四十二話 「卒業、旅立ち」
エルロッドが半年かけてSクラスにまで昇級してから二年と半年の月日が流れました。
魔物の異常発生を抑えるために派遣されたり、エルロッドの加護を詳しく調べることの出来る人のところに行き詳細を聞いたり、定期的に行われる武闘大会にどうしても出たがったアザトに付き添って上位を独占したりと、充実したSクラスライフも終わりです。
そしてついに、勇者育成機関の卒業式の日がやってきました。いつもは騒がしい、歳相応の生徒達もおとなしく神妙な面持ちで椅子に座っています。
教官の罵倒とも取れる涙混じりの激励の言葉の後、エルロッドが首席として勇者資格を手にしたその時、その場にいた全員が大気が震える音を聞きました。
ぞわり、と魂が粟立ちます。
「…やっぱりこのタイミングか」
やはり一度目のことを思い出してエルロッドは言いました。
前回と同じくエルロッドが周囲の人間に正式に勇者と認められたその瞬間、この世界にいた幼子から老人まであらゆる人間が理解させられたのです。魔王が、現れたことを。
「エルロッド・アンダーテイカーは魔王じゃなかったのか…?」
「バカいえ、今から魔王を倒して成り代わりに行くんだろ」
生徒達の間からはそんな話し声が聞こえてきますが、エルロッドは魔王と相対した時の油断や慢心、そして幾度と地に這わされた屈辱と絶望を思い出していたため、気付きません。
「今度こそ…やってやる」
エルロッドが静かな闘志を燃え上がらせる姿を見た機関長、ブレイブ。
「…このタイミング、勇者と魔王の登場が同じ時期と言うには少しばかり出来すぎている気もするが…アンダーテイカー君が、彼こそが世界を救う希望、か」
そんなブレイブの呟きは周りのざわめきにかき消され、誰の耳にも届くことはありませんでした。
―――――
魔王が出現したとしても、人間達にとっては遠い遠い土地の話でしかありませんでした。魔王が魔物達を率いて城を出て戦う、というようなことはなく、指揮官のように後ろに構えて侵略をしてくるのみですし、魔物が少し強くなったところで冒険者や軍で対処可能な範囲ですから。
しかしその心持ちではいつか必ず魔王によって人間達の尊厳は踏み躙られ、街や村は焼かれ、男は殺されて女は連れさられ、他人事と思って安寧を貪っていた報いを受けることになるでしょう。
勇者という存在がいなければ。
魔王が出現したその日卒業した勇者達は皆、Sクラスが特別演習で利用した転移陣で魔王領の前までひとっ飛びしていきました。
一年生の時こそ弱かった彼らですが、三年の時を経て遥かに強くなっています。パーティを組めば北の強力な魔物達を充分撃破できるほどに。
そんな彼等が緊張に満ちた面持ちでひとり、またひとりと転移していくのを見送り最後の一人となったエルロッド。
転移陣の操作をしていた機関長、ブレイブ・リザードの方に歩み寄ってこう言いました。
「機関長。俺は、みんなを信じてるよ」
「…そうか」
「俺は、だから、転移しない」
エルロッドの言葉を聞いた周りの教官が目の色を変えて詰め寄ります。首席で、一番強いエルロッドという生徒がここまで来て怖気付いたのか、と。
しかし教官達がなにかをいう前にブレイブがその鱗だらけの腕を持ち上げて制します。
縦の瞳孔を真正面から見据え、エルロッドは言いました。
「あいつらじゃ魔王に勝てない。指一本触れることも出来ないだろう。…でもそれは、俺も一緒だ」
エルロッドのいつもとは違う弱気な態度に教官達が戸惑い、驚きの表情を見せました。
勿論それには、教官どころか英雄を差し置いても最強として揺るぎないエルロッドでさえ魔王に指一本触れられないと言ったことに対する衝撃もあるでしょうが。
「ただ、それは今のままだったらって話だ。前回は、前回の俺はあっちまで転移して、皆と一緒に戦って、ひとり、またひとりと倒れてく中で希望を託されて前に進んで、折れそうでも笑って、魔王に辿りついた。俺には問題なかった。味方が倒れ、傷ついて行くのが辛かった」
エルロッドのセリフに彼らは首を傾げます。前回も何も、エルロッドが勇者になるのは一度目ですし、魔王と戦った経験も無いはずですから。
「魔王領に入るまで三ヶ月、入ってから半年くらい、魔王の城を攻略するのにさらに半年くらいかかって、魔王と対面した。その間に、ほとんどの仲間は死んだ。今の俺なら全員守って最後まで進めると思う。けど俺は、それを知った上でこの転移陣には乗らない」
何の話かわからない教官達でも、彼が仲間を捨てようとしている事はわかりました。
「アンタな、いくら強くても、いや強いからこそ最前線に行くべきだろうが!最強の力を持っていながら一番後ろにいるなんてそれこそ魔王と同じだ!」
怒りに顔を真っ赤に染めた教官がエルロッドに掴みかかります。いつしか入学式で生徒達に発破をかけたガンキという教官です。
「見知った仲間が死んでいくのは辛いんだよ俺も。でも俺の加護、望まれるものが万全の状態にならなきゃ魔王には手も足も出ないんだ。その為には仲間達じゃ足りない」
仕方ないだろ、そう言ってガンキの豪腕をいとも容易く振り払って歩き出すエルロッド。
「…あぁ、一応転移陣を通り抜けた奴の能力が底上げされる魔法をかけといた。魔王領の魔素量なら自己修復して半永久的に発動する術式だから、多分みんなそう簡単には死なないだろうし。それじゃ、世話になったな、教官方」
そう言い残してエルロッドは北の方に向かって飛び立ちます。向かうは次の街、アインです。
望まれるもの。希望を託されれば託されるほど力が増す、魂の輝きを感じ取る加護。
魔王と対になる加護の力を万全に発揮する為、彼は希望としてこの世界を旅する。かつては競い合った、今は共に世界を守るために戦う勇者達を想い、歴代最強の勇者、エルロッドの本当の旅が始まります。
お久しぶりです、千歳衣木です。Sクラスのエピソードを連ねるか、或いはエルロッドの旅を始めるかで迷い、結局三、四話分の日常は切り取ってしまいました。
「旅の方を見たいって読者様方が結構いるみたいですし、あぁでも、日常書きたい、どうしよう、早めに終わらせたいなあ」と悩んでいるうちに結構な日数が経過してしまうという矛盾。
なんかすごい怠惰な感じしますけど頑張って考えてましたから。はい。
大変長らくお待たせ致しました。待ってないとか、そういうことを仰る方はあれです、ツンデレさんということでひとつ。
次回からやることなすこと強すぎて魔人だと思われる系勇者がどうにかして希望を託されるための旅が始まります。
お付き合いいただけると幸いです。