められているという憤りです。
「貴様だけは惨たらしく嬲り殺しにしてくれる!ガァア!」
領民が見守る中、残像がいくつも残るほどの速度でエルロッドに攻撃するヴァン・ピール・アイン。
なすすべもなく一方的に攻撃を与えられる勇者の姿を見て勝利を確信し、牙をむきだして笑う吸血鬼。
「止めだ!死ねェ!」
距離を取り、ヴァンは両手を突き出します。
「奥義!魂削る刃ォ!」
ヴァンが叫ぶと同時に、その両手のひらから禍々しい気配を放つ黒い刃が無尽に放たれ勇者に襲いかかります。
その一撃一撃が全て必殺の威力を孕む攻撃で、一度食らえば肉体は腐り、精神に異常を来す呪いのような技です。
ヴァンの攻撃を無防備に受け続けていたエルロッドにはもはやこれを防ぐ術も余力もないはずで、所詮は人などこの程度だとほくそ笑んだヴァンが見た光景は。
「なるほどね…で、そろそろ本気でかかってきてくれるのかな?」
服に至るまで傷の一つもなく、惚けた顔で首を傾げる勇者の姿でした。
「き、貴様まさか魔王様の――――」
「あぁ、必ず俺が倒す。そして俺は…必ず…本物になってやる」
静まり返った広場にエルロッドの声と、ヴァンの首が落ちる音だけが響きました。
―――――
「エルロッド様、バンザイ!」「エルロッド様!」「救世主よ!!」「助かりましたあああ!」
吸血鬼ヴァン・ピール・アインがはるか昔、魔王の命令で作り上げた街。何も知らぬ人間が平和に過ごしていたここ、アインの街に巣食う悪は消え去りました。
真実を知る勇者は「あいつが頑張って大きくした街奪ったみたいになってるな」とすこし罪悪感があったのですが、人間の国に勝手に街を作った時点でこうなる可能性もあったわけですから仕方ないと割り切りました。
そしてこの街の人間にとって希望となったエルロッドは、次の街を目指して歩き始めたのでした。
「…まず、ひとつ」
―――――
「彼が魔王様になれば、人間と魔族が共存する日も遠くはない…!」
エルロッドが去った方を見ながらそう呟く一人の男性。それを聞いた他の男性が怪訝な顔をして尋ねます。
「彼は勇者様だと聞いたんだが…?」
しかしその男性はこう答えました。
「彼は勇者資格を手に入れた魔人で、今の魔王を倒して自分が魔王として君臨するつもりらしいんだ。確かな情報筋からだよ」
街の情報通でもあるその男性からの自信満々のセリフ。すぐにその話は他の人にも語られていき、アインの街全体がその話でもちきりになりました。
今回目の前で見た魔物の脅威は尋常でなく、今更ながらそれを認識した人々はしかしエルロッドを恐れる事はなく、むしろエルロッドが魔王を倒して成り代わることに希望を託したのでした。
いつもお読みいただきありがとうございます。スマートンから執筆している美少女戦士千歳衣木です、こんにちは。
美少女でも戦士でも千歳衣木でもありません。すみません。
千歳衣木でした。すみません。
作品に関係ないのですが、スマートンのローカルファイルに新作やら今作やら漠然とした構想やらを纏めていたのですが、バックアップを取り損ねていろいろ消えてなくなりました。
割と作品がピンチですね。
すごく死にたいですが、まぁ多分大丈夫でしょうと思い込んで強く生きます。
アインの街は人間界の首元に突きつけられた鋭利なナイフでしたが、見事にその刃をへし折って見せたエルロッドでした。
次の街ではどのような人に出会い、どのような物語を紡ぐのでしょう。誰か教えてください。困ってます。
考えてないことがバレる前にこのあたりで。
最近シュークリームにハマって体重が増えた千歳衣木でした。




