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  作者: 霜月栞那
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―――おい、そっちを抑えろ。

―――なかなかしぶといな、こいつ。

―――おい見ろよ、こっちはちゃんと喜んでるぜ。


酒と煙草、そして青臭い体液の匂いが部屋中に充満していた。

嘲笑うかのように時折起こるそれが、耳の奥にまでこびりついたように離れない。

自由を奪われた四肢は思うとおりに動かせず、力任せに押さえ込まれた部分が痛む。

無遠慮に肌を這いまわる手の温度に嫌悪する。

どれだけ悲鳴を上げても、それに応える言葉も行為もない。

それどころか舌なめずりをしながら之路を追い詰める。

どんな反応を返しても彼らを喜ばせることにしかならない。

そう気づいたから、自ら意識を切り離した。

耳を塞ぎ、感覚を鈍らせ、そして自分の中に入ってくる情報という情報を全て遮断する。

それでも、一度抱いた嫌悪感は増幅して留まり、その存在感を強く表す。

這い回る感覚が之路を襲い、吐き気がこみ上げてくる。


「………………、だ……いや、だっ」

纏わりつく感覚を払う動作とともに、之路は覚醒した。

上げたままの腕が重い。魘されていたのだとわかるほど荒い息が他人事のように聞こえさえする。

どくどくと血液が勢いよく流れるのを感じながら、之路は今感じていたものが夢なのだと理解した。長い息を吐き出し、自身に落ち着けと命じる。

数度瞬くことで焦点を合わせ、之路は自分が見知らぬ場所にいることを知った。

薄暗い部屋の中へゆっくりと視線を彷徨わせる。だが、ここがどこであるのかを示すのは自分が占拠しているベッドのみ。ホテルにありがちなサイドテーブルなどは一切ない。

「…………?」

どこだ、という疑問は声にならなかった。まるで一晩中叫び続けていたかのように、喉が酷く渇いている。

汗に張り付いた前髪を書き上げようと手を動かした之路は、あらぬところに痛みを感じて呻き声をあげた。その原因を考えて即座に蘇った記憶に唇を噛み締める。


志望校からの推薦入試の結果が出たのはつい先日のこと。それに伴い親の雇った家庭教師との関係も終わりを迎えようとしていた。

『お祝いをしよう』

笑顔とともに誘い出されて外食をし、自宅まで送り届けた彼はその場で態度を豹変させる。

何の警戒心も抱かずに送られた之路は、誰もいない自宅で襲われた。意識を失い、強制的に目覚めさせられ、いつしか現れた見知らぬ男たちの手に弄ばれ―――。


精神的に拒んではいても、身体がそれを覚えている。

這いずり回るような感覚が再現されそうになり、之路は慌ててそれを意識化から追い出そうと足掻く。

他人の手が蠢く場所という場所に自らの手を這わせ、触っているのは己だと思い込ませる。それでも足りなくて、どうにもできなくて、ベッドの上で自身を抱きしめた。

唇を噛み締め、溢れ出てくる涙を堪える。

身体を好き勝手に弄んだ男たちが憎い。

今までの態度を豹変し、之路の信頼を裏切った男が憎い。

そして、男の下心を読めずに懐き続けた自分自身が憎い。

滅多にないほど家庭教師だった男に自分を見せていた日々。それは、親に振り返られない自分を見つめてくれた唯一の人間だったからだ。

「―――――――……っくしょう」

人の目が向けられることに喜び、溺れ、そして自身の目を曇らせていた。

彼に甘えを見せた過去の自分が蘇り、その事実が之路に更なる嫌悪感を募らせる。

感情の赴くままに二の腕を掴んだ。きっと痣になって残るだろうが、今の之路には構う余裕が無い。しがみ付くものがなければどこまでも沈んでしまいそうになる。

『……大丈夫だよ』

之路の肩がぴくりと反応した。指に篭めていた力が弱まり、食い縛っていた唇を解放する。

―――――誰の声、だろう。

柔らかく、穏やかなそれに覚えはない。それなのにたった一言で之路の意識を横に反らしてしまう。

内側に溜まってしまった重い息を腹の底から吐き出し、之路は伏せていた顔を上げた。強張ってしまった身体を動かし、改めて部屋の内装へと視線を向ける。

シングルベッドと壁一面のクローゼット、ただそれだけが置かれているいたってシンプルな部屋だ。窓には遮光カーテンがつけられており、今のままでは外が晴れなのか雨なのか、そして昼夜の確認もすることができない。

窓へと手を伸ばした之路は、そこで初めて自分の着ているものがパジャマであることに気がついた。そして肌という肌に清潔感があることも。

ここでようやく、之路に声をかけてきた青年を思い出した。雨の中、自分が濡れるのもかまわず之路に傘を差し出した彼が、ここに連れていたのだろうか。

だが、何のために。

瞬間的に浮かんだ行為に、之路は頭を振る。

背を押すような言葉、奇麗なパジャマ、そして不快感を覚えない空気。

それしか判断材料を見出すことはできないけれど、少なくとも男たちとは違う。そう思いたがっている自分がいる。

これ以上心拍数が上がらないようにゆっくりとした呼吸を繰り返しながら、之路は床へと足を下ろした。ゆっくりと扉の前まで進むと、その前でごくりと唾を飲み込み、これからやろうとしていることを覚悟する。

音もなく開いた扉から部屋を抜け出し、之路は左右に伸びる廊下で立ち止まった。辺りの気配を窺い、躊躇いながらも人の気配のあるほうへと足を向ける。

廊下の角を曲がった先の部屋に明かりが見えた。僅かに洩れ聞こえる声音が、ここに人がいることを証明している。


―――ここに、彼、がいるのだろうか。それとも……?


迷いながらも足を進めた之路は、ガラス越しに中の様子を窺った。

こちらに背を向けて立っている青年の姿があり、どうやら彼が洩れ聞こえる声の主らしい。人のいない壁に向かっていることから、電話中であることが窺える。

背格好は、あの時の青年に似ていると思う。断言できないのは、之路にとって逆光であったこと、そして何よりも彼を真正面から見ようとも思わなかったことが原因だ。

電話が終わるまでこの場で待とうか。

その後姿を見つめながらドアノブに手をかけた之路は、指に力を篭められないことに気がついた。爪先の神経が凍り付いてしまったように、之路の意志を無視して小刻みに動いてる。

怯える心が之路の身体を震わし、ドアノブにかかった指が音を立てた。微かな音に身体を強張らせた之路は、ガラス越しの視線を感じて目を見開く。

先ほどまで背を向けていた青年が、身体ごと之路を振り向いていた。受話器を手にキャビネットへと凭れ、入って来いと手招きをしている。

それでも足が竦んだように動かない。

彼が誰なのか、どうして之路を拾ったのか、そして、なぜここまで之路に手をかけるのか。

彼を疑う前に、お礼を言うべき立場にあることは分かっているつもりだ。それでも、沸きあがる猜疑心を抑えることができない。

まるで長時間塞き止められていた川のように、血液が全身を巡っていく。激しい音を立てて動く心臓に振り回され、浅い呼吸を繰り返した。


――――恐い、こわい、コワイ。


退くことも俯くこともできず、その場に立ち尽くす之路を影が覆った。部屋から洩れる明かりが青年の表情を隠し、細身であろう体型を大きく見せる。

「ぁ…………っ」

呪縛が解けたように思わず後退すると、一瞬の間を置いて彼が身体の位置を変える。途端に光が廊下まで差し込み、その眩しさに之路は目を細めた。

「もう起きても平気?」

柔らかなテノールが縮こまった之路の心をふんわりと包みこむ。恐る恐る視界を開くと、声を裏切らない表情で青年がこちらを見ていた。不安気な視線で見上げる之路に、彼は安心させるような笑みを浮かべる。

「いくら冷暖房完備でもそこは寒いよ。風邪を引くからこっちにおいで」

「あ、あの…………」

「ほら、いいから入りなさい」

扉を更に大きく開いた彼が再度之路を促す。

部屋と彼とを見比べた之路は、深い呼吸をして逸る鼓動を抑えこんだ。




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