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  作者: 霜月栞那
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『実は、尚貴さんに断りなく、家に連れてきちゃったんだよね』


蒼が高宮からの御指名で家を離れて約一月。ほぼ入れ違いで取材旅行へ出る羽目になり、ようやく家に帰れる日が近づいたかと思えば、電話越しで予定外なことを宣言された。

そう、宣言なのだ。

彼はすでにその子供を拾った後だったし、事情が事情なだけに追い出せと言えるほど尚貴は鬼畜でない。

そもそも尚貴がマンションに人を呼ばないのは、職場を兼ねていることが大きな原因だ。張り詰めた空気の中で行う仕事を邪魔されたくないとの思いから、自分のテリトリーに人を招いたことはなかった。人の気配や物音で思考を止めることは何よりも堪え難いのである。

そんな自分にとって、蒼は例外中の例外と言ってもいい。彼の振る舞いと空気が尚貴にとって心地好く、今では尚貴の生活になくてはならない存在にまでなっている。

尚貴の性格を知る蒼は、寝食を共にし始めてからも尚貴のペースを崩すことはしない。共通の知人でもある天野たちを招くときでさえ、未だに尚貴に確認を取るほどだ。

今回の件が蒼らしくない、と首を傾げる原因はもう一つある。

かつて、他人を見る目にはフィルターをかける癖がある、と蒼が呟いたことがあった。周囲にいる人物が自分にとって、そして高宮にとってどのような存在になるかを量り続けねばならないのだと。

それだけに、容易く気を許す相手を作ることは叶わない。高宮という隔離された世界の住人である彼にとって、他人との無意識な接触はタブーに近いのだ。

自分の言葉がどれほど寂しいことなのかを理解している彼が、そのタブーを犯してまで拾ってきた少年。

彼の何が蒼を動かしたのかはまだわからない。見ればわかるよ、と含みを持たせた言い方に流されてみようと思った。

そして実際に彼を見たとき、尚貴は眉を潜めることとなる。


幼い頃からの美少年というよりは、これからそうなりそうな予感をさせる容姿。だが、年端も行かぬ子供という見た目と、どこか気疲れしている年齢に似合わない雰囲気が、身と精神のアンバランスさを表していて不安定だ。

彼を上から下までじっくりと観察していると、固まっていたパジャマ姿の彼は背を向け、扉を激しい音と共に閉めた。ばたばたと廊下を走り去り、向こうで顔をあわせたのだろう蒼と会話している声がソファに座る尚貴にも届く。

それを耳にしながら煙草に火をつけた尚貴は、思う存分その煙を吸い込んだ。

「―――また、随分と厄介な状態だな……」

まるで見知らぬ相手と出会ってパニックに陥った幼子のような行動に、自然と呟きが零れた。

彼の年齢から判断しても、それなりの対処はできるものだろう。だが、彼はそれをしなかった―――否、できなかった。今回の事件後からだとすれば、彼の心には半端でない傷跡が残されている。

他人と関わらずに生きていけぬ世界にいながら、自分以外の人間を拒み、心の許した相手とだけしか関われない。それで構わないと言い切るのは簡単だが、結果として狭い世界でしか生きる術を持たなくなってしまう。

何も今から周りを遮断しなくてもいい。そして周りの人間が全て害を為す者だと信じ込むには、人生早すぎる。

彼は、あの少年に自分の抱える何かを重ねたのだろう。そして、自分と似た道を辿ることがないようにと考えたに違いない。

「…………馬鹿だな」

苦い思いで呟いた尚貴の耳に、こちらに向かってくる足音が届く。

「尚貴さん、ユキに何したの」

微かに篭められた咎める声に顔を上げると、ちょうど蒼が少年を後ろに従えて入ってくるところだった。

「おまえな、帰ってきた相手に対する最初の一言がそれか?」

「オカエリナサイ」

「……つくづく失礼な奴だな」

そう溜息交じりに返した尚貴は視線を少年へと向ける。意図が伝わったのか、蒼は背中に隠れる少年に名前を言うよう促した。

「ほら、自己紹介は?」

表に出るよう背中を押された彼は、尚貴の視線を受けて僅かに後退する。だが、蒼の手と空気がそれを許さない。羽丘之路ですと囁くような小さい声に脅えが見え隠れしていて、彼の尚貴に対する第一印象を知らされる。

だからと言って、彼に阿るような事をするつもりはない。

さて、どうやって対応をするべきだろうか。そう頭を働かせ始めた尚貴を邪魔したのは、やはり蒼だった。

「尚貴さん、煙草吸うなら窓際に行ってくれる?」

「……おまえ、なぁ」

「成長期の子供に煙草の煙吸わせて良い事ないんだよ。知らないの?」

「あ、あの……」

「ん? ああ、ユキは気にしないでいいの。どうせお昼の時間だから、煙草の煙は少ないほうがいいんだし。ね、尚貴さん」

「―――……わかったよ」

之路に向けるのとは百八十度違う笑みで促され、尚貴はやれやれと肩を竦めた。

立ち上がって吸うのも面倒で、無言のまま煙草の火を消す。すると、「あ……」と小さな声が尚貴の注意を引いた。見ると、ばっちり視線の合った之路が慌ててそれを逸らす。

自分のために消させてしまった、というような意味合いだろうか。

悩んだのは一瞬のこと、尚貴は蒼に離れるようアイコンタクトを送る。

「ユキ、ここで尚貴さんの相手をしてくれる?」

「え……!?」

「大丈夫、別にとって食われたりしないって。手伝って欲しいことができたら呼ぶから、それまで座って待ってて」

いいねと念を押すその仕草は、聞き分けのない子供に対する親そのもの。蒼の施設での役割じゃないかと、尚貴は密かに苦笑する。


立ったままダイニングに向かう蒼の後姿を見つめる彼に、尚貴はソファを勧める。すると彼はあからさまに体を震わせ、引き攣った表情で尚貴を見つめてきた。そしてギクシャクと音を立てそうな動作で示された場所に座ると、落ち着きなく視線を彷徨わせる。

その様子を窺いながら、尚貴はつと眉を顰める。

―――他人が恐いというだけではなさそうだな。

たしかに蒼は彼を拾い、親身になって彼の世話をしただろう。だが、蒼への態度に頼る気配を見せるのは、共に過ごした日数の多さが理由とも思えない。

『自分より大きい人間に対して恐怖心を抱いているのかもね。僕も、尚貴さんとの電話の後で彼のところまで行ったら立ち竦まれちゃったし』

肉体的、視覚的恐怖への対応は、彼が自身と立ち向かって打ち勝つしか方法がない。ただ、その手助けはできるはずだ。

『まずは、あの子に敵ではないことを認識させないとね』

蒼の言を思い出し、思わず溜息が零れ落ちた。その途端、少年が大きく体を震わせる。

僅かな音にさえ反応するほど、彼はこちらの動きを全神経で読み取っているのだろう。それに改めて気づいた尚貴は苦笑をするしかなかった。

「あのな、もう少し力を抜いて構わないんだぞ」

「………………?」

「確かに初対面だけれどな、そこまで警戒されるとこっちもどう対応していいのか困るんだよ。それとも、そんなに神経を尖らせていなきゃいけないほど、俺が恐いか?」

「ち……違…………っ」

ぱっと顔が持ち上げられ、正面から視線がかち合う。首が取れてしまうのではないかと思うほど、即座に勢い良く否定された。

泣きそうなほど潤んだ瞳は、口よりも雄弁に彼の心境を表している。その必死さに、尚貴は唇に小さな笑みを浮かべた。

建前の行動とは思えないそれを信じるのならば、彼の中に尚貴という存在も少しは受け入れられているということか。

思わず頭を撫でてやりたくなって手を上げると、彼はあからさまに緊張を全身に走らせる。その身構え方に悩んだのは一瞬のこと、尚貴は手を当初の予定通り彼の頭に乗せた。

之路が驚こうと反応が薄かろうと、そのまま無言で彼の頭を軽く撫でる。それを繰り返していると、次第に彼の躰から力が抜けていくのを感じた。

やれやれ、と一息つこうとした尚貴は、目の前の光景に瞠目する。

「お、おい……っ」

「え……?」

尚貴の慌てた様子に彼は瞬きを繰り返した。途端に頬を伝いだした涙に気づいた彼は、はたはたと零れるそれを呆然と掌で受け止める。

泣き声を殺すというよりも、おそらくは泣き方を知らないのだろう。自分の流すそれが涙だと認識しているのだろうかと訝ってしまうほど、彼はどうしていいのかもわからないでいるらしい。

まさかこんなことで泣かれるとは予想もしていなかった。驚いたのは尚貴も同じで、お互いが出方を見合わせてしまう。それでも、我に返るのは尚貴のほうが早かった。

泣く相手は苦手なんだよ。

そう呟きながらも、尚貴は躊躇いつつも少年の肩に手を滑らせた。彼が抵抗の構えを見せる前に、懐にその発展途上な小さい体を抱き寄せる。

「や―――――いや、だ……っ」

条件反射のように動かされる腕だけを封じ込めてしまえば、ますます彼の頭は混乱するだろう。それがわかっているからこそ、尚貴は彼の抵抗そのものを抱きしめた。そしてあやす為に彼の背中を根気よく叩き続ける。

我ながらよくもこんな手のかかる相手を構うものだと思う。その反面、この行為が彼のためだけではないことも自覚していた。

この少年を手助けすることで、蒼の傷ついた過去を癒すことができればいい。

打算的な考えだ。

だが、どう言葉を取り繕ったって尚貴の想いに変わりはない。どうせならいいところ取りで上手くまとめたいと願い、結果的に二人が救われればいいと思う。

尚貴の腕から逃れようと必死になっていた之路だが、疲れたのかそれとも諦めたのか、だんだんと抵抗が弱まってきた。

その代わり、彼の手が躊躇いながらも尚貴のシャツを掴む。それを契機に尚貴は改めて彼の震える体を抱え直した。尚貴の肩に頭を凭れさせ、彼にとって楽な姿勢となるよう調整する。

再び背中を叩き始めると、やがて小さく洟を啜るが尚貴の耳に届いた。しゅん、と音を立てるその仕草はやはり年齢相応のもので、自然と笑みが零れる。

ようやく彼も落ち着いてきたのだろうか。安堵の息を吐いていると、ふいに腕の中の重みが増した。慌てて顔を覗き込むと、整った呼吸を繰り返す彼は目を閉じ身動ぎすらしない。

尚貴は赤ん坊のように安らかな表情を浮かべる少年を見つめた。

とりあえずは第一関門突破と言えるだろうか。


「ユキ、寝ちゃったの?」

視線を向けると、柔らかな表情でこちらを向いている蒼と視線が合った。どうやら食事の支度で離れていた彼は、様子のおかしい二人を見守っていたらしい。

「泣き叫んで、体力を使ったんだろうな」

「それと、寝不足もね」

頷きながら告げられたことに、尚貴は咎めるような視線を向けた。すると蒼は失礼な、と腰に手を当て潜めた声で反論する。

「僕が子供を夜更かしさせるわけないでしょう。早めに寝室へ送ってはいたけれど、あまり眠れていないんじゃないかな。たぶん、夜が駄目なんだろうね」

「人が駄目で夜も駄目とは、随分我儘なオコサマだ」

「……尚貴さん」

「わかってるよ、言ってみただけだ」

肩を竦めると、尚貴は腕の中の体を抱え直した。彼の眠りを妨げないよう、できるだけ体を揺らさないで立ち上がる。

尚貴の意図を汲んだのだろう、蒼は尚貴の進路を先回りして扉を大きく開く。

「どっちの部屋だ?」

「僕のほう。さすがに尚貴さんのほうには泊められないでしょ」

尚貴の部屋のほうが幾分か広いスペースを取っているが、その分大きめなベッドが存在感をアピールしている。

濁された言葉を感じ取って、尚貴も苦笑を浮かべた。

誰に対しても後ろめたい気持ちはないが、誰もが好意的に受け止めてくれる関係ではない。特に、今の状況下にいるこの少年には難しいだろう。

「―――って、俺はどこで寝るんだよ」

「その話はユキを寝かせてからにしようよ。扉は開けてあるから、大丈夫だよね?」

「……開けたまま寝てるのか?」

「違うよ、さっきのドタバタで閉めそびれただけ」

お昼用意しておくから、と手を振る蒼に頷き返し、尚貴は腕の中の少年をベッドへと運ぶために歩き出した。




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