三話 「勇者の日常」
ティアナの背を見送った直後のエルロッドの自室。そこには、気難しい顔で座り込む5歳児の姿がありました。
エルロッドは考えます。少しでも素養がありそうならばどんな人間であろうと勧誘するのが勇者育成機関という組織のやり方です。
にも関わらずエルロッドはあの勇者育成機関の女性職員、ティアナに勧誘されてはいません。
見る目がなかったわけではないでしょう。彼女は1人で旅ができるほどの実力のようですし、見た感じもなかなかやるようです。
今のエルロッドでも勝てるでしょうが、それはティアナが弱いからではありません。
他人がそれを聞けば5才児が何を言っているのかと思うかもしれませんが、こんなでも最強の勇者です。
かつてのエルロッドは膂力、魔力、防御力、速度などそれらの要素が秀でていたことも確かですが、それよりも勇者を最強足らしめた力というのは、実は少ない手管や弱いカードでも強敵に勝ちうる戦略性なのです。
エネルギー消費は少なく、効果は最大限に発揮する。恐らく魔王と戦った当時の勇者であれば魔王を除いた魔王軍すべてを一度に相手にしても勝つことが出来たかも知れません。
継戦力と殲滅力に定評のある勇者です。
そんな勇者なので、5才児になったところでティアナが勝てなくても恥ずかしいことではないのです。
話を戻しますと、そんなティアナといえどもかなりの実力者ですから、エルロッドの魔力量はともかく纏う闘気、立ち居振る舞い、それだけで勇者としての素養を備えていると見抜いて当然のはずなのです。
ちなみに闘気というのは魔力とは違い、周囲のエネルギーを利用したものです。
空間そのもののエネルギーといいますか、とりあえずそれを体に纏っていれば素手で岩を破壊したりできる、そういった代物です。
便利ですね。もちろん達人と呼ばれるレベルにならなければ扱えませんが。
つまり、エルロッドはティアナが来ている間ずっと闘気を身に纏ってアピールしていたわけですが、それで気付かなかったはずはありません。
「もしかして俺、魔王とか思われた?」エルロッドはそんな馬鹿な考えをすぐさま打ち消しましたが、まだ魔王が復活していない今、実はその考えは的を射ていたのです。
エルロッドの二週目の人生は五年目にしてレールから外れ始めていたのでした。
「エル、そろそろお昼ご飯にするわよ」
答えの出ない考えを巡らせ続ける幼児に母親、リリーの声がかかりました。
エルロッド少年は素直ないい子なのではーいと返事をすると、「まぁどうせ俺は15になったら王都に向かうんだ。焦ることもないだろ」と、脳内で楽観的な結論を出して部屋を出ていったのでした。
前途多難ですね。
―――――
「きゅうじゅう…はち…きゅうじゅう…ハァ…きゅう…ひゃ…く…っと」
昼食後のアンダーテイカー家裏庭にて、腕立て伏せをしている5歳児がいるなんてそんなことあるわけがない、そう思っている方も多いかと思います。
しかし現実には、マッチョではないのに筋力が凄まじい、そんな都合のいいファンタジー怪力を目指して筋トレに目覚めた少年が存在していたのです。
この世界が生んだ悲しい現象です。
「やっぱ100回はきついか…でもま、いけるな」
もちろん普通の5歳児に出来ることではありません。異常です。
エルロッドはそんなことも考えず、上体起こしに移行していくのでした。
やがて日課である筋トレとランニング、素振りを終えたエルロッドは昼下がりの空を見上げ、「まだ時間あるな」と呟くと素振りに使用していた《じょうぶな木刀》を腰に差すと走り出しました。
魔物の出没する、森の奥へと。
~村はずれの森、奥地~
「ギャアギャア!」
「くけー!」
ここは村はずれの森、大人も近付かないその奥地、そこに今柔らかくて美味しそうな小さな人間が訪れたのを森の魔物達は感じていました。
「大した獲物は…チッ、いねえか」
魔物達の歓喜と威圧の大合唱が周りから聞こえる中、全く物怖じすることなくエルロッドはめんどくさそうに呟いたのです。
そしてその直後、がさ、と周りの草むら、木々の上から魔物達がヨダレを垂らしながら現れました。
その数、七。人里近くの森にしては多くの魔物がいたものです。
エルロッドを囲む猿のような魔物や鳥のような魔物達は明らかに舐めきった表情でエルロッドを舐め回すように見ています。
しかし、勇者の前で油断をするということは死を意味します。
エルロッドが手に持った木刀を一振りすると、全方位に剣圧による斬撃が放たれ、魔物達はもれなく首を落とされて絶命しました。
「おやつにしては多すぎたか…ま、筋トレの後は肉食わないとな」
そんな惨劇を引き起こした張本人はこともなげにそう言うと、魔物を焼いて食べ始めたのでした。
野蛮な勇者がいたものです。