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 新村は余程腹が減っていたのだろう。一気に(俺達に見守られながら)全部食べ終える。食べ終えるとようやく間ができ、やっと質問ができた。

 「それで、何か発見があったのか?」

 一応、訊いておくべきだろう。

 もっとも、何も言わなくても、こいつは勝手に喋り始めていただろうが。

 「あったよ。もう凄い事が色々と分かった……」

 教えてもらった場所に行くと、上戸屋敷はまだ廃墟となって立派に存在していたらしい。表札にも、きちんと“上戸”と書いてあったそうだから、まず間違いはないとか。とても大きい屋敷だったという。門は固く閉ざされていたが、新村はそれをよじ昇って超えたらしい(すごーい 新村くん)。玄関のドアは開いていて、屋敷内部は簡単に探検できた。

 屋敷の内部を彷徨ってみて、新村は驚愕した。それは、どう見ても、愛玩動物として犬を飼う為の設備には見えなかったからだそうだ。段組で、犬を入れておける空間が立体的にあり、ペットショップの動物を入れておくスペースにもそれは似ていたが、それともやや違っている。効率良く、犬を保管しておく為の設備、と言ってしまうのが一番適していたらしい。

 仔犬用の保育器のようなものもあり、それでどうも、外から犬を連れて来るだけじゃなく、犬を屋敷内で増やしていたらしい事も分かった。

 庭も、犬の運動の為なのだろうが、とても広かったようだ。そして、裏手に回った時に、新村は妙なモノを見付けた。

 それは庭に掘られた大きな穴だった。オガクズが大量に詰まっている。中心部は焦げていて、黒くなっている。

 竹炭なんかを作る時に使う、時間をかけてゆっくりと物を燃やしていく為の設備に似ていると、それを観て新村は考えたらしい。そして、そんなものが、何故、こんな場所にあるのか不気味にも感じた。

 よく観察すると、土を掘り返したような後が、あちらこちらにある。それで、新村は、廃墟から土を掘り返すのに都合の良さそうな板切れを拾ってきて、その場所を掘ってみたのだそうだ(それで新村は、汚れていたのだ)。

 すると、

 中からは、骨が出て来た。しかも、大量に。そして、その骨はもちろん、

 「どれも獣の骨のようだった。恐らくは、犬のものなのだろうね。小さいものが多かったけど、中には大きなものもあった」

 新村は神妙な顔つきになって、そう言った。

 「上戸は、犬を殺していたんだ。オガクズを詰めた穴を使って、少しずつ灰にしていった。それに、何の意味があるのかは分からないけど、恐らくは、何らかの術式だったのだろうと思う。

 これは本物だよ! 犬は、愛玩動物として飼われていたのじゃない! 犬神を作り出す為に、上戸は犬を集めていたんだ!」

 興奮している新村は、もうすっかり“犬神”の存在を信じきっているようだった。まぁ、確かに、そんなモノを見て来た後ならば、そんな気分になっていてもおかしくはないかもしれない。俺だって、話を聞いているだけでかなり不気味に感じた。

 明かに異常だ。

 上戸屋敷の様は。

 正気の沙汰じゃない。

 里中を見る。里中は、また何かを考え込んでいるようだった。

 「僕はこれから、この村の飼い犬たちを観察してくるよ! 本当は、もう少し、上戸屋敷を探検したいのだけど、そんなに時間はないからね!」

 俺はそれを聞いて、焦った。

 新村が、村の人達の気に障るような事をするんじゃないかと心配したのだ。俺達は、余所者なのだ。それで、

 「おい、あまり、失礼に当たるような事をするんじゃないぞ!」

 と、声をかけたのだが、新村は「大丈夫、大丈夫」などと言って、どうもあまり理解していない様子で、そのまま外へ出て行ってしまった。

 かなり心配だが、言って止まるようなヤツじゃない。まぁ、仕方ないだろう。

 里中は、それを見送ると、フイと消えた。また、自分の部屋に戻ったのかと思ったが、足音は階段を昇ってはいなかった。何処に行ったのかと思って探してみると、昨晩、大平おばあちゃんと一緒にいたパソコンのある部屋で、また大平おばあちゃんと一緒にいた。昨晩と同じ様に、大平おばあちゃんはパソコンを動かしている。

 里中は、大平おばあちゃんに何かを言っていた。大平おばあちゃんは、それを聞くとコクコクと頷いていた。

 「おい、どうしたんだ?」

 俺が尋ねると、里中は、

 「いや、ちょっと頼み事をしただけだよ」

 と、だけ答えて、そのまま自分の部屋に戻ってしまった。

 何か分かったのだろうか?

 俺は疑問に思いながらも、何を頼んだのか無理に聞くのも変だと思い、それをそのままにした。

 里中が部屋に帰ると、俺はまた一人取り残されてしまった。昼食が終った事を和恵さんに告げる為には、最低一人は残ってなくちゃいけない。こんな事なら、郁子と一緒に行けば良かったとやや後悔する。そうして、しばらくボーッと待っていると、14時半頃に、郁子はようやく帰って来た。

 大平家の犬と、何故だか、元上戸家の犬の、チョビも一緒に連れて。

 「面白かったわよ」

 と、郁子は言ったが、それほど面白がっていたようには見えない。が、郁子はそういう事で嘘を言うような女じゃないので、きっと面白かったのだろう。

 郁子が帰って来たのを察したのか、和恵さんも顔を見せた。

 「すいません。たくさん、散歩に付き合せちゃった」

 それを見ると、郁子はそうお詫びの言葉を言った。それを受けて和恵さんは、

 「いえいえ、ここのところ、運動不足だったから、有り難いくらいです。それより、ご飯まだでしょう? 時間が経って、すっかり冷めちゃってますけど、もう一度温めなおしますんで食べちゃってくださいな」

 と、笑いながらそんな事を言って来た。

 流石の郁子も、これだけ歩き回れば、やはり疲れるようで、

 「ありがとうございます」

 などと、力なくそれに応えた。

 それから、そのまま郁子は食堂へ真っ直ぐに向った。和恵さんも付いて行き、何もする事のない俺も、郁子にならばと付いて行く。すると、何故か、里中もそこに居合わせた。

 二階の部屋で、窓の外の気配を察知して先回りしていたようだ。郁子は別に何かしらの調査を行っていた訳じゃない。何か話を聞く事もないと思うのだが、食事を食べ始めた郁子に向って里中は、「ちょっと訊きたい事があるのだけど」と断ってから、何故かこんな問い掛けをした。

 「チョビの事だけど…、ほら、シベリアン・ハスキーにしては、少し小さいのじゃないか?って言ってたじゃない。その理由に思い当たる事ない?」

 それを聞くと、郁子は目を白黒させた。いきなりこんな質問されれば、誰だってこうなるだろう。里中は、いっつも前置きがなく唐突なのだ。

 郁子はその時、飯をいっぱい頬張っている最中で、それを麦茶で流し込むと、

 「なんでそんな事訊くの?」

 と逆に質問を返した。

 「いや、単に妙に気にかかるだけなんだけど…」

 里中は和恵さんを気にしているのだろう。横目でチラリと見て、はっきりとは答えない。それを濁した。

 気にかかる。

 俺にもそれは分かった。

 気にかかるといえば、非常に気にかかるのだ。新村によれば、上戸家の裏庭には、犬の死体が骨にされて、いっぱい埋められてあったのだという。もしかしたら、チョビだってその一つに加わっていた可能性があるのだ。では、何故、チョビは骨にされなかったのだろうか。そして、何故、置き去りにされたのか。これも、この村と上戸家に関わる不可解な謎の一つなのだ。

 郁子は、里中の返答を聞くと、ひょいぱく、ひょいぱく、と漬物や野菜なんかを摘んでは口に入れ、もぐもぐと食べながら、それを考えているようだった。

 そして、口に入れたものを全部飲み込むと、口を開いた。

 「うん。実は、散歩しながら色々な犬を見て回ってたのだけどね。この村の。あ、大平さん家に、私達が泊まりに来てるってどうも村の人達のほとんどは知ってるらしくて、しかも私は明かに余所者で、ここの犬を連れてたから、簡単に分かってくれて、それで、気軽に触らせたりしてくれたのだけど…」

 ……村の皆が知っている。

 俺はそれを聞いて、新村の事が少し心配になった。あいつの行動が、何か村の人達の気分を害する事にならなければ良いが。もし何かをやれば、俺達まで災難に巻き込まれる可能性がある。

 「色々な犬種がいて面白かったわ。サルーキーとか、ミニチュアダックスとか、豆柴とか… あ、それで飼い方とか適当で、ちょっと間違った飼い方してたりもしてて、それが少し私には気になったな…」

 どうも、郁子は、話題を少しずらしかけているようだった。

 郁子と話している時は、こういった事がままある。忘れてはいないのかもしれないが、元の話題を話す気分ではなくなってしまっているのだろう。郁子の中で、気分というものはとても重要な位置を占めているから、気分が戻らない限り、話題はなかなか元には戻らないのだ。

 「……例えば、サルーキーは、孤独を嫌うから、もっと人と生活圏を近くしてあげなくちゃ駄目なのよ。じゃないと、それでストレスがたまって、皮膚病になっちゃたりするらしいの…」

 そこまでを語って、郁子は目を上の方にやる。次に話すべき何かを考えているのだ。俺はそこで何か言って、話題を元に戻そうと働きかけてみようかとも思ったが、郁子には郁子のペースがあり、それを崩すと却って遠回りになる危険性もあるので、敢えてそれをしなかった。里中もどうやらそれを承知しているようで、何も言わない。

 「……で、ま、色々と犬達を私は見て回ってたのだけど、その内に、時々不思議な犬達がいる事に気が付いたの。もしかしたら、私の知識が足らないだけかもしれないとも思ったのだけど、もっとでかくてがっしりしている犬種のはずなのに、小さかったり、毛の付き方とかが変わってたり、妙に大人し過ぎたり、煩過ぎたり… それで、そういう犬達は、皆比較的若い犬たちばかりなのよね。ここまで話せばもう分かるでしょう? 一応、訊いて確認したけども、その不思議な犬達は、みんな雑種だったの。この村にいる犬と犬とが、交雑して生まれた雑種犬たちだったのね。そして、もちろん、小さいシベリアン・ハスキーのように見える雑種がいたって不思議はないわ」

 郁子はそこまでを言うと、止まって里中を見た。案外、早くに話題は元へ戻ったようだ。つまり、彼女は、やや小さいシベリアン・ハスキーのチョビは、雑種犬なのじゃないかと言っているのだ。

 和恵さんが、そんな郁子の主張を補足するように言った。

 「ええ、村の犬達は、犬種関係なしで交尾して、仔犬を産んでいますよ」

 しかし、それから、不思議そうにして尋ねる。

 「でも、そんな事、別に珍しい事でもないでしょう? 雑種犬くらい、何処にだっていますよ」

 郁子はそれを聞くと、困ったような顔で説明をした。

 「ええ、それはそうなんですけど。でも、高級犬同士の雑種となると、そうはいないのじゃないかと思うんです。でも、ここのは、高級犬の雑種ばかりで。だから、とても面白くて。それに、そこにいるチョビは一目では雑種犬と、少なくとも私には見ぬけませんでした。どんな犬と交雑させたのかは分かりませんが、まるで、小型のシベリアン・ハスキーに見えるくらい。ちょっと珍しくて、もしかしたら、貴重かもしれませんよ」

 「貴重?」

 和恵さんは重ねて尋ねる。

 「貴重なんですか?」

 郁子は頷く。

 「ええ。もしこれが一つの種として確立されていたのなら、別の犬種ができているところだと思います。ミニ・シベリアン・ハスキーだとか、そういった名前の。でも、チョビが全くの雑種だとすれば、この小型のシベリアン・ハスキーは、この世にたった一匹だけという可能性すらあるんですよ? 考えようによってはとても貴重じゃないですか?」

 和恵さんに説明をする郁子は、とても理性的に見えた。いつもはとても気分屋で、ドライなテンションで自由気侭に行動する郁子だが、実はある程度は、彼女は自分のその性質をわきまえてもいるのだ。だから、時と場合と人を選んで、それをする。本気になれさえすれば、彼女は幾らでも理性的に振る舞えるのだ。

 ただ、やっぱり、気分気侭に行動する方が圧倒的に好きだから、それができる時と場合と人をなるべく選ぶのだけど… 郁子が、『怪異研究会』に所属した理由は、案外そんな所にあるのかもしれない。会の個人主義は、そんな性質を許容しているように思える。

 郁子は説明を続けた。

 「スピッツが、昔はとても煩い犬だったのに、今はとても大人しくなってるって知ってますか? 愛犬家・犬舎の方達の努力の跡がうかがえる話ですが、大人しいスピッツをつくるのだって、最初は一匹ずつ交雑させて誕生させるしかないんです。もし、煩いスピッツしかいない時代に、大人しいスピッツが一匹いたら、それはとても貴重であるはずですよ」

 郁子がそこまで語ると、和恵さんは「ふーん、あのチョビがねぇ」といった風な顔をしてみせた。

 その郁子の語りが終ると、里中はスッと席を立った。それから、郁子に向って、「ありがとう」と小声で言うと、考え深げにそのまま去っていってしまった。

 なんだぁ?

 今の話で何か察したのか?

 俺はその里中の行動を、毎度の事ながら、疑問に思った。

 ただ単にチョビが雑種犬らしいことが分かっただけじゃないか。

 そして、その里中の行動を合図に、郁子はまた食事に集中を始め、それで俺はこの場にいて何をすれば良いのかが分からなくなってしまい、居た堪れない気持ちになって何処かへ行きたくなった。否、それは或いは言い訳なのかもしれない。元々、俺にはここでする事など何もなかったのだ。なかったのに、郁子だからという理由だけで、ここに付いて来たのだ。

 つまり、俺は、里中が何を考えているのか気になっているのかもしれない。それで里中の跡を追うのを、何をすれば良いのか分からないから、なんて言い訳をして実行に移そうとしているのだ。

 俺は自分の中で、ややそんな逡巡をし、郁子が例によって、どうせ気にしないだろう事を自覚すると、里中を追った。

 なんとなく予感がして、俺は大平おばあちゃんの居た部屋に向った。すると、案の定、里中はそこにいて、大平おばあちゃんに何かを告げていた。既に、部屋を出る所のようだった。

 「何を話してたんだよ?」

 俺がそう尋ねると、

 「内緒」

 と、里中は一言そう返す。

 「なんだ、お前ら付き合ってるのか?」

 と、空威張りで俺がそうからかうと、

 「いや、確かに、大平おばあちゃんは素敵だけどさぁ…」

 と、笑いながら、その冗談に付き合われてしまった。これでは、更に追求する事はできない。

 「いや、おばあちゃん、暇で仕事が欲しいって言うからさ、ちょっと手伝ってもらってるだけだよ。僕はこれから、さっきの作業の続きをやるもんでね。助かるんだ。それに、自由にインターネットが使えないとできない事だから」

 最後に、里中はそれだけを言い、俺の追及から完全に逃れてしまった。二階の、自分達の部屋に戻る。

 仕方なく階下に戻ると、郁子が二階へと上がる最中だった。何をするのかと尋ねたら、「何もしない。午前中で随分と疲れたから、後は部屋でくつろぐの」と、そんな事を応えて来た。つまり、俺が下へ行っても誰もいないし、もちろん、郁子の部屋に行って、一緒に何かをする事もできないのだ。

 くつろぐ、と本人が言っている時に乱入したって、彼女にとっては、邪魔にしかならないからだ。それくらい、俺だって分かっているのだ。

 俺は仕方なしに、それでも下へ行き、今度こそ本当にやる事がなくなって、ボーッとしていた。

 時々、大平おばあちゃんを覗いたりもしたが、おばあちゃんがパソコンに向って何かの作業をしきりにやっているのを確認できるだけで、それが何の作業かまでは全く分からなかった。

 そんなこんなで俺が居間でボーッとしていると、和恵さんがお菓子を持って来てくれた。そして和恵さんは、こんな事を尋ねて来る。

 「あの、失礼かもしれませんが、田村さん達は、何をする為にこの村に来ているのですか?」

 やや不安そうな顔つきだ。

 宿は田村の名前で取ってある。だから、代表者として、彼女の名前を上げたのだろう。

 民宿の主としては、不安なのかもしれない。やっぱり。俺達は、集団で纏りのある行動も執っていないし、遊びで来ているようにももちろん見えない。ゆっくりする為ならば、こんな僻地にまで来るのは大体おかしいし、かといって、他の何かをする為に来ているようにも見えないだろう。

 目的が見えない。

 だから、

 この人達は何なのだろう?

 と思われているに違いない。

 外から見れば、謎の集団なんだ。俺達は。

 つまり、“分からない”のだ。

 分からなければ、不安になる。認識を不確定にしたままではそれは消えず、その不安を抱えた状態に耐え切れる程の強さを持った人は中々にいない。だから、それを確認しようとする。

 もっとも、薄々は勘付いているのだろう、和恵さんは。

 俺達が、“犬神騒動”絡みで、ここへ来ているという事に。

 ただ、郁子の犬神なんて全く気にしない行動で、少々混乱をしているかもしれないが。

 さて。

 俺はそこで困った。

 一体、なんと返答をしよう?

 実は『怪異研究会』という団体で、犬神の事件を調査する為にここに来ているのですよ、とは、口が裂けても言えない。

 それで俺は、迷った挙げ句に、こんな説明をしてみた。

 「実は、俺達は、民間伝承なんかを研究しているサークルなんですけどね、今回、まだあまり人が調べていないような文化を採取しようって事で、この環村に来たんです。もちろん、この環村が都会離れの人達の集まっている場所だったという事も関係しています。そういう、“外”からの文化が混じる事によって、どう元にあった文化が変異を遂げるのか、それを調べられたら、というのが趣旨でして」

 俺の語りを聞くと、和恵さんは不審そうな顔をした。俺はそれを見て、しまった、と思う。ああ、まずい。これでは、郁子の行動が説明できないし、今、ボーッとしている俺の事だって説明できない。だから、慌ててこう言い訳をした。

 「ただ、言う程真面目な団体でもないもので… 半ば遊びで旅行に来ているようなものなんです。取材を理由にして、遊びに来ているというか。だから、俺とか郁子みたいに、勝手気侭に過ごしたりしているのもいるんですね」

 そこまでを俺が言うと、和恵さんはやっと納得をした表情を見せる。もちろん、完全に、ではないが。

 ただ、別に俺は、嘘を言っている訳ではないのだが。しかし、その時に、最悪のタイミングでヤツらが帰って来てしまった。

 声が聞こえたのだ。こんな。

 「だから、あんな質問をして、村の人達を刺激したら駄目だって言っているのよ!」

 これは、田村の声だ。

 「“犬神”に憑かれた人達の、貴重な証言は是非とも手に入れたいじゃないか! そんな素晴らしい体験、個人の中に眠らせておく訳にはいかないよ!」

 これは、新村の声。

 俺は嫌な予感を覚えた。

 俺は顔を引きつらせて、その声の元へ向かった。つまりは、玄関だ。

 すると、案の定、田村と新村が言い合いをしていた。田村と新村の論戦は、いつもの事だが、今回は少しばかり事情が違う。しかも、悪い事に、和恵さんもその場に付いて来ている。

 「一体、どうしたんだよ?」

 俺はその言い合いに向って、嫌々ながらも言葉を投げかけた。すると、

 「それがね、私が何か話でも聞けたらと思って、その辺を散歩していたらね。新村君たら、犬を飼っている家を見付けて、そこの主に無神経に“犬神騒動”の時の事を質問していたのよ」

 常識がないったら、ありゃしない。

 田村鈴子は憤慨しながらそう言った。俺も憤慨したかったが、この事態に対する焦りの方が先に立ってしまって、気持ちはそこには至らない。和恵さんを見る。無表情で立ち尽くしている。新村を見る。こちらも、謂れのない非難だと言わんばかりに憤慨している。

 もう今となっては誤魔化しようがない。

 和恵さんは、俺達が“犬神騒動”の事を調査しにやって来たのだと気付いてしまっているだろう。

 俺は新村に問い掛けた。

 「おい、新村。俺は、お前に言ったよな? 何か失礼になるような事は、絶対にするなって」

 「僕は何も失礼になるような事は言っていないよ! 犬神に憑かれるなんて、滅多にできない素晴らしい体験じゃないか!」

 そうか…

 俺はこいつの性質を忘れていた。

 こいつにとって、“犬神”に関われる事とは、憑かれる事とは、汚点なんかではないのだ。こいつにとっては、それは、むしろ誇るべき体験なのだろう。

 否、元は新村にだって、ある程度は、“犬神騒動”が忌避すべき事柄だという認識があったはずだ。実際、そんなような行動を執りもしたし。しかし、忘れているのだ、こいつは。その事を。恐らく、上戸家を探検して、そこで得られた成果と、体験の興奮によって、すっかり現実の観方を、自分にとって都合の良いもの変えてしまっている。

 “犬神”に関する情報を欲するあまり、現実の認識を歪めてしまっているのだ。

 「実際に怒っていたでしょう? あのおじさんは……」

 そんな新村を、田村が諭す。

 怒っていた?

 「怒らせちゃったのか?」

 俺は田村に尋ねる。

 「新村君が質問をしていた人は、もうカンカンだったわよ。私が謝って、新村君を説得して、なんとかここまで連れて来たのだもの…」

 そりゃあ、悪い予感大的中だ…

 俺は頭を抱えた。

 「おじさんって、何処の家の人でした?」

 そこで、心配そうな顔をして和恵さんがそう尋ねてきた。田村が大体の場所を説明する。それを聞くと、和恵さんは…、

 「それは、もしかしたら、ちょっと拙いかもしれないわね…」

 と、とても不安そうな顔をしてそう言ったのだった。

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