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 朝。

 起きると、俺以外の全員はもう既に起きていた。新村はソワソワとしていて、直ぐにでも調査に行きたい気持ちを必死に抑えているのか、何かの本を読んでいたが、ほとんど身が入っていないように見えた。里中は、調査の事など忘れてしまったかのように、「いい気分だねぇ」と、窓の外の景色を見つめている。外は晴天で、なるほど、気持ちが良いくらいに空が青い。その窓の外には郁子と田村がいて、郁子は犬と一緒にじゃれていた。どうやら、この家にも飼い犬がいたらしい。

 俺は朝飯を少しだけ心配した。もう、みんな、俺が寝ている間に食べ終えてしまったのじゃないかと思ったのだ。だが、トイレに行って、顔を洗うと、それから直ぐに「ご飯できましたよー」と和恵さんから声がかかった。

 皆、ぞろぞろと移動をする。

 その、朝飯を食いに食堂へ向う途中で、俺は新村に尋ねてみた。

 「蛇って言ったら、何を連想する?」

 昨夜の大平ばあちゃんの発言が気にかかったのだ。すると、流石怪異好き、直ぐに妖怪方面へとそれを持っていった。

 「蛇って言ったら、やっぱり“執念”じゃないかな? 蛇は執念深い動物の代表例とされているな。それと、蛇と邪で、邪まな心の象徴ともされているらしい。嫉妬心の象徴でもあるよね。清姫なんかでも有名だけど」

 「ふーん」

 俺はそれを聞いて、ただそれだけを言った。自分から質問しておいて酷い話だが、聞いても何も分からなかったからだ。

 朝食を取りながら、郁子が嬉しそうに和恵さんに向ってこんな事を尋ねた。

 「この家にも犬がいるのですね。後で、散歩をさせても良いですか?」

 和恵さんは、笑いながら答える。

 「あ、コロの事ね。良いですよ。この村には犬がいっぱいいてね、それで昔、一匹貰ったんですよ」

 俺はそれを聞いて思った。

 笑ってはいるが、もしかしたら、やっぱり和恵さんは気にしているのかもしれない、村の噂話を。わざわざ貰った犬だと断っている。我が家は犬神騒動とは関係ない、とそう暗に主張しているとも取れる。そうならば、ある意味、これも取り憑かれていると言えるかもしれない。犬神に。だが、それをそう考えるのなら、俺達だって憑かれているという事になるが。

 郁子以外は、皆ほとんど何も喋らずに朝食を急いで取り終えた。皆、調査を始めたくてうずうずしているのだ。郁子は、他の犬も触りたいだとか、そんな事を和恵さんに相談している。彼女は既に、怪異の調査の事なんか頭にないようだった。郁子がこんなにも犬好きだとは知らなかった。案外、今回の旅行に加わったのも、単に犬が触りたかっただけなのかもしれない。それならば、犬のアミューズメントパークにでも行けば良さそうなものだが、そこはきっと、例の整合性や法則性のない気紛れによるテキトーなのだろう。

 遠出して、怪異のあった村で、犬と戯れる。

 なんだか分からない娯楽旅行ではあるが、郁子が好みそうに思える響きがない事もない……、気もする…。

 否、

 やっぱり違うだろう。気分で参加して、偶々犬がいっぱいいる事実に触れて、気分で犬と戯れたくなっただけという可能性が一番大きい。

 何にしろ、朝食の後で郁子は、本気で犬の散歩をするつもりでいるらしかった。まともに調査に参加するつもりは既にないらしい。ただ、それでも誰も文句は言わなかった。始めから、そもそも皆で協力して調査しよう、などといった約束事の内に在る集団ではないからだ。役割が分化した組織ではない。銘々が勝手に調査したい内容を勝手に調査する。だから、例え調査に参加しない者がいても、誰も怒ったりはしないのである。自由ではあるがその反面、纏りはない。まぁ、俺はこういう集団の方が好きなのだけど、統制だとかルールだとかが好きな人は、見ていてイライラするかもしれない。

 さて。

 郁子が調査に参加しないと分かって、俺は困ってしまった。元々俺は、郁子がいるからこの旅行に参加したのだ。つまり、郁子が目的である。ならば、郁子と行動を共にするのが当たり前なのだろう。だが、幾つかの謎に触れて、俺は俺なりにこの村に興味を持ってしまった。郁子の気紛れじゃないが、正直、調査に参加したくなってしまっていたのだ。俺がそうしても、恐らく、郁子の性格からいって気にはしないだろうし(こうなると、益々付き合っているのだかいないのだか分からなくなってくるが)。

 しかし、そうなると、問題になるのが一体誰の調査に付いて行くのか、という事だ。興味があるとは言っても、一人で調査するような気力はないのである。

 新村か。田村か。里中か。

 もし、これがサウンドノベルというジャンルのゲームだったならば、選択肢になっている所だろう。

 さて、誰と一緒にいきますか?

 って感じで。

 ………。

 新村正は、上戸宅…、村に犬神を持って来たとされる例の人物の屋敷へ行ってみるつもりでいるらしい。“犬神”が本物である事を願っているのだから、まぁ上戸宅を調査したいのは当然か。まだ残っているのかどうか、残っていたとしても入れるかどうかは分からないが、興味深いところではあるだろう。

 田村鈴子は、社会的背景を調査するのが目的だから、民俗学者が嘗てやっていたように、聞き取り調査を主にするつもりでいるらしい。昨晩案内してくれて、とても親切だった高野さんにでも詳しく話を聴くつもりでいるのかもしれない。

 そして里中は、どうも村役場に行くつもりでいるようだ。村役場へ行って、話を聞きつつ、資料を色々と見せてもらう。

 一番、面白そうなのは新村だろう。今では人がいなくなり、嘗て“犬神”の噂の巣であった屋敷を調べる。調査というか、まるで子供みたいな表現ではあるが、冒険みたいな感覚がある。一番地味でつまらなそうなのは、里中だ。村役場で調べ物なんか、学校のレポートでもないのにしたくない。残るは田村だ。たが、俺の性格上、聞き取り調査はあまりやりたくはないし、第一、田村鈴子は女性なので、恐らく郁子は気にはしないだろうが、それでも、一応、行動を共にするのはやや問題がある。だから、新村を蹴るのならば、一緒に行くのは一番つまらなそうな里中しかない。

 もし、仮に、冒険を期待しないで、まともな調査を期待するのならば、新村と一緒に行動するのは恐らくナンセンスだ。それなりの収穫はあるかもしれないが、今の段階では、別の行動を執っておいた方が無難だろう。

 それに、新村と二人きりで行動するのは疲れそうでもあるし。

 これがミステリー小説かなんかだったならば、廃墟と化した屋敷を調査するのが自然で、しかも面白い流れになるのだろうが、これは、そういう物語とは違う。それで俺は、さんざん迷った挙げ句、結局、里中に付いて行く事にした。

 まぁ、実を言えば、里中が何かを分かりかけている風に見える所に惹かれていたってのもあるのだが。村役場は… つまらなそうだが。


 田舎によっては隣家が見えないくらい離れている、といった所もあるようだが、この環村はそうではなかった。居住に適したスペースはそんなに広くはないらしく、目に見える範囲に家が何軒か見える。

 高野さんが、朝の早い時間に俺達を訪ねてくれた。昨晩の、昼間ならば協力するという約束を憶えていてくれたのかもしれない。それで、田村鈴子はまず高野さんから詳しく話を聞く事にしたらしかった。もう、聞き込みを開始している。新村も、高野さんから上戸屋敷の場所を聞いた。流石に、俺達が環村に来た理由をまだ知らない大平家の人間に、恐らく禁忌なのだろうそれを尋ねるのは憚れたらしい。新村は、こっそりと尋ねると、――その仕草が如何にもわざとらしくて笑えたのだが――早速興奮して出掛けて行った。

 里中だけは、普通に大平ばあちゃんに村役場の場所を聞いてから、散策に出掛けるような感じで自然に家を出た。俺は、それに何も説明をしないで無言のまま付いて行く。里中も別にそれを気にしない。拒絶も、受容も、積極的には行わないヤツだと察しがついていたから、それは予想通りだった。新村だったならば、こうはいかなかっただろう。もっと疲れる反応をして来たはずだ。

 歩きながら、何気に里中は口を開いた。

 「経済発展の本質って、何だと思う?」

 突然で、脈絡のないその問い掛けの意味を、俺は理解する事ができなかった。当たり前だ。誰だって、いきなりそんな事を言われれば、困惑するだろう。

 そして、それに加えて、俺は、里中が自分から口を開いた事が少々意外だった。

 自ら、何かを語る男には見えなかったからだ。

 だから、俺はそれらが重なって微妙に動揺してしまったのだが、それを隠してこんな返しをした。

 「なんだそりゃ? 今回の調査と関係があるのか?」

 無理に動揺を隠して言った言葉だったから、やや不自然に響いたかもしれない。里中はそれを聞いても黙っている。そして、その沈黙の間で俺は、昨日、バスの中で似たような会話をしていた事を思い出した。

 だから、慌ててこう言い直したのだ。

 「ああ、そうか。そういえば、社会現象と経済ってのは、深い関わりがあるのだったな」

 「そう」

 里中はそれを受けると、淡々と語る。

 「僕には、徐々に、この環村の経済の秘密が見えてきているのさ。そして、それは、どうやら、経済の発展の本質とも、深い関わりがあるようなんだ。だから、これからそれを調べに行くんだよ」

 ――なるほど。

 その為の、村役場か。

 「ふぅん で、その経済発展の本質ってのは何なんだよ?」

 それが分からなければ、俺が里中に付いて行く意味はない事になる。行っても、訳が分からないだろう。

 ………もしかしたら、

 だから、自分から、それを説明しようとしているのか?里中は。こう見えて、案外、人に気を遣うタイプなのかもしれない。

 「文明の誕生で、こういうのを聞いた事はないかい? 食う事に困らなくなって、初めて人間は文明を持った」

 「ああ、社会の授業かなんかで聞いた気もする」

 「うん。これは極論であると思うけどね。実際は、食う為に文明は誕生し発展したって考え方もできるんだ。でも、面白い見解でもあるだろうと思う。少なくとも、事実の一面は捉えている。食料を充分に生産できるようになれば、人手が余る。人手が余れば、その余った人手で、別の何かを生産できるようになる。おもちゃだとか、楽器だとか、ね。そして、それがもっとどんどん発展していけば、車だとか、TVだとか、そういったものも生産できるようになる。もちろん、それができるだけの生産技術が必要なのだけど。人手を減らすのにも、新しい何かを生産するのにも」

 俺は里中の説明を上手く飲み込む事ができなかった。否、理解してはいる。しかし、それを実感する事はできていなかったのだ。

 「ふぅーむ」

 その結果、俺はそんな煮え切らない返事をした。

 その返事を聞くと里中は、考える素振りすら見せないで、説明を続けた。まるで、予め用意されていた話であるかのように。

 「もし仮に、たった5人の社会があったとする。この5人は、生産物Aを一つだけ生産しているんだ。ここに事件が起きる。たった1人で生産物Aを生産できるようになってしまう。もし、仮に、このAが生産量を増加させる必要のないモノならば……、例えば、食いきれないだけの食料があったって、保存ができないのなら、腐らせて無駄になってしまうだろう? こういうモノは、生産量を増加させても無意味なんだ。生産物Aがそんなモノだったのなら、働くのは1人だけで良い事になる。すると、他の4人は失業者になってしまうんだよ」

 これは分かる。当然の話だ。

 俺はそこまでは理解できた。

 「もし、この4人を働かせたいと思ったのならば、だから、新しい生産物が必要になってくるんだ。新しい生産物Bが誕生したなら、その為に、4人は再び働ける。そして、その新しい生産物Bが誕生をしたならば、経済は成長する。という事は、経済が発展すればするほど、生産物の種類は増加するということになる。実際に、経済の発展に伴なって、生産物は増えてるだろう? 何もなかった時代から、さっきも言ったけど、車、TV、パソコンetc…と。どんどん増えてきている。これは、生命の発展と相似な現象でもあると思えるね」

 「生命の発展ぅ?」

 いきなり話が飛躍し過ぎだ。俺は、それを聞いてまた分からなくなった。

 すると、また里中は説明を加える。

 「細胞は色々な機能を持ってるだろう? その機能を担当するそれぞれの部位は、元は別の生物だったと言われているんだ。ミトコンドリアが特に有名だけどさ。色々な機能を持った生物が、一つに融合して、作業を分化した。まぁ、それぞれがそれぞれの得意分野を担ったのだろうね。もちろん、それ以降の発展にも分化は観られる。多細胞生物は、様々な細胞で、様々な能力を分化しているだろう? 目とか心臓とか、脳細胞とかさ」

 「で、それがどうしたんだよ?」

 「これはね、同じ、なんだよ。よく考えてみればさ、分かるんだ。人間も経済の発展に伴なって、作業を分化してるだろう? 食料を生産する役割や、治安を護る役割や、機械を生産する役割や、その他色々。そして、それは経済の発展に伴なって起こっている。さっきも言った通り、経済が発展すれば生産物の種類も増える。生産物を、生産する機能、と置き返るのなら、これはまさくし、それぞれで作業を分化しているのさ」

 なる…… ほど。

 俺は、それをなんとなくだが理解した、ような気になった。

 「でもね、単細胞生物→細胞群体→多細胞生物、と発展していく過程で、一つ問題が起きたんだ。さっきも言ったけど、作業の分化は、細胞群体→多細胞生物でも、もちろん起きているのだけど… これらの細胞達が活動する為には、栄養やエネルギーが必要だろう? 機能させる必要のある体の部位に栄養やエネルギーを流通させ、そして、不要になった老廃物を、排出しなくちゃいけないんだ。じゃなくちゃ、その部分は死んでしまう。そして、その為に創り上げられたのが、恐らく、“血液”だったのさ」

 それは簡単に分かった。

 「血が巡らなければ、死ぬもんな、身体は」

 「うん。そしてね、これは、人間社会も同じなんだよ。家族だとか、小さい単位ならば作業を分化しても、それぞれが役割を担えば、皆は生きられる。ところが、これが大きくなるとそう簡単にはいかない。必要な生産物を全員に巡らせるのは、とても大変な作業さ。だから、それを効率良く行う為には、生物の血液に相当するモノを社会は創り出さなくちゃならなかった。そして、それが…」

 「金、つまり通貨か」

 「その通り」

 俺は里中が全部を言う前にそれを言った。

 これくらいの事なら分かる。それくらいは証明しとかなくちゃならない。

 「通貨によって、人は様々な生産物を得られるようになったんだ。そして、モノを生産できる機能が増えて、通貨が巡る場所が増えたなら、経済は発展をする事になる。通貨の循環速度が上がるからね。

 色々と社会は問題を抱えているだろう? 例えば、環境問題だとかさ。そういった問題を解決したいのならば、その為の機能を作らなくちゃいけない。そして、その為には、問題解決の為の、通貨の循環場所を増やすって発想がなくちゃいけないのさ」

 「ふぅーむ」

 俺はまたさっきと同じ声を発した。しかし、今回のは、納得いかない、の意志表示ではない。

 「これは、とてもベーシックで、単純な事柄で、しかも重要なのだけど、人は見誤ってるね。“通貨”というものに関する考え方が、そもそも間違ってるんだ。だから、村興しだとか、公共事業だとか、そうでなくても日常生活において、とんでもないミスを犯してしまう。不適切な通貨の利用の仕方をし、文句を言うべきじゃない事に対して文句を言い、執るべき行動を執らないで傍観している。でも、この村は、恐らく、そうじゃなかったんだ。少なくとも、犬神の事件の前までは」

 だからね……、と里中は言った。

 「僕はそれを調べようと思った訳なんだよ」

 里中は足を止める。

 目の前には村役場があった。

 とても小さく、一見して役場とは思えなかったが、そう書いてある。恐らく、間違いはないだろう。いつの間にかに到着していたようだ。考えてみれば、俺は場所を聞いていなかったのだった。

 「さぁ 入ろうか」

 そう言った里中の表情は、一見とても静かだったが、楽しくて仕方がない、といった表情にも、俺の目には見えた。

 もしかしたら、先に語った説明は、俺の為になんかじゃなくて、自分の為だったのかもしれない。こいつは、興奮が抑えられなかったんだ。


 中に入り、里中が労働者状況に関する調べ物があるので資料を見せて欲しい、と頼むと、ほとんど何の警戒心もなく、村役場の人達は、俺達を資料室へと案内してくれた。痩せた、分厚い眼鏡の、中年の男性が、それに付き添って来ただけだ。

 「かかるのかい?」

 時間が、という意味だろう。俺に訊かれたって分かる訳はない。俺は里中を見やった。既に、資料をあさり始めており、こっちに注意している様子はなかった。こりゃ駄目だと思い、俺は適当に、

 「いえ、分かりません。もしかしたら、かかるかも」

 と、そんな曖昧な返答をしておいた。

 俺の言葉を受けると、その眼鏡のおじさんは「まぁ どうせ暇だからね~」と、そんな事を言う。

 里中は、しばらく調べものに夢中になっていて、俺はその間、眼鏡のおじさんと二人きりで、随分と居心地が悪かった。何も話すことなどなく、どう接すれば良いのかまるで分からなかった。里中の調べ物を手伝おうかとも思ったのだが、そもそも、里中が何を調べているのかも分からないから、調べようもない。

 やがて、ある程度が経った時に、里中は何かを見付けたのか、それとも、単なる気紛れなのか、不意に口を開いた。

 「あの、どうしてこの村は、中央から渡された交付金を遣って、梅加工工場なんて作ったのですか?」

 「うん?」

 眼鏡のおじさんは怪訝そうな顔をする。

 「ああ、それはかなり前の話じゃないか。随分前の資料を見てるねぇ」

 里中は、資料から目を離していなかった。凝視したまま背中で喋ってる。不遜な態度だとは思ったが、俺はそのお陰で少しだけ助かった。眼鏡のおじさんとの“間”を気にしなくてもいい。

 「ええ、昔の話です。何故なのでしょうか?」

 「いや、当時の村長が変わった人でねぇ 村興しなんて全然考えない人だったんだ。まぁ、こんな交通の便の悪いとこで、村興しなんて、どうせ無理だろうけどさ。観光資源もないし、余所で幾らでも村興しなんてやってるだろうから、競争に勝つのも難しいし」

 「それで、梅加工工場を? それを村の産業にしようと思ったのですか? 梅の加工品を他で売って儲けようと…」

 「否、違うよ。村人が食べる為に作ったんだ。自分の村で作れそうなもので、欲しいものはあるか?ってアンケートをやって、結果梅酒やら、梅シロップやら、梅干しやらが上がり、それらを作る工場を設置する事に決まったんだよ。梅の木なら、いっぱいあるからな、この村。ただ、余所へ大量に出荷する程の量はないけど」

 なんだか、実にのんびりとした話である。欲のない人達なのだろう。俺がそう思っていると、

 「のん気な連中だろう? まぁ、この村で作れるもので、ってとこが、ミソだったのかもしれないけど。みんな、そんな大したものが、この村で作れるとは思っていなかったんだ。あの当時は」

 あの当時は?

 なら、今は作れるって事か?

 俺はその言葉が気になったが、里中はそれを聞き流して、次を質問した。

 「で、その後、その梅加工工場は、成功を収めた訳ですね?」

 「ああ、大成功って程じゃないが、成功はしたね。何しろ、元々、皆が欲しいものを作る工場を、皆の総意で作る事に決めたんだ。皆、ちゃんと買うよ。その為に外部から人を呼びさえしたんだ。工場を稼動させるには、人が必要だったから。それに、質も良いんだよ。皆、それまでは自分の家で作ってたろう? それをお金出してまでして買うのだから、不味くちゃ文句言うもの。幾ら手間がなくなって楽になったとはいえ。で、質が良いから、その内、村の外からも注文が入るようになってさ。やっぱり、大した量じゃないけど売れてた。だから、少しだけど利益にもなってたんだ」

 俺はその説明で、高野さんの説明を思い出す。

 なるほど、それが高野さんの言っていた村に人呼ぶ時に、面接までしたってヤツか… そのまんま、就職試験だったのだな。

 里中は資料を見ながら、更に尋ねた。

 「そして、その状態で、また中央から資金が渡されたのですね? この村に。それで、今度は、机やら椅子やら家具を作る手工場を作った。やっぱり、村人達が、自分達で使う為に」

 「その通りだよ。ここの村は交通の便が悪いから、どうしても送料がかかって、割高になってしまうし、自分の目で、商品を確かめるのも一苦労だ。だったなら、いっそ、自分達で欲しい家具を、自分達で作ろうかって話になったんだよ」

 「それで、梅加工工場の時のように、こちらも成功をした」

 「そうだよ。大体、同じ理由でね」

 という事は、更に外部から人を呼んだのか、村の人口はそれでまた増えたのだ。

 「そうして、そういった事が、何度も繰り返されたのですね?」

 「その通りさ。衣服も自分達で作った。他には、鶏卵、鶏肉、牛、豚、なんかの肉類も作って、それの加工工場も。もう、自分達で作れそうなモノはできるだけ自分達でって感じだったね。中には失敗もあったけどさ。で、その内、電気屋さんなんかも新しく出来た。これは村営じゃないよ。ほら、外部から人を呼んでて、人口が増えてたからさ、そんな商売ができるようにまでなってたんだなぁ。その前にも、電気製品を売ってる所はあったけど、他の商品に紛れて、申し訳程度だった。で、そんなこんなで、時期はそれからちょっとずれるのだけど、次第に、村人達の間にパソコンが普及していった。新住民達が使ってた、その影響もあるのかもしれないけど。で、それから、ネット設備を整えようって話にもなったんだよ。君達も、ネットのお陰でこの村を知ったのだろう?

 じゃなくちゃ、こんな村、中々知られないものなぁ」

 俺達はそれに答えない。

 まさか、ネットで、犬神の事件を知ってここに来たとは言えないからだ。

 俺達が何も答えないでいると、あれが最後の、大きな工事だったなぁ、と眼鏡のおじさんはそう呟いた。

 村の大体の発展の流れが分かった気がする。村人の為に村に工場を作り、その度に人が増え、それでささやかに発展をしていったのだ、この村は。そして、そんな理由で、環村は住み良い場所となり、都会離れを望む人達にとって人気スポットになったのか。そうして、そこまで発展していたものが、“犬神騒動”によって、一気に崩壊してしまった。……否、完全な崩壊ではないか。まだ、人はたくさん住んでいる。

 一体、犬神騒動で何があったのだろう? 何が原因でこうなった?

 里中は知らない間に机に移動していて、資料を見ながら、何かを紙に書いている。どうも、計算をしているようだ。何の計算だか分からないが。

 眼鏡のおじさんは、それから少し寂しそうにしながら、言い難そうにこんな事を言った。

 「ま、それから、ちょっとした事件があってさ。この村は廃れていってしまったのだけどね」

 もちろん、“犬神騒動”の事だろう。訊いてくれるな、という雰囲気。やっぱり、厭な記憶なのだ。

 里中は、熱心に計算をし続けていた。だから、眼鏡のおじさんの言葉は、独り言のようになってしまう。まぁ、俺がいる訳なのだが、俺は何も返さないから。

 俺は、里中が何かを計算しているのを見て、もしかしたら、先に説明された経済理論に関する何かをやっているのかもしれないと、そんな風に考えた。

 先の、里中が語った経済理論。

 既存にあるものなのか、それとも里中のオリジナルなのかは分からないが、あれはモデルを使った思考方法だった。

 あのモデルを、この村に当て嵌めたら、どうなろうのだろう?

 5人いた人々の中に、一人加わり、6人に。人口が増えるのだから、そうだろう。作っていた生産物は、食料。で、6人目の分も、この村は当然作れる。だから、6人目が食料を生産する必要はない。すると、6人目は別の生産物を作る事ができるようになる。

 それが、梅加工品(これは食料だが)やら、家具調度の類だったのか。

 少し、先のモデルとはパターンが異なるが、あまり問題にはならない。あのモデルでこの村の経済を理解する事ができる。

 俺はそこでふと思い付いて、こんな質問をしてみた。

 「あの、この村では、村離れ… 若者が外へ行ってしまうって現象は起こらなかったのですか?」

 ちょっと驚いた顔をして、眼鏡のおじさんは俺を見た。突然、口を開いたからかもしれない。

 「ああ、少しはあったけど、発展している最中は少なかったな。農業をやる以外でも、生きていける道があったし、都会に引越しても、やっぱり住み難いって、物もあるし、人もいるなら、故郷の方が良いって、帰って来る連中も多かったよ…

 ……でも、今はどんどん出て行ってるな」

 それだけを言うと、おじさんはまた寂しそうにする。

 都会から、わざわざ環村に引越して来る人間がいたくらいだ。それは、当然、そうなのだろう。

 その内、里中はコトリとペンを置いた。

 「なにか分かったのかい?」

 おじさんが訊く。俺が訊きたかった事だ。

 「ええ、ちゃんと分かりました。ありがとうございます」

 里中はそうお礼を言う。

 一見、礼儀正しいが、実はかなり不敬な態度でもある。少しも伝えていないし、分かった内容を。大体、こいつは、最初から何を調べたいのか言ってないのだ。

 里中は、それから、もう調べたい事がなくなったのか、「では、ありがとうございました」と、言うと直ぐに村役場を出てしまった。

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