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里中は、妙に軽快に歩いて行く。
上機嫌なのか?
「おい? 何が分かったんだ?」
結局、俺が付いていった意味はあまりなかったように思う。それくらい聞いておかなけりゃ納得いかない。まぁ、村の発展の凡そは分かったが。
里中は、声を弾ませて言った。
やっぱり、上機嫌みたいだ。
「村役場へ行くまでに語った、経済理論を覚えている?」
「うん? ああ、覚えてるよ」
「あれはね、通貨の説明を省いていたんだ。説明が難しくなるから、そうしたのだけど、本当は、あそこに通貨の存在を考えなくちゃいけないんだよ。そして、通貨の存在を考えると、面白い事が分かる」
通貨の存在?
ああ、だから、何かを計算していたのか。
「――何が分かるんだよ?」
俺は尋ねた。
「貯金をせず、で、全ての生活者が、全ての生産物を消費し、そして、全ての生活者の所得が同じ、つまり平均的な所得の社会を規定すると、労働者の数の比が、そのまま、生産物の価格の比になるって事が分かる」
「はぁ?」
それは流石に意味が分からなかった。俺はそう、微妙に攻撃的なニュアンスを含んだ疑問符を発した。
「うん。まぁ、聞きなよ」
里中は、冷静な声で、こう説明して来た。
「詳しく説明するからさ。
5人の社会で、一人がAを、残りの4人がBという生産物を作っていたとする。全ての生産物を生活者は消費しているのだから、AもBも全員が消費しなくちゃならない。で、所得が同じなのだけど… そうだな、仮に10円って事にしとこうか。10円だとすると、Aを生産している一人は、自分も含めて計5人にAを売って、10円を稼ぐことになる。すると、生産物Aの価格は、10円÷5個で、2円になる。2円が5人全員に売れれば、10円稼げるだろう? 生産物Bに関しても同様。4人いるから、40円は稼がなくちゃならない。40円を5個で割って、1個当たりの価格は、8円になるのが分かる」
これは、紙面を見ないと、言葉で聞いただけでは理解は難しいかもしれない。しかし、漠然とは把握できた。
「すると、生産物Aの価格は2円で、生産物Bの価格は8円となる。A:Bの比は、2:8で、1:4だね。Aは1人で生産していて、Bは4人で生産しているのだから、労働者数の比と、生産物の価格の比が同じになっている」
つまり、A:B=1:4 労働者数と価格について、同様。という事か。なるほど、そうなるように思える。
「これは、先の条件でこのモデルを作成すると、絶対にこうなるんだよ。単なる偶然じゃなくてさ。すると、ある事実が見えて来るだろう?」
ある事実?
「通貨をどの生産物にどれだけ支払うのか、という事は、労働者数の比を決定する事とイコールである。まぁ、現実は、こんなに単純には考えられないよ。色々な生産物に、色々と入り組んで人が同時に関わってるし、誰がどの生産物を消費するかも分からない。所得も平均していない」
……ただ、
と里中は言った。
「これで、その他にもこういった事実が分かるんだ。どうして、そうなるかはもうちょっとややこしい説明になるから、割愛するけど…、“所得は平均的である方が、経済社会全体にとって有利になる”って事が分かるんだ」
「なんだそりゃ? まるで、社会主義みたいな発想だな」
俺はそんな感想を持つ。
労働者による平等の国。発想的には似ているように思う。
「うーん 僕は社会主義の考え方を詳しく知らないから、何とも言えないけど、多分違うと思うよ。飽くまで資本主義のルール下で、所得が平均化するのが望ましいって感じかなぁ?僕のは。まぁ、完全に平均化してしまうと、労働意欲がなくなって、生産面で支障が生じてしまうから、それも問題があるのは事実で、だから、このモデルを社会に適応する場合には、工夫が必要だけどね。標準偏差を求めて、所得の偏りが過剰になり過ぎないようにするだとか…」
俺は、所得を平均化した方が経済社会にとって有効、という理屈にどうしても納得がいかなかった。実際に、平等を理想とする社会主義国家は、どんどんと崩壊していってるのだ。
「納得してないみたいだけど…」
すると、俺の表情を読んだのか、里中がそう口を開いた。
「現実のデータでも、そうなってるんだよ。所得が平均的な社会。中流階級がたくさんいる社会は、経済的に発展しているんだ。貧困な発展途上から脱出できているのは、そんな社会ばかりさ。この日本は、その典型的な例だし。そして、これは難しく考えなくても、通貨の循環を考えれば当たり前に分かる事なんだ。通貨は、消費者→労働者、労働者→消費者って循環している。この循環を良くする為には、消費者にたくさん通貨を渡さなくちゃいけない。消費者は、そのまま労働者とイコールだよ。一部の金持ちに通貨が集まり過ぎると、それで循環しなくなって、不景気を招いてしまうんだ」
俺はそれを聞いて、止まった。
納得、というか、実感してしまったのかもしれない。
里中は更に加える。
「因みに言うと、何故、平均的な社会の方が発展し易いのか、これについては、充分な説明が、既存にある経済理論ではされていない。こんなに簡単な事なのにね。生産効率を上げれば上げるだけ、経済は発展するっていう概念があるのだけど、これが古典経済学派では特に支配的で、どうも別の発想が出ないみたいなんだな」
「ちょっと待て」
俺はそこまでを聞くと、こう問い質した。
「もし、仮に、お前の言っている事が正しいのならば、な? 正しいとするのならば、金を稼ぐ為に競い合いをする、それに何の意味があるんだ? たくさん金を稼げば、所得格差が生じるだろう? すると、それが経済に悪影響を与えてしまって、結果的に自分もその悪影響を受ける。なら、金を貯める事に意味なんてないじゃないか」
俺達がやっている事は、馬鹿馬鹿しく愚かな行為だって事になる。
「その通りだよ。飽くまで、極論だけど、意味なんかないね」
すると、里中は冷徹にあっさりとそう言い放った。
「通貨を手に入れる事自体には意味がないんだ。通貨は、個人が生産物を手に入れる為に存在している血液みたいなもんなんだからね。最初から言ってるだろう? だから、生産物が必要じゃなければ、通貨を得る事に意味はない。ところが、人はそれを忘れて、通貨自体を得る事に目的を持ち、狂ってしまう。金霊に憑かれてるんだ。血液と同じで、巡らせる事に意味のある通貨を、必要以上に一部に集めれば、歪みが生じる。その歪みは、経済社会を壊し萎縮させる。もし、生産物を得られるのなら、通貨なんて得る必要はないのに…」
俺は里中のその説明を聞いて、バブル経済を思い出した。その崩壊後に起きた、惨劇と共に。あれは、そういう事件だった。
「通貨を必要以上に得る為に、生涯をかけるなんて意味のない事なんだ。通貨は、ある程度あれば良い。得たい生産物を得られる分だけの通貨があればね。だから、社会全体の立場から考えれば、存在する資金は、得たい生産物を誕生、生産する為に使用すべきだ、という事になる。そして、それなら、失敗をする可能性は低いんだよ。何しろ、最初から必要があって作るのだから、皆それを使用する。無駄には終らないね。支払いがあれば利益にもなる。そして、その事を偶然にも実践してたいのが、今、僕らがいるこの環村なんだ」
え?
この環村が?
その言葉で、経済モデルによる思考、という現実離れした内容から、俺は一気に現実に引き戻された。
そして、理解する。
「ああ、村人が欲しいものを、村人の為に作っていたのだったな、この村は。金を稼ぐために、工場とかを作っていた訳じゃなかったんだ。だから、村内で消費できる分しか作らなかったし、だから、ほぼ確実に利益があった。そのお陰で小規模になり、外に売らなくちゃいけないリスクもなく、失敗もし難かったのか」
なるほどねぇ。
「そう。そして更にこの村は、その為に外部から人を呼んでいる。その人達は、当然、暮らす為に色々と消費活動をしなくちゃならない。食料を買ったり、着るものを買ったりさ。もちろん、手近な所から、つまり、この村の人々から、そういった人達は多く生産物を買うだろうから、それが村の経済に良い影響を与える。それが何度も繰り返されたのだから、発展しても当然だったんだよ」
まぁ 大袈裟な発展じゃないけどさ。
里中はそう呟く。
「で、お前が分かった事ってのは、つまり、それだったのか?」
説明を聞き終わった後で、俺はそう尋ねてみた。
それだけならば、計算をしていた意味が分からなかったからだ。あの、役場のおじさんの話だけで充分だったろう。
「あ、いやいや、違うよ。それもあるけど、それだけじゃない。ザッとだけど、計算をしていたんだ。ほら、さっき、所得格差がない社会の方が、経済発展に有利だって説明したろう? そして、もし、そんな社会だったら、生産物の価格比と、労働者の職業別分布比が同じになるって。この村の全ての生産物の価格が幾らかは分からないから、漠然とした推測になってしまうけど、村外村内への通貨流入を差し引いて、それを計算してみたんだよ。そうしたら、予想通り、大体同じだったんだ。かなりの粗い計算だけども、面白いデータだよ」
俺はそれを聞いて、微妙に驚いていた。
だから、こいつは、上機嫌だったのだ。面白いデータが取れて。
そして俺は、同時に感心してもいた。もしかしたら、中々大したヤツなのかもしれない。この里中という男は。
が、そこで俺はふと我に返った。
里中がやっている事が、中々に面白い事で、しかも、有意義な事でもあるというのは、分かる。だが、それは、今回調べているはずの“犬神騒動”と何か関わりがあるのだろうか?
当初の目的はそれだったはずだ。
このままでは、本当に、地域社会の経済構造調査で終わってしまう。
俺は里中を見た。
こいつは、妖怪には興味がないと語っていた。それが本当の本音ならば、“犬神”の件だって、もう何も考えていない可能性が大きい。この社会の仕組みが分かったのだから。
すると、里中は、俺の考えている事を見透かしているかのように、こう口を開いた。
「この村の経済基盤が、僕の推測した通りだとするのなら、かなりしっかりとしたものであったはずだ。ところが、それが、簡単に揺らいでしまったんだ。“犬神騒動”でね。つまりは、経済の側面から観ても、大事件だっのさ。一体、その裏に何があったのか、大いに興味をそそられないかい?」
要するに、里中は自分も興味があると言っているのだ。“犬神騒動”に。
ああ、そそられるよ。
俺は心の中でそう答える。口に出して言うのは、なんだか負けたような気がして悔しかったからだ。
だから、その正体は、何なんだよ?
「社会が、文明が発展をすれば、“魔”も沸くものなのさ。多分、今までに説明してきたこの村の経済基盤。文化特性を土壌にして、“犬神騒動”は起こったんだ」
淡々と里中は語る。
その正体に気が付いているのか、いないのか、その素振りからは分からない。
「まぁ もう直ぐで民宿だし、昼ご飯を食べに皆帰って来ているだろうから、他の人達の調査報告を聞いてみようよ。それで、何か分かるかもしれない」
そう言われてしまえば、取り敢えずはそれで納得するしかなかった。俺は、なんだか、上手く誤魔化された気分になった。
大平家に帰ると、里中の言った通り、ちょうど昼食の時間だった。だが、席に着いているのは田村鈴子ただ一人だけだ。新村も、そして郁子も帰って来てはいない。
「なんだ、どうしたんだ? 他の二人は?」
俺がそう言うと、田村は「知らないわよ。知るはずないじゃない」と、やや機嫌悪そうにそう言う。
「私は、高野さんにずっと話を聞いていて、ここから動いていないのだもの」
「――って事は、郁子は犬の散歩にいったっきり帰って来てないのか」
新村は、恐らく上戸家の探検に夢中になって帰って来てないだけだろうが、郁子のは単なる犬の散歩である。長時間かかるような事じゃない。が、その後で、俺はその考えを捨てた。
それは飽くまで一般的な常識に照らし合わせた場合の見解だ。木下郁子ならば、どんな行動を執るか分からない。一体、何処まで散歩をしに行っているのやら……。
俺と田村は顔を見合わせると、お互いに無言の内に了解をし、「ま、心配はいらないと思うよ」という、里中の言葉で落ち着いたのだった。
食事の席に、大平家の人達は顔を見せなかった。一番最初に和恵さんが出てきて、「食べ終わったら、食器はそのままでいいですから。あ、それと、できれば最後の人が食べ終わったら教えていただけませんか?」と、そんな事を告げただけだ。
本当は、皆で一斉に食べてもらった方が、大平さんたちにとって都合が良かったに決まっている。一気に片付けられるし。だが、和恵さんは、それについて不平があるような素振りを見せたりはしなかった。なんだか、悪い気がする。
食事を取りながら、俺達は田村から、高野さんから話を聞いて、何か分かった事があるか尋ねてみた。
「うーん。まぁ、“犬神騒動”の前後の話をね、結構聞かせてもらったわよ」
少しだけ自慢げに、田村はそう述べる。
「どんなだった?」
「うん。本当は、犬神に関する文化の片鱗でも見付かれば、とか思ってたんだけど、どうも、分からなかったわ。犬神って言葉は、やっぱり娯楽小説やなんかで使われているのが、そのまま引用されたのだと思う」
田村は淡々とそう説明したが、もちろん、聞きたかったのはそんな事じゃない。
すると、
「あの、上戸って人は、どんな時期にこの村に入って来て、最初はどんな風に思われていたのだろう?」
と、里中がまるで独り言でも言うみたいな言い方でそう尋ねた。
「どんな時期? ああ、それは、ネット設備が整って、たくさん入居希望の人達がやって来た時だったみたい。その時に引越して来た内の一つが、上戸家だったんだって。そして、その遣って来た中で、一番大きな家を建てたのも、上戸家。というか、村で一番大きな家だったみたいだけど」
ネット設備が整った後で、上戸って人が遣って来たというのは、なんとなく予想がついていた事だった。たが、村で一番大きな家を建てたのだとは知らなかった。村で一番という事は、当然、この今俺達がいる大平家よりも上という事だろう。だが、上戸という人物は、確か……、
「確か独り身だったよな? その上戸って人は」
たった一人で住むのに、どうしてそんなに大きな家が必要なのだろう?
「それは、だから、ほら…」
田村に言われ、俺は自分が失念していた事に気が付く、
「ああ、犬か… って、幾らなんでも、犬だけの為に、そんなに大きな家を建てるか? 普通」
「犬だけじゃないわよ。ちゃんと、飼育係の人も雇っていて、一緒に住んでいたって言ってたじゃない。よく思い出してよ。ほら、来る途中の、コンビニエンス・ストアのおばさんの話で…」
「にしたって、だなぁ」
それにしたって幾らなんでも大き過ぎるだろう。それは。
普通じゃない。
その会話を聞きながら、里中がこぼす。
「うんうん。普通では信じられないような事をやっていたからこそ、“犬神”なんて噂話になったのだろうねぇ」
まぁ、そりゃそうか。
その里中の言葉を受けて、田村は続きを話し始めた。
「それで、もちろん、上戸って人は、注目を集める事になったのね。こんな田舎だから、特に。ところが上戸って人は、にも拘らず、他の村人達と交流を持とうとはしなかったらしいのよ。これも、前に聞いた話の通りなのだけど。それと、ここら辺の家って、家の周囲にそれほど強固な壁を造ったりしないでしょう? みんな、生垣とか、その程度なんだ。でも、上戸屋敷は、周囲に高い壁を巡らしていたらしいのよね… まるで、中で何をやっているのか見られたくないみたいに…」
なるほどね。
“隠されていた”って訳か。
“分からない”は、不安と想像力を高める。確か、そうだったはずだ。
注目を浴びるに充分な、大きな屋敷。そこに住むのがほとんど犬ばかり、という異常な現実。隠す為としか考えられない程の大きな壁。周囲との隔絶。
これだけ不自然で怪しげな条件が揃っていたのであれば、想像力逞しくなっても仕方ないのだろう。それはむしろ、必然だ。
「それだけ大きな屋敷を持っていたのじゃ、妬まれるのは当然だろうねぇ。しかも、関わりを拒絶されていたのじゃ、敵意も伴なって、その妬みは、悪意に簡単に結び付くよ」
里中がそう言う。田村はその言葉に頷いた。俺はそれを聞いて、大平おばあちゃんの、蛇が這っていた、という台詞を思い出す。
「その通りなのだけど、これだけ異常な条件が揃うと、もうね、なんというか、村の方でも、色々な意味で怖がって、上戸家には近付くなって雰囲気が出来上がってしまったらしいのよ。最初はそれでも交流を持とうと努力をしたみたいなのだけど、時間が経つと、その内ね… つまり、当に、化け物屋敷のように思われていたのかしらねぇ………」
それで、いつの間にかに、“犬神”の噂話が浮上し始めたのか。無理もない展開だろう。これだけの悪条件が揃っていたのであれば、都会であっても、似たような事になっていたのじゃないだろうか?
「だけど、問題はそれだけじゃなかった」
田村はそれから静かに言った。
「それだけじゃない?」
「そう。だからこそ、問題は大きくなってしまったのかもしれないわ」
田村が高野さんから聞いた話によると、この村は、外部に品物を注文する場合、村内の皆から注文を集め、一気に大量に運送するという体制を執っているらしい。交通の便の悪いこの村ならではの、コストの軽減の為の体制だ。そして、この流通体制には、上戸も加わって来た。コストを減らせるのだから、当然だろう。
すると、当然、その注文の内容が、村人達に明かになる、という事になる。
「もちろん、積極的に公になるって訳じゃないけど、消去法とか、商品の大きさである程度は分かってしまうでしょう? そういうのって。で、ある程度は、何を上戸家が購入しているのか村人達は知ってしまった。まぁ、と言っても、別に特に怪しいものはなかったのだけど、ただ一つだけ…」
それを聞いて、俺はすぐに察した。
「犬か?」
「そう」
来る途中の、コンビニのおばさんも、確かそんな事を言っていた。既に犬がいっぱいいるのに、それでもまだ、上戸という人物は犬を欲しがった、と。
「村の人達は、上戸家が既に大量の犬を飼っている事を知っていた。だから、それで更に恐怖を感じた訳よ。で、上戸って人に対する怪しい噂話は、更に酷いモノになっていった」
“犬神”に憑かれている。
“犬神”を使役し、富を得ているのだ。
だから、あの家は更に犬を得ようとし。
だから、あの家はあれほどに大きい。
「ところがね。それからしばらくが経ったら、何故か上戸家は、犬を購入しなくなったの」
「購入しなくなった?」
「そう」
なら、良いのじゃないか? 犬を既に充分過ぎる程飼っているからやめたのだろう。常識の範疇で理解できる事だ。俺はそれを聞いて、やっと、上戸という人物の行動を、“こちら”側に持って来る事ができたような気になった。犬の事を極端なまでに好き、というだけで、まぁ、病的ではあるのだろうが、そういう人は世の中にも時折いる訳だし、限界があるのならば、その行動は分からないでもない。郁子だって、どうやらかなりの犬好きらしいし。そして、その異常な犬好きに加えて、上戸という人は、偶々、その欲求を満たせる立場、つまり、大金を持っていて、大量に犬を購入できる立場にあった。そして更に、上戸氏は、人との交流を嫌う性質も強く持っていた。その為に怪しげな噂が飛び交うようになってしまった、というだけじゃないのだろうか?
しかし、その俺の安心は、次の田村の説明によって、簡単に崩されてしまった。
「で、村人達もそれで少しは安心したのだけどね、上戸家が犬を購入しなくなったと思ったら、今度は、村の、他の人達が、犬を購入し始めちゃったらしいのよ。つまり、いよいよ、この“犬神騒動”の本番が始まっちゃったのね」
「そのタイミングでか?」
「そのタイミングでよ。上戸家が犬の購入をやめてから、ちょっと経って、突然買い求め始めたらしいわ。しかも、異常な量の犬を」
そりゃあ、怖い。
俺はそれを聞いてそう思った。その相関関係を単純に予想するのなら、上戸家に憑いていた“犬神”が、別の村人達に乗り移った、とそう思えてしまう。
「どう? 不気味でしょう?」
田村鈴子は同意を求めて来た。俺はあっさりと頷く。
「うん。不気味だな」
「それで、」
その時に、里中が口を開いた。
「田村さんは、その“犬神騒動”の原因はなんだって思っているの?」
彼女は首を左右に振る。
「分からないわ。新村君じゃないけど、本物の犬神じゃないかと疑っているくらい。文化特性的なものでもなさそうだし… というか、村の人達は、上戸家を忌み怖れていたのだから、文化特性を考えるのなら、その上戸家と同じ様に犬を購入し始めるなんて、まったく逆の行動だと思うのよね。もしかしたら、上戸家みたく犬を購入すれば、自分達も富を手に入れられるなんて風聞が広がったのかも、とか考えたのだけど… どう考えても、有り得なそう」
里中はそれを聞くと、少し止まった。
「んー…」
何かを考え込んでいる。
「いや、或いは、その推測、完全に的を外しているとも言えないかもしれないよ。犬を買っていた人達は、お金が欲しかったのかもしれない」
そして、そう言ったのだ。
何を言っているんだ、こいつは?
俺はそれを聞いて、里中を馬鹿にした。
逆に、環村の人々は財産を失っているのだ。モノを買えば金は減る。そんな当たり前の事、正気の人間であれば誰だって分かっている事だろう。小学生だって分かる。
………。
正気の人間であれば、か。
それから俺は、ふと疑問に思って、田村にこんな事を訊いてみた。
「なぁ、こんな所で分からない分からないって、予想だけしてないでさ、実際に、どうして犬を買っていたのか質問してみればいいのじゃないか? その、犬を買っていた人達に」
推論なんて無意味だろう。
ここは、実際に事件のあった環村なのだ。当事者ならば、そこら辺に溢れている。わざわざ謎にする必要はないのだ。質問をすれば、あっさりと解答は得られる。
「それが、やめた方がいいって、高野さんが言うのよ」
「どうして?」
「うん。犬を買っていた人達はね、自分達の所為で、村がこうなってしまったって、どうも責任を強く感じているみたいなのよ。それで、もし外部の人間が“犬神騒動”を調べているなんて知ったら、責任を感じているからこそ、中には怒る人もいるだろうって言うのよ」
俺はそれを聞いて、少しだけ深刻な気持ちになった。
やはり、俺達は歓迎をされている訳じゃなかったのだ。この村から。それはそうだろう。村の、どちらかといえば、不名誉な事件を調査しに来ているのだから。村人達は隠したいはずだ。そんな事は最初から分かっていたはずだ。だからこそ、村に来た目的を、俺達は隠していたんだ。この村ののんびりとした雰囲気に当てられている内に、忘れてしまっていたが。
俺達は、余所者なんだ。
上戸という人物と同じ様に。
だから、拒絶される可能性も充分にあるのだ。特に、自分達を調査対象として扱おうとしている外部の人間など…
「高野さんが、自分から私に会いに来てくれたのも、どうもそれが心配だったかららしいの。自分が来れば、他の人に私達が質問する事もないでしょう? でも、私だけしか捕まえられなかったから、他のメンバーの事を心配していたわ。木下さんは、ただの犬の散歩だったし、まぁ、新村君も、人に会う訳じゃないから大丈夫だろうとは思っていたけど… そういえば、一番心配していたのは、あなた達の事だったのよ。一体、何処へ何を調べに行っていたの?」
「村役場へ、労働者の事について、ちょっとね」
それに、里中は淡々と応えた。
どうも、まともには説明しない気らしい。説明しようとすれば、長くかかって面倒だからか。
それから昼食を取り終えると、田村は、
「私は、もうちょっと、質問とかは控えるつもりだけど、この村の文化を知りたいから、これから散歩してくるわ」
と、そう言って、外へ出掛けて行ってしまった。里中は、部屋へと戻って行った。何をするのかと尋ねてみたら、「うん。計算とか色々」としか答えはしなかった。嘘は言っていないのだろう。多分、計算とか色々をやるのだ。ただ、田村からの質問への返答と同じ様に、詳しく説明する気はまるでないようだったが。
里中が二階の部屋に上がると、俺はその場に、たった一人で残されてしまった。
きっと、里中を追いかけたって、何も言わずに黙々と計算をし続けるだけなのだろうし、外へ出掛けてなにかを調べるような気も起こらない。
だから、俺は仕方なく庭で、新村や郁子が帰ってくるのを待つ事にした。大平和恵さんから、全員が食べ終わったら伝えてくれるように頼まれていたのを思い出したのだ。どうせ、何もする事はない。このまま皆が帰ってくるまで待っていたって別に良いだろう。
すると、13時過ぎ頃に、新村が帰って来た。
なんだか、見た目で分かる程に汚れている。しかも、そのほとんどは土汚れだ。そして、案の定、ヤツは興奮していた。
「大収穫だったよ!」
なんだか、大威張りだ。
俺は興奮している新村を「分かった、分かった」と宥め、タオルを持って来てやり、それで身体を拭くように促した。
なんで、俺がこいつの世話を……、とも思ったのだが、ただでさえ迷惑をかけているのに、家を汚したりして、これ以上大平家の人達に負担をかける訳にもいかないので渋々我慢した。大体の汚れを落とさせると、俺は新村に、まずは部屋へ行って着替えるように言った。
着替え終わって、新村が出てくると、何故か里中も一緒に付いて来た。
そのまま、真っ直ぐに新村は食堂に足を運ぶ。それに里中も付いて行く。それで、俺も何だかついつられて、それに同行してしまった。
新村は何も言わずに席に着くと、何も言わずに昼食を黙々と食べ始めた。俺達は、既に昼食を取り終えた後だったので、当然、何も食べない。新村の食事を二人で座って観察している構図だ。なんだこれ?




