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「そう考えるのが、一番妥当だろうね。“失敗”して産まれてしまった、たくさんの仔犬たちを、上戸という人物は灰にして、庭に埋めてたんだ。だから、明るみには出せない闇の商売だったのだろうよ。新村君が、竹炭を作るような設備を見たって言ってたけど、多分それは、煙をたくさん出さない為の工夫さ。その方法を執れば、煙はそんなには出ないんだ。距離が離れていれば、それほど焦げ臭さもないよ。今の法律だと、焼却炉を勝手に使う事は違法だからね、周囲の人達にそれがばれないようにしなくちゃいけなかったんだ」
次に質問をしたのは、高野さんだった。
「……なんだって、」
非常に真剣な面持ちだ。
「なんだって、上戸って人は、この環村に引越して来たのだろう?」
里中は、その問にも整然と答える。
「一番の要因は、土地でしょうね。高級雑種犬販売をやるには、その設備の為に土地がある程度は必要だったけれど、都会じゃ高くて手が出ない。あまり目立ち過ぎるのもいけない。ならば、僻地でやるしかないですが、それだと他の面で色々とデメリットがある。しかし、この村は僻地であるにも拘らず、色々と便利だった。何より、ネット設備が整っている。商売取引は、ネット上で闇に紛れて行っていたのでしょうし、単価の高い商品だから、ネット設備さえ整っているのであれば、交通の便の悪さはそれほど問題にはならない。つまり、上戸という人物にとって、この環村は、当に打って付けの土地だったのです」
なるほどねぇ
情報技術の進歩が、村にとんでもないものを招き寄せてしまったって訳か。
……だが、しかし、この上戸という人物、それほど頭が良いとも思えないな……、田舎は人が少ないだけに、一人一人が目立ってしまうんだ。奇妙なでかい家を建てて、そんな商売を隠してやれば、注目をされて様々な問題が発生するだろう事は目に見えている。
否、或いは、上戸という人物には、その感覚が理解できなかったのかもしれない。都会で生まれ育ったような人間ならば、有り得る事だ。これも、つまりは、文化のギャップの一例なのだろう。それが怪異を呼ぶのだと、確かそんな事を、里中は言っていたように思う。
「しかし、何処からか、その情報は漏れていたのでしょうね。だから、犬舎では、上戸家への犬の販売を停止した。元々、異常な量の犬を買っていた訳だし、怪しまれても無理はないですが」
「ちょっと、いいかな?」
そこで口を挟んだのは、新村だった。
「その情報が、デマだったって可能性はないのか? 犬舎は、勘違いをして、販売を停止していたって可能性は? それをしっかり確かめなければ、高級雑種犬販売なんて商売が行われていたっていう証拠にはならないのじゃないか?」
そうか。新村は、未だに、上戸家“犬神”説を信じたがっているのだ。だが、新村の言う事も一理ある事はある。
「うん。僕もそう思ってね。それも、ちゃんと調べてあるよ。大平おばあちゃんに頼んだのだけど、ネットでそれを見付けて来てくれた。ちゃんと、あったよ。高級雑種犬販売の商売が… それが見付かったっていうから、僕がここに来るのは遅れたのだけどもね」
それを聞き終わると、新村は黙り、中年男性達の一人が呟くようにこう言った。
「そんな、仔犬をたくさん殺すような商売してやがったのか、あの野郎は… なんて、酷ぇ…」
ところが、それに対して、驚くべき人間が反論をして来た。
「そうかしら?」
郁子だ。
郁子は、上戸が仔犬を殺していたという話を聞いて、静かな怒りを燃やしていたように思うのに。何故?
「確かに酷いとは思うけど、酷いと言うのなら、私達も同じなのじゃない?」
「どういう事だよ?」
「例えば、保健所。たくさんの犬や猫たちが毎日殺されてる。いいえ、それは保健所に限らないし、犬や猫に限った事じゃない。私達は、毎日たくさんの生き物を殺して、そして自分達が苦痛を感じない範囲でならば、それを無視している。それが悪い事だなんて私は言うつもりはないわ。だって、そうじゃなければ、私達は生活してはいけないもの。だけども、それは私達が酷い行いをしていないのとは同義じゃない。直接に触れて、殺しているかどうかの違いだけで、私達だってきっと、その上戸って人と同類なのよ。牛を私達の代わりに直接殺して肉にしてくれている人達の事を、酷いだなんて言うのは理屈が通らないでしょう。犬や猫は可愛いから、商売上の理由で殺すなんて嫌だって私は思う。だから、上戸って人に対して文句も言うと思う。けれど、それは飽くまで私のエゴなんだわ。上戸って人が、特別酷い存在なのじゃないと思う」
郁子は、なんだか必死に、不器用ではあるが、説明をしようとしていた。何となくではあるがその言いたがっている事を、俺は理解できた気がする。そして、それは、その中年男性にも伝わったようだった。何も返せないでいるようだ。
郁子の弁が終った後で、俺は里中に向って言った。
「上戸家の秘密に関しては大体分かったよ。しかし、それと“犬神騒動”がどう結び付いてくるんだ?」
肝心のそれは、まだ、全く分かっていないじゃないか。
それを聞くと、里中は少しばかり困った顔をみせた。そして、俺ではなく、村の人達を見ながらこんな事を言う。
「それを説明する前に、僕は少し言っておかなくちゃならない事があります。村の人達にとって、これは或いは覚悟がいる事かもしれませんので……」
なんだろう?
俺は村人達の顔を見た。中年の男性達の顔だけが、明かに目立って強張っていたように思える。
「何か議論をし、物事を決定する為には論理学が重要です。そして、それは何かしらの論理タイプに乗っ取ったものでなくてはならない。じゃなければ、統一性のある整然とした議論にはならず、場は混乱をしてしまいます。ところがですね、その論理タイプは一つじゃないんです。だから、どの論理タイプを執るべきなのか、そのメリットを把握した上で考えなくてはならない。例えば、西洋のものと東洋のものじゃ、それは大きく違うらしい。詳しくは知らないので、本の受け売りの知識になってしまいますが、西洋と東洋の論理学を比較した場合明確な差が見られるのだそうです。西洋の論理学は、客観的な一つしかない正しい事実を求める為に、その体系が発達をし、東洋のものはそこに感情の要素が入って来る… つまり、相手の感情を考慮し、いかにそれを調停するか、懐柔するか、というポイントが出てくる、らしいのです。ただ、これはその著者の見解であって、それが本当に正しいのかどうか、安易に判断を下す事はできないとは思いますが。僕は東洋の論理学は、世界を客体として捉えるのではなくて、主体として捉える観点から出発をしたのじゃないか、と考えています。だからこそ、感情の要素も含まれて来たのじゃないか、と。東洋思想は、実は、量子力学という物理学の分野の成立に深く関わっているのですが、もし東洋思想が、感情の要素が入っただけのものならば、そんな影響力は持たないのではないか、と思えますから」
里中は、長広舌も長広舌に、それだけの事を一気に語った。しかも、一見にはどう関係があるのか分からないような内容のそれを。ただ、それでも俺達は何故かそれを静聴していた。
その真剣な表情に、何か口出しできないものを感じていたからなのかもしれない。村の人間達は、皆、里中に注目をしている。
「ですが、東洋思想に、感情の要素が深く関わっているという点は、否定できない事実でしょう。全体ではなくても、一つの要素としてはそれは間違いなく、ある。と僕はそう考えています。そして、その側面から捉えるのであれば、東洋の論理学の至極は、人の気持ちを操作し、心理的な観点から物事を巧く治める、という事になるのかもしれません。個人並びに集団の関係や心理に発生してしまった、濁りや歪みを払い落とす……、 ああ、少し話がずれてしまいましたが、だから、例えば西洋の論理学では、正しい結論を、相手の事を慮って歪めてしまう、などといった事はしてはならない禁忌なのですが、東洋の論理学ではそうではなく、むしろ積極的に活用すべきものなのですね。ですが、この二つが全く相反する別々のものなのかといえば、それも違います。この二つは相補的なものとして捉えるべきだ。しかも、充分に感情のコントロール能力が発達をした人間達同士で行われる論戦は、この二つを両立させる事が可能です。そして、もし、村の復興を願いたいと想うのならば、今それがこの場に必要になって来ます。先に僕は、どんな論理タイプを執るべきか考えなくてはならない、と言いましたが、この場では、感情を考慮する論理も、自然科学のように事実のみを追及する論理も、両方必要なのです」
里中はそこまでを言うと、少し黙った。村人達……、否、その中の中年男性達に目をやる。
覚悟はありますか?
そう言っているのだ。多分。
「そして、自然科学には、“充分な量の正しい情報”が必要なのです。もし、それらを明かす事が、あなた方の心の重みになるとしても、です。だから、あなた方にはそれらを語って戴かなければならない。それがなければ、適切な結論は出せないからです。二つの論理方法を両立させて、論を展開する為には、それらがどうしても必要なのです。“犬神騒動”を闇に隠された怪しげな事件などにはせず、光を当てて照らし、その闇を解消する為には。
さて。
その、心の準備はできているのでしょうか?」
それを受けると、衆人が見守る中で、リーダー格の男がおずおずと口を開いた。
「それで、本当に、村が立ち直るのなら……」
衆人の前でそれを言える程の想いがこの男にあったのか、それとも、衆人の前だからこそ、言わざるを得なかったのか、それは、俺には分からなかった。しかし、それでも、とにかく、男は覚悟を口にした。
里中はそれをしっかりと聞いてから、ゆっくりと続けた。
「分かりました。では、続きを言います。先にも話した通り、上戸という人物は、犬を需要していました。商売の為に、ですね。だから、犬を犬舎から購入できなくなってとても困ったでしょう。雑種犬を生ませようにも、その材料となる親犬がいないのでは、どうしようもありませんから。ならば、普通ならば、どうやってそれを解決しようと考えるでしょうか?」
「別ルートから仕入れる?」
間を空けずにそう言ったのは、田村だった。
「そうですね。現実的に考えて、それしか打開策はないでしょう。そして、上戸屋敷が置かれた状況下で、一番身近にあるその別ルートは何だったのしょうか?」
もしかして…
俺はそこまでを聞いてハッと気が付いた。そして、思わず言ってしまった。
「もしかして、だから、それで、村人達は、犬を購入し始めたのか?」
里中は俺を見る。
「そうだね。一番手近に在る、犬を購入できる別ルートは、この環村の住人達だったんだ。都合が良い事に、この環村の住人達は、上戸屋敷で何が行われているのかを知らなかった。だから、大金を積めば、簡単に譲ってもらう事ができた。そして、上戸氏が、その話を持ちかけたのは、恐らく、ここにいる誰かなのでしょう…」
「察しの通り……」
その言葉で、動いたのはやはり中年男性の内の一人。あの、リーダー格の男だった。
「まず最初にその話を上戸から持ちかけられたのは、この俺だよ。偶々、その時に犬を買っててよ。子供にせがまれてな。少し高い犬で、十何万かしたんだが、その頃は結構金を持っていたから、大して気にもしなかった。そしたら、上戸の野郎は、その犬を買いたいと言い出しやがったんだ。しかも、買った倍近くの値段だった。どういう理由で欲しいのかは分かってなかったが、俺はそれをオイシイと思って、承諾したんだよ… 犬ならまた買えば良いと思ってたんだ。ところが、それで話は終らなかったんだな」
「上戸氏は、あなた以外の人間にも、犬を買いたいと話を持ちかけていたのですね?」
「そうさ。で、どういう事だろう?ってそいつと俺は話し合ったんだ。何で犬をこんなに欲しがるのかは分からない。しかし、犬が高く売れる事は事実だ。ならば、試してみないか?と。二人で金を出し合って、何か高級犬を買う。そしてそれが、上戸に売れるかどうか……。そして、もし売れるのであれば……、」
「うまい儲け話だって訳かい…」
飽きれた声で、その言葉を繋げたのは高野さんだった。
「恥ずかしながら、その通りさ」
男はあっさりと認める。
本当に自分の恥を晒す覚悟ができていたのだ。
「そして、犬は売れた。簡単に。俺達はそれで有頂天になったんだよ。簡単に大金が稼げそうだぞ!ってな。上戸のやっている事を知らなかったから、なんだか、無限に上戸が犬を買ってくれるような気になってたんだ。あいつが無限に金を持っている訳じゃないのに、何故かそんな気になってた。もう、興奮状態で、正常な判断力がなくなってたんだな。今にして思えば、馬鹿な考えだったよ。で、俺達は犬を買い始めた。それを上戸に売る為にな。自分達だけで甘い汁吸おうと思って、周囲の人間達にはそれを内緒にしてたから、不思議がられたし、不気味がられてもいたよ。俺達のその行動は」
そんな事だったのか…… “犬神騒動”は。
だが、それだけなら、おかしい。辻褄が合わない。“犬神騒動”に巻き込まれたのは、もっと多くの人達だったはずだ。それに、巻き込まれた人達は、財産を失っているとも聞いた…
「ほとんどの犬は売れたよ。俺達は大喜びだった。だが、ある程度犬を買った所で、俺達はペットショップから疑われ始めたんだ。もしかしたら、上戸家に犬を売っているのではないですか?ってある日言われた。で、俺達はその予防策として、村の他の連中から犬を買う事を思い付いたんだ。買う理由は伏せたままで。ま、上戸と同じ思考をしてたんだな」
なんだって?
つまり、ペットショップから犬を購入できなくなった為に、上戸は村人から犬を仕入れる別ルートを思い付いたが、その村人も犬の販売を拒否されるようになり、更に別の村人達から犬を仕入れるルートを開発した、のか。
流通が、全く同じ仕組みで、二重構造になっていた訳だ。しかも、それは、隠し事によって成り立っている流通体制……
隠す事によって生じる闇。こちら側とその闇の境界に、確か、妖怪達は跋扈するのじゃなかったか?
まさか、
“犬神”は、そうして、作用してしまったのだろうか?
否、これは“金霊”なのかもしれない。
「もちろん、人を多く介した分だけ、犬の値段は上がってたんだが、それでも上戸は犬を買ったんだ。だから、俺達はこの方法でいけると思って、それをしばらく続けたんだよ。ところが、俺達が犬を欲しがっているってそれでかなり皆に知られてしまった。しかも、皆、俺達が大金を稼いでるって知ってたから、犬を手に入れて俺達に売れば金が稼げるって思ってしまったんだな。すると、事態は俺達の予想を越え出してしまった。多くの人間が犬を欲しがり始めたんだ。元々理由は隠していたんだが、もう、何で、とかそんなものは、そうなって来ると関係なくなってたな。とにかく、犬を買って売れば金が稼げる、ってそれだけしかなかったんだ。俺達以外の所でも、犬の売買が行われ始めたよ。それで、俺達に犬を売らなくても、金を稼げるようになってたんだな。自分が買った犬を、他の人間に高く売れば、それで稼げる訳だから。しかも、さらに悪い事に、その内、ペットショップや犬舎は、この環村全体を疑い始めてしまったんだ。村全体で、上戸家に犬を流しているのじゃないか?ってな。で、環村への犬の販売を全面停止したんだ。すると、もういけない。皆が欲しがっているのに、犬の数は少ないものだから、犬の値段はどんどんと高騰していった。犬の売買によって大金が転がったよ。皆、憑かれたように犬を買い合った。噂じゃ、男達ってなってたみたいけど、中にはもちろん女連中もいたよ。だけど、そんな状態になっても、俺は平気だと思ってたんだ。上戸は必ず犬を買うって、何故かそう思ってたんだ。犬を欲しがるその理由を知らなかったから、勝手にそう思い込んでたんだな。だから、気付いたら借金までしていたんだよ…。もちろん、借金をしたのは、俺だけじゃなかった。だが、しかし、上戸はもう犬を買いはしなかったんだ。幾らなんでも、そんなに高くなっちゃ買う訳にはいかないよな。商売にならないものよ。理由を知った今は簡単に納得できるよ…… そして、それで、犬の値段は暴落した。つまり、それで、俺達の身には借金と、そして大量の犬だけが残る事になってしまった訳だよ……」
群集心理。
集団心理。
人は、群れて何か行動をすると、危険になる。興奮して、正常な判断力を失ってしまう。
俺はそれを聞きながら、再びそれを思い出していた。
何故、金が稼げるのか、その理由が隠される事によって、その現実は境界線の外へと行く。そして現実には、大金が入る、という事実だけが残る。すると、神秘的な何かが働いていると勘違いをしてしまって、幻想を抱いてしまう。それが個人の中の幻想ならばまだ良い。しかし、それが、今回の“犬神騒動”では、皆に伝染をしてしまった。結果的に集団心理によってその幻想は、信頼できる事実として固定をしてしまう。
皆が犬を売買している。しかも、それによって大金を稼げている。ならば、自分も……、と大抵の人はそうなってしまう。
“蛇が這っていた”
“いっぱい”
大平おばあちゃんの言葉。
………、
なるほどな。
チョビを、何故、村全体で飼う事ができていたのかも、これで分かった気がする。犬達は、むしろ、犠牲者だったのだ。自分達の愚かな行いの。忌むべきものなどではなくて。だから、チョビを育てる事は、償いのような感覚であったのかもしれない。村人達にとって。
男の語りが終ると、里中が口を開いた。
「金には、二つの性質があります。物の価値を示す記号としての性質と、それ自体での実体としての性質です。実は、言葉にも二つの性質がありまして、記号としての性質と、実体としての性質がある。だから、言葉それ自体で発展をする事ができるでしょう?言葉は、言葉自体で意味を作り出す事ができる。そして、時には、それが暴走する事だってあります。実は、金、つまり通貨の場合もそれは同じなんですよ」
里中は、淡々とただ語る。
「通貨が、記号としての性質を維持している本来ならば、もし物価が上がれば需要は減ります。物が高くなれば、それを買おうと思う人は少なくなる。しかし、もし仮に通貨の実体としての性質が優位に立ち、通貨を得ようとする目的で商品を需要した場合、その作用は起きないのです。その商品を売る事によって、金を稼げるのであれば、物価が高騰する事は、逆にその需要を上げてしまう。何故なら、物価の高騰は、金を稼げる証拠になるからです。そうして、それは商品の本来の価値を離れて、限界まで上がり続けて崩壊を向える。それが、バブル経済の正体です」
バブル経済?
俺はそれを聞いて納得をした。
そうか、この村では犬の値段が、その存在の価値を離れて、上がり続けていたのか。そう言われてみれば、確かにこれはバブルだ。
「バブルが起こる一番の代表例は、土地や株ですが、それは起こり易いというだけの話で、本来ならば、売って金を稼げるモノならば、どんな商品にでも起こります。300年前オランダではチューリップでバブル経済が起きましたし、日本の明治時代には、ウサギでバブル経済が起きました。そして、だから、もちろん、“犬”でだって、それは起こるのですよ……」
つまり、里中は、“犬神騒動”は、通貨の性質と、経済の仕組みが偶然に齎してしまった厄災だと言いたいのだろうか?
否、この事件は、それだけじゃない。重要な事実が隠されていたという点、それと、恐らくは、上戸という人物と、この環村とがそれぞれ持っていた文化のギャップ、それらが人々の間に境界線を作りだし、その境界線に妖怪が沸いたのだ。金の実体としての性質を、金霊とするのなら、闇に隠れて、金霊が沸き、皆それに憑かれてしまっていたのだ。
それがこの事件の正体。
幻想が実体を持ち、人々を混乱させ、村を衰退させてしまった。
突然に、大金が舞い込めば、嬉しいを通り越して、それはおっかないのだ。
「そして、これは個人に責任があるような現象ではありません。先に新村君が、“犬神騒動”を恥じ入る事はないと言いましたが、それはその通りなのです。日本社会だって近年バブル経済によって狂い、それによってたくさんの死者を出してしまった。土地の値段は下がる事はない、という“土地神話”……、つまり、幻想を信じ、自らを滅ぼしたのです。何故、土地の値段が下がらないと言えるのか、そんな事は少しも考えず、ただ土地や株を売り買いすれば大金が手に入ると、狂ったように、売買を行ってしまった。集団心理によってです。あなた達が、合理性を失って犬を売買して、大金を転がしていたように…」
里中は、そこで少し黙った。そして、こう言う。
「……“憑き物”は実際に存在するとは思いませんか? こういう考え方をしてみると、僕はその存在を信じても良いように思うのです。実際に、実体のない幻想が、現実社会に影響を与え、人々を動かしているのですから… 社会は、大きな“金霊”に、憑かれていますよ。そして、この憑き物に抗えるのは、余程賢明な、しっかりとした個を持った人物だけです。18世紀に起こったイギリスのバブル経済では、なんとあのニュートンまでがバブル経済で失敗をしています。始め、ニュートンは株の高騰を危険視していた。しかし、結局は、その理性をもってすら、その集団心理が生み出してしまう幻想には克てなかったのです。それだけ、この群集心理が引き起こす現象はとんでもない化け物だという事です。だから、ですね。あなた達は、間違いなくこの現象の被害者なんですよ。決して加害者なんかではない」
里中は、皆を説得しながら慰めているつもりなのだろう。ペダンチックな知識を駆使して。語り続けた。
「バブル経済が崩壊した後は、その影響で残ってしまった借金によって、不景気になります。この環村も、恐らくそうだったのでしょう。借金があれば、消費は減ってしまいます。すると、商品が売れなくなって、通貨を得られない人が出てくる。すると、そういった人達は失業者となります。この村の場合ならば、村の外部に出て行ってしまうのでしょう。失業者が出ると、消費者が減るのだから、更にそれで商品は売れなくなって、また通貨を得られない人が現われ……、という悪循環を繰り返し、どんどんと社会は衰退していく事になります。そしてそれが、今のこの村の現状です」
「そうさ」
そこまでを語った時だった。高野さんが発言をした。
「その通りさ。そして、さっき、あんたは、それさえ明らかにすれば、この村を救えると、確かに言ったよね?」
………里中は、これで事件の凡そを語り終え、公にし、謎を解き明かした事になる。“犬神騒動”で何が起こったのか、俺達は理解する事ができた。しかし、それだけでは駄目なのだ。里中は、この村を救えるとそう言った。その為に、犬神騒動の当事者達は恥を忍んで、正直にそれを語ったのだ。語らせた今になって、それができないで済まされるはずはない。
――しかし、
そんな事、本当にできるのだろうか?
俺は疑問に思った。
今の世の中の常識には、そんな事が簡単にできるというモノはない。経済の復興は困難な作業なのだ。
高野さんの問いを聞くと、里中は、
「いいえ、僕はできるかもしれない、とそう言ったのですよ。確証は明言していません」
と、そう答えた。
「なんだって?」
高野さんはそれを聞くと、やや怒りを見せる。
俺は緊張をした。
――嘘だったのか?
――皆を騙していたのか、お前は?
しかし、それから、里中は間を持たせてからこう言った。
「――ただ、」
ただ?
「今のところ、僕は、それができない要因を見付けられてはいません。だから、今の段階では、できるだろうと、そう判断しています。僕は、今日の午後の半日をかけて、その為の計算をしていたのですよ… さて、これからが、数学を土台にした論理体系、西洋の論理学、その本領発揮です」
………次の日の午後、俺達は環村を跡にした。移動に時間がかかる事を考え、その日の午前中の全てを調査に当て、午後一番で帰る事にしたのだ。その調査は田村主導で行われた。もう村人の反対はなかったのだ。否、むしろ村人達は協力さえしてくれた。つまり、里中は、村人達の説得に成功をしたのだ。俺達が調査(なんか知らないが、俺まで協力させられた)をしている間、里中は村の人間達に頼まれ、復興する為の具体的な方法を説明していたらしい。そして、環村からの帰り道で、里中はこんな事を俺に言った。「環村は、まるでバブル崩壊とその後の展開、その日本経済の小さなモデルのようだった」と。だから俺は問うたのだ。そうならば、お前の説明したあの方法で、この社会を救えるのか?と。すると、里中はあっさりとこう答えた。
「……救えるはずだよ」
俺はそれを聞いて疑問に思ったのだ。ならば、何故、里中はその方法を提示しないのだろうか? この社会に。
あの後、里中が村の人達に語ったその凡そは、俺が以前に里中から聞いた、あの経済理論と同じだった。
ただ、その凡そを語った後で、里中はこんな事を付け加えた。失業者は、人手が余る事によって発生する。そして、人手が余るのは、生産しているモノが消費されなくなるのが原因。つまり、生産物が余剰にあるのだ。ならば、失業者を働かせる為には、消費される生産物を別に作ってやれば良い。つまり、仕事を作ってやれば良い。仕事を作る為にはどうするべきか? その為には、何が今社会にとって必要なのかを調査し、その必要なモノを得る為の設備やシステムを整えれば良い。そうして、そこで作られる生産物を消費し続ける体制さえ作れば、それが仕事になり、自然にそこで人々は働く事ができる。
ま、つまりは、村を復興させる為には、環村が発展した経緯と同じ事をやれば良い、という事を言ったのだ。ただ、もちろん、国からの補助は期待できないから、設備を整える為には、自分達で資金を出し合う必要があるのだが。
ただ、これは前提として、新たに作りだすその生産物を、人々が消費し続ける事が絶対条件としてある。そして、それが最も難しい。しかし、それは環村の場合、村人たちの暗黙の了解の、隠れた約束事にしてしまえば問題はなかった。つまり、絶対に消費される商品を作る。そうすれば、村人達が共同で始める事業はほぼ確実に成功する。因みに断っておくと、絶対に消費しなくてはならない商品を作り、通貨を生活者が多く支払っても、この環村の様に平均的な所得の社会の場合、生活者達の負担にはならないらしい。通貨を多く支払えば、それは別の生活者を経て循環をし、再び自分に戻ってくるからだ。出費が多くなれば、収入も多くなるのである。つまり、金は天下の周りもの、という訳だ。通貨が巡る場所が増えれば、それだけ経済は発展をする。
もちろん、これには具体的な通貨の流れの計算が必要だったが、どうやら、その作業を、里中はあの午後の時間の全てを費やして行っていたらしいのだ。
………。
環村の“犬神騒動”のレポートは、やはり田村が中心になって纏められ、そして、インターネット上で公開をされた。環村の怪しい噂。“犬神騒動”は、それで完全に解体をされ、消えてなくなった。そこには既に妖怪はいなくなっていた。“犬神騒動”は、社会と経済の構造が齎した、ただのエラーになってしまっていたのだ。そして、もちろん、そのお陰で、もう環村は怪しげな村ではなくなった。
それから数ヶ月が経ったある日、俺は再び里中に会う機会を持った。その時に、俺はあの環村がどうなったのかを尋ねてみた。里中は、帰ってからも環村から度々意見を求められていたらしく、その事情に詳しかったのだ。それによると、村の復興の経過は順調であるらしかった。村人たちが必要だろうと選んだ事業は、ゴミのリサイクルシステムや、処理システムだったらしい。その作業に人々は通貨を支払い、だからそれは商品として成立する事ができ、たくさんの人が再び働け、生活ができるようになった。外から人を呼べたのは、もちろん、俺達のレポートによって環村の悪い噂が払拭をされていたからだ。環村の人達は、むしろ積極的に、俺達のレポートを活用し、入村する労働者を説得したのだという。
そうやって、生産物の種類を増やし、通貨の循環する場所を少しずつ増やしていけば、やがて、あの村は以前のような状態に戻るだろう、とそう里中は語った。
「もちろん、経済が成長すれば何でも良いって訳じゃない。必要以上に人々が働く事はないし、必要じゃない生産物を生産する必要もない。だからね、その見極めは肝心なんだよ」
俺はその、環村の経済事情が順調に回復をしているという話を聞き、あの帰り道で自分が感じた疑問が再び沸き上がるのを感じていた。日本経済の置かれた状況と環村の経済状況が似ているのであれば……、
「なぁ、日本もまだ何とかなるのかな?」
俺はそう言った。
里中はくすりと笑う。そして、
「何とかなるはずだよ」
そう言った。
俺は、なんとなく、その言葉を信じてもいい気になった。
「もっとも、その前に、何に憑かれているかを自覚して、それに真正面から立ち向かう必要がある訳だけど…」
里中はその後で、そう語る。
きっと、それが一番難しいのだろうな、とその後で続ける。俺も心の中で、同じ事を呟いた。




