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水の星より愛を込めて  作者: 紗々
4/4

4 不幸少女の居る世界②

 屋外は意外にも涼しく、風が吹くと肌寒さを感じる程だった。白く輝く太陽は中天。紗也の世界の常識なら真昼。


「もっと暑いと思ってた」


 紗也が口にすると、隣を歩くレンは紗也の格好を見る。


「水のマナが強いからな。二十月過ぎたら、その格好は寒いかもな」

「にじゅうがつ?」

「二十四ヶ月で一年。今は冬に入るくらいだな」


 言いながら、レンはジャケットを脱いだ。ポケットに入った巾着袋はズボンのポケットに入れ直す。モデルのような立ち居振舞いに見惚れていると、脱いだジャケットを頭から被せられた。「うあ?」


「着てろよ。それだけじゃ寒いだろ」


 ジャケットに取り付けられた金具に四苦八苦して頭から取り払うと、Tシャツ姿のレンと目が合った。


「でも、これじゃあ、レンが寒そうだよ」

「平気だって。俺、他のヤツより体温高いし」


 能力の副作用かな、と笑うレン。シャツから覗く腕は適度な筋肉が付いていて、日に焼けている。体温が高いのなら体感温度は他の人より低いのでは、と言う紗也の心配は却下された。「ありがとう」袖を通すと、金具のパーツがかちゃりと鳴った。


 暫くの間、人気のない道を並んで歩く。周囲の建物は、どれも朽ちて崩れそうなくらいボロボロだった。時折吹く風が、湿気を含んで肌にまとわりつく。


 やがてその風が、湿気だけではなく匂いや音も運んで来ることに気が付き、次第に歩調が速くなる。


 紗也たちは小高い丘に出ていた。草木が生えていないので、濃茶色の土が剥き出している。見下ろす平地も、草木はない。土を覆うように、無数のテントが張り出されていた。平地全体を、色とりどりのテントが飾り立てている。人々の声や荷車の車輪の音、料理の匂いまでもが漂って来て、紗也は興奮を収められなかった。


「うわぁー、凄い人。あれがバザール?」


 行き交う人の多さに嬉しさすら覚える。今の今まで、人気のない場所を通ってきたので、尚更だ。無邪気に笑う紗也を見て、レンもまた、得意そうに笑った。


「ああ。週に一度の蚤の市だ。まずは、腹拵えだな」

「え、お使いは?」

「火ぃ出すと腹減るんだよ。大丈夫だ、忘れてねえよ」


 紗也へのパフォーマンスの為に、レンは思いの外消耗しているようだ。歩行速度が緩やかなのも、紗也の歩幅に合わせたわけではなく、体力がないからかも知れない。


 湿った土を踏み締めて丘を下った。雨上がりのような土は紗也の革靴にべちゃりと貼り付いて、靴裏を捕まえる。何度も転びそうになりながら、身軽なレンを追い掛けた。


「うわっ…とと」

「おいおい、大丈夫かよ。危なっかしいなあ」


 バランスを失い、地面に手を着けそうになる紗也をレンは振り返る。泥塗れになられちゃ敵わない、そんな表情。


「仕方ないじゃない。私、病み上がりなんだよ」

「それもそうだな、じゃあ」


 漸く追い付いた紗也を、レンが引き寄せる。流れるような動きで、紗也の身体を掬い上げた。


「ちょっ、えっ?」


 余りにも軽々と持ち上げられた為、紗也本人も現状を把握するのに時間が掛かった。足が宙を浮き、視界が高くなる。くるりと反転させられ、レンの右肩がお腹に当たった。同時に、進行方向が背中側になる。


「ちょっと、何すんの!」

「仕方ねーだろ。サヤに付き合ってたら、バザールが終わっちまう」

「だからって、こんな担ぎ方…」紗也を担ぎながらも、丘を降りるレンの歩調は変わらない。レンの右肩に両手を突いて、紗也は脚をばたつかせた。


「降ろしてよっ!私、結構重いんだからっ!」

「ちょっ、暴れんなよ。大丈夫だって。俺、右腕は強化してあるから、落としたりしねーよ」

「何を分かんないこと言って…」


 そもそも、心配なのは落とされるかどうかではない。レンの両手が触れる箇所が、非常に際どいのだ。しかし全く気に止めないレンに、紗也はそれを主張すべきかどうか判断に困る。


 起きたばかりの紗也が、緩やかながらもこの傾斜を降るのに難儀していたのも事実。空腹なのに、自分を気遣ってくれるレンの優しさを無下にしたくないのも事実である。紗也は黙って、レンに従うことにした。課題は、如何に疲れない態勢を保つか、である。


「ん?」


 丘を降り切った辺りで、紗也は視界に見慣れないものを発見した。それは紗也の前方、つまりレンの背後から迫って来る為、レンはまだ気付いていない。


「何あれ、馬車?」

「おー、馬が牽いてたら馬車だろ」

「こっち向かってくるよ」

「バザールの運搬用だろ。結構大きいもんも並んでたりするからな」

「ふうん」


 馬車は凄い速さで追い付いてくる。と言っても、馬は穏やかに歩いているだけ。人と馬の体格差では、そんなものなのだろうか。


 馬は金属のプレートでガチガチに防御しており、美しい鬣も尻尾すら隠れている。プラモデルみたいだな、と擦れ違う瞬間紗也は思った。馬の次に擦れ違った手綱を握ったおじさんが紗也たちを微笑ましい表情で見たので、紗也は急に今の状態が恥ずかしくなる。荷台の幌が一部捲れていて、中が覗き見えた。


「あれ?」


 幌の隙間から、金色の髪が覗いている。荷車の中で毛布に包まれ、男性が一人座っていた。目を瞑り、眠っているのか微動だにしない。


 紗也は惹き込まれたようにその横顔を見詰め、見送った。


「ねえ、レン、人が乗ってた。売られちゃうの?」

「馬鹿言うな。バザールで人身売買はねーよ」

「そうなんだ、良かった。凄く綺麗な人だったから、心配になった」

「ま、そいつが人間ならな。…降ろすぞ」

「え、なにそれ…わっ、とと」


 意味ありげなレンの言葉を聞き返す暇もなく、突然着地した土の感触に足を取られる。水分を含んだ、濃茶色の土。先程通った馬車の轍が、行き交う人たちの足跡に消えていった。


 足元ばかり見ていた紗也は、吸い込まれるように前方に視線を移す。想像していたよりも、ずっと多くの人。限られたスペースに犇めくテントが、人々の生活を象徴するように汚れた幌をはためかせている。


「うわぁ」


 その活気に、熱に、紗也は溜め息を漏らした。こんなに大勢の人間が、一ヶ所に集まり関係を築いている。まるで一つの生命のような生活の営みは、紗也の生きてきた文化にはないものだった。


「……すごいね」


 思わず、呟く。紗也が知っている人混みは、誰もが下を向き、誰かにぶつからないようにできるだけ小さくなって、我が物顔で歩く人間には煙たそうな視線を送る。そんな寂しい集団しか見たことがなかった。


 しかし、目の前に広がる集団は全く違う。実際に居る人の数は、紗也が通う学校の一学年にも満たないだろう。半分くらいかも知れない。しかし、そこに居る人々は皆、互いに言葉を掛け合い、笑顔を交わしている。見渡す限り全員が、活気に満ちていた。


「すげえだろ?今日は一年に一回の特別な日だからな。いつものしょぼい市とはワケが違うぜ」


 紗也の感嘆の呟きに、レンは得意気に笑った。いつもの市、というものを紗也は知らないが、それでも今日このバザールに来て良かったと思えた。


「来るヤツも並ぶモノも、今日は特別だ。普段は御目にかかれねえような珍しいもんが売ってるんだぜ」


 そう話すレンの瞳は楽しそうで、デパートのおもちゃ売り場に連れて来て貰った子供のようにきらきらしている。そんなことを伝えたら本人に叱られそうだな、と紗也はレンに見えないように笑った。


「よお、レンじゃないか」


 テントとテントの間の隙間、ぬかるんだ土の通路を踏み出すと、出店の奥から声を掛けられた。髭を生やした男性だ。日に焼けた腕を振っている。


「アンディ、久し振りだな」


 レンもまた、男性に手を振って答える。出店に近付くと、温かな蒸気と食材が煮える良い匂いがした。スープを売っている屋台のようだ。


「なんだ、レン。可愛い子を連れてるじゃないか。こないだの子とは、もう別れたのか?」

「適当なこと言ってんじゃねえぞ。そんなにモテたら苦労しねえって。傷付いたから一杯おごれよ」

「ケチくせーこと言ってんなよ。そんなんだからモテねーんだよ」


 出店のカウンターから手を伸ばして、アンディと呼ばれた男はレンの肩を乱暴に叩く。ばしばしと小気味良い音がして、二人は笑い合っていた。


 アンディはレンよりもかなり年上のようだ。顔に刻まれた皺や、声の質からもそう判断できる。しかし、二人はまるで生来の友人のように冗談を言い合い、対等なコミュニケーションを取っている。たまにこちらを見て、紗也のことを話題にしているようだ。


 やがて会話が途切れ、アンディが苦笑いをしながらレンに椀を渡した。椀にはスープが満たされていて、レンはアンディに軽く礼を言って、紗也にそれを差し出した。


「アンディのおごりだってよ。味は保証しねーけど」

「んだとコラ。アンディおじさんの料理は天下一品だぜ」


 レンの売り言葉に眉を寄せるアンディ。温かい椀を受け取りながら、紗也は瞳を大きくして頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」


 顔を上げると、今度はアンディが驚いた顔をしていた。


「お辞儀なんて、今どき珍しいことするな、嬢ちゃん。余程育ちが良いと見える。レンには勿体ねえな」

「え?」

「頭下げるとよ、前が見えねえだろ。その隙に荷物を取られたり、ナイフで刺されるかも知れねえ。それでなくとも、相手に頭を差し出すなんて、平和ボケしてるヤツのすることだ。気を付けな。油断してると、一瞬でカモにされて身ぐるみ剥がされるぜ」


 そう話すアンディの瞳は鋭く、貧民街で生きてきた厳しさを湛えていた。


 男の一転した雰囲気に、紗也は頷くしかない。こんな目をした人間は見たことがなかった。一介の女子高生でしかない紗也は、ナイフを突き付けられる危険に晒されたことなどないのだから。


 息を飲む紗也の背中に、レンの掌が優しく触れる。


「そんな脅かすなよ、アンディ。サヤはこの辺に来たばっかで、よく分かってねーんだよ」

「ああ、そうなのか。だったらレン、ちゃんと嬢ちゃんのこと、守ってやれよ」

「当然だろ。じゃあな、アンディ、スープご馳走さん」


 レンに背中を押され、紗也は半ば強制的に屋台から離される。肩越しにアンディに手を振ると、彼も右手を上げて返してくれた。


「悪いな、アンディが怖いこと言って」

「ううん、大丈夫だよ」

「ま、気を付けなきゃいけねーってのは正解だけどな」


 そう言って隣を歩くレンも、紗也が想像するよりもずっと厳しい環境で育ってきたのかも知れない。レンの優しさも逞しさも、そんな環境の中で形成されたレンの内面の一つなのだろう。


 レンは人懐こい笑顔を見せて、紗也の頭をぽんぽんと撫でる。


「だからサヤが記憶喪失ってのは、オレたちだけの秘密な。悪い奴らってのは、何につけ込んでくるか分からねーからな」

「うん」


 頷いて、紗也はレンから貰ったスープを一口飲む。エスプレッソカップくらいの小さな椀。しかし、冷えた紗也の体には嬉しい温度が体内を通り過ぎて行った。


 誰かと擦れ違う度、出店を通り過ぎる度に、レンはよく声を掛けられる。年齢も性別もまちまちで、紗也のお祖母ちゃんくらいのお年寄りから小学生くらいの子供まで、レンを見ると笑顔で手を振って来た。レン自身も、彼らに笑顔で応える。紗也の学校にも顔が広くて有名な先輩がいたが、これ程ではなかった筈だ。


「友達、多いんだね」


 紗也が言うと、レンは首を傾げる。


「そうか?姉貴の方が知り合い多いぜ?」


 声を掛けられた屋台に立ち寄っては、何かしら奢られる。レンも紗也も、両手にいっぱいの食料を抱えていた。レンのお姉さんと来ていたら、リヤカーくらい牽いていたかも知れないな、と紗也は想像した。


 リヤカーを牽く自分をイメージしたところで、紗也は視界に映ったものに脚を止めた。薄汚れた白い幌馬車。しかしあるのは荷台だけで、全身を頑丈そうなプレートで覆われた馬は今は繋がれていない。


「ねえ、あれ、さっきの馬車だよね」

「ん、ああ、そうだな」

「馬は何処に行ったのかな?」

「あのテントの中だろ。機能停止してると盗まれるからな」

「機能停止?」


 機能停止とはどういう状態なのだろう。睡眠ということだろうか。それにしても無機質な表現に、紗也はレンを見上げて首を傾げる。


「動力馬もタダじゃ動かねーからな。使わないときはスリープモードにしなきゃ、エネルギー喰って仕方ねーだろ」

「スリープモード?パソコンみたいなこと言うね。つまり、馬は寝てるってことでしょ」


 紗也がレンの顔を覗き込むと、紅い瞳が怪訝そうに細められた。


「機械が寝るわけねーだろ。なに言ってんだよ」

「へ、機械?あの馬、機械だったの?」

「生きてる馬なんて、ここにはいない。そんなのは絵本の中か、空想の生き物だよ」


 そう言って、彼は両手に抱えた荷物を持ち直した。麻のような素材の袋に杜撰に入れられたそれらは大体が食料で、レンの友人からの差し入れが殆ど。今度は、レンが紗也の顔を覗き込んだ。わざわざ立ち止まって、紗也の正面に回り込み体を屈める。


「お前、本当にどこから来たんだ?馬が生きているだなんて発想、普通はしない」


 鋭い、紅い瞳だった。燃えるような赤、それはきっとこんな色のことを言うのだろうな、と紗也はぼんやり考えていた。紗也の様子から、レンは回答を貰えないことを判断したのだろう。ふっと短く二酸化炭素を吐き出すと、肩を落として、進行方向に向き直る。それから、ぽつりと呟いた。


「馬だけじゃない。ここでは、人間も、なにもかも、生きているかそうでないのかを疑えよ」


 レンの言葉は音量こそ小さかったが、紗也の耳には確りと届いた。だが、意味を理解するのに時間が掛かった。彼女はレンを振り返り、見詰めた。「え?」と小さく聞き返したかも知れない。だが、レンは何も言わずに歩き出してしまった。


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