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かなーり昔に書いたもんを掘り返してみました。
まだまだ知識も筆力もない頃で、おまけに少しカッコつけな文章もあったりで恥ずかしいのですが、載せてみました。
「妖怪に、興味なんかないよ」
そいつのその発言を聞いた時、正直な話俺は驚いた。なにせ、そいつが所属しているのは『怪異研究会』という、名前の通りのあやしげなサークルなのだ。普通に考えるのなら、そんなものに所属をしている人間の口からでる言葉じゃないだろう。
この『怪異研究会』は、一応、高校のサークルがその母体になる訳だが、既にその位置付けは曖昧なものになってしまっている。むしろ、発端が高校のサークル活動、と言ってしまった方が良さそうだ。元々、生徒たちが数人集まって、勝手に始めたサークルで、学校側の許可を取ってるものではない。だから当然、資金も下りないのだが、だからこその自由度もこの団体は持っていて、そして、その自由度が、学校のサークル活動という枠を曖昧にしてしまった原因でもあったようだ。
この『怪異研究会』は、ホームページを作成して、外部の人間達に自分達の活動を公表した。それも、枠を曖昧にした大きな要因の一つとなった。そのページはもちろん、怪談関連の他のページと相互リンクする事になったからだ。そうすると、外部の人間も『怪異研究会』に関与してくる。関与してくるだけならばまだ部外者として扱えたが、活動にも参加してくる。それは、その『怪異研究会』のメンバーが卒業をしてからも、積極的に会に関わって来るようになって決定的になった。
元々リベラルな性質を持った集団である事が影響したのか、卒業生が大学やその他で知り合った、高校とは全く関係のない人間達も、その活動に当たり前のように参加するようになったのである。
その主な活動場所が高校である必要がなく、インターネットの普及した今、誰でも手軽に関われる為、参加への障害は減り、遂には高校サークルという枠を飛び越えてしまったという事なのかもしれない。
もちろん、元々自由に始まった“会”なのだから、会員登録も簡単にできる。何の決まり事もない。それで、この研究会は、いつの間にかに、物凄い人数に膨れ上がってしまっていた。
ただ、そこに主に顔を出す人間の数はそんなに多くはなく、単に登録しているだけで、何も関わって来ない人間も実にたくさんいるのだが。
この『怪異研究会』は、発端当初、つまり高校のサークル活動レベルであった頃は、所謂、心霊愛好会のような性質を持っていたらしい。心霊写真や、幽霊の声が入ったテープ、または幽霊が映っているビデオ、怪談。そんなものを集めて、まぁ、面白がるといった趣旨のもので、とても“研究会”などといった名前で呼べるような代物ではなかった。それは、当人達も半ば自覚していたようで、冗談のようなつもりで付けた名だったようだ。
しかし、時が経てば性質は変化する。否、付けた名前に影響を受けて変化してしまったのかもしれないが、いつの間にかに、この『怪異研究会』は別の趣を持った別の団体になってしまったのだ。
“怪異”が実際に起きていてもいなくても関係ない、その“怪異”が語られる事自体に興味を持ち、その社会的背景や、心理的背景を考察したり分析したりして整理する、といった真面目な団体になってしまったのである。
冒頭で言った男の言葉を借りるのなら、「自然科学的に怪異を捉え扱うのではなく、社会科学的に捉えるようになった」、という事なんだそうだ。
もし、怪異が実際に起こったのだとしても、それは確かに珍しい事件なのだろうが、社会的に何か語り継がれる要因がなければ、残ったり広く噂になったりはしない。記録としては残るかもしれないが、それはそれ以上にはならないだろう。ならば、むしろ興味深いのは、社会的背景の方だ。
と、どうやら、そういった発想の転換が為されたようなのだ。
ま、時代の流れを考えても、これは納得できる変異であると言えなくもない。
昔はTV番組なんかの怪奇特集でも、至極くだらない怪異の内容にわざとらしい演出を施して、如何にも本物っぽく見せる事が主流であったのが、最近では、本物かどうかを疑いながら怪異を紹介し結論は出さずに終る、といったパターンのものが増えてきている。前者のようなやり方では視聴者を騙せず、却って呆れられてしまい、後者のようなパターンが生まれ始めたのだろう。それだけ、視聴者の質が上がってきているという事なのかもしれない。
そして、こういう流れの一方で、社会科学的に怪異を扱うことの面白さを紹介した本や小説なんかも、巷には増えてきているように思える(しっかりと、統計を取った訳ではないので、何とも言えないのだが)。
それらの影響を受けて、怪異好きの連中の、怪異というものに対する捉え方が変わった事は充分に考えられる。
特に、小説の影響は大きかったかもしれない。小説は、その演出によって、提示する世界観や発想や理論などを、魅力的に見せる事ができるからだ。
ただ、そういったモノに影響を受けて何かを始める人間にありがちなのが、実質までにはそれが到達していなくて、単なる真似事になってしまっているというもの。その世界に陶酔するためにカッコだけ付けているという、つまりはお遊びだ。もちろん、お遊びにはお遊びの価値があるから、それはそれで否定されるべきものじゃない。しかし、滅多に学門レベルで意味のある内容を扱ったりもしない。
そして、この『怪異研究会』にも、少なからず、その感があった。高度な価値は持っていない、単なる趣味人たちの遊びの場。
だけれども、
先にも述べたように、この『怪異研究会』はネットを通じて、相当の人数にもなってしまっている。そうすると、何処からか、妙な怪異の情報を拾って来たりもしてしまうのだ。
「妖怪に、興味なんかないよ」
そして、そう発言をしたそいつとは、そんな怪異調査の一つで知り合った。
因みに断っておくと、俺はこの『怪異研究会』には所属していない。だが、その怪異を調査する一行に強引に加わった。理由は簡単だ。『怪異研究会』に所属している俺の彼女が……、
「……彼女で良いのだよな?」
「良いんじゃない?」
……という微妙な関係なのだが、木下郁子という名の俺の彼女が、この調査に参加すると主張したからだ。
理由と目的はどうあれ、一緒に旅行できる数少ない機会だ。逃がす手はない。それに、この旅行の最中で、郁子に何か悪い虫がつくとも限らない…
……と言っても、この郁子はかなりの変わり者なので、その辺りの心配はあまりしていなかったが。郁子は大抵の男にはまずなびかないし、男の方でも、しばらく一緒にいれば引いてしまう。近くにいれば面白いが、近過ぎると疲れそう。そんな性質の女なのだ。木下郁子は。
だが、
その一行の中で、ただ一人だけ、郁子と共感してしまいそうなくらい変な男がいたのだ。
それが、里中という名のそいつだった(フルネームは教えてもらっていない)。
俺は当然、里中をマークした。そして、電車に乗った時に隣の席に座って、色々と話をし、どんなヤツなのか探ろうと試みたのだ。
そして、手始めに、今回調べに行く怪異とも関連があるだろう妖怪の事を尋ね、返って来た言葉が「興味なんかない」だったのである。
今回調べに行く怪異とは、大体、こんな内容のものだ。
環村という山奥の農村で起こった事件。この村は、僻地ながらもそれなりに恵まれており、生活するのには適していた。ところが、ある時に村の特定の男達に異変が起こった。集団で奇行に走り始めたのである。その奇行とは、犬を買い求めるというもので、男達は犬を手に入れる為に有り金を叩き、借金までした者もいるという。そうして、なんと、遂には自分達の財産のほとんどを失ってしまったらしいのだ。
娯楽が少ない村で、その犬らは高級な品種のものが多くあったらしいが、それでも、財産を失うまで、たかが犬を、しかも何匹も買い求めるというのは尋常な行動ではない。そして、それまでは安定していたこの村も、その為に貧困に陥る家庭が続出し、すっかり荒れてしまったらしい。
その影響で仕事を失った者も多く、そうした人間達の中には、別の土地に去ってしまった者達も数多くいる。
ここまでくれば、まさしく“怪異”だろう。
犬の霊、或いは犬神に憑かれたのだ、という事にどうやらなっているようだった。
「妖怪に、興味なんかないよ」
「は?」
そう言われ、俺は目を丸くして里中を見返してしまった。
その俺の顔を見て、里中は「好きだけど、妖怪自体に興味はない」、とそう言い直して来る。
そう言い直されても、俺には訳が分からない。
俺が戸惑っていると、里中は、
「君、名前はなんだっけ?」
「神谷だよ。神谷昇」
と、俺の名前を確認し、続けて、俺の名を確認したのにも拘らず、俺の名は呼ばずに、
「君、猫は好き?」と、問い掛けて来た。
「好きだけど」
「じゃあ、猫について、もっと詳しく知りたいと思う? 猫の習性だとか、種類だとかの事を」
「否、別にそこまでは興味ない」
「うん」
それを聞くと、里中は頷く。
「僕にとっての妖怪も、大体、そんな感じなんだよ。妖怪に関する事だとか、読んでるとそれなりに楽しいけど、妖怪自体を詳しく知りたいとは思わないんだ」
俺は、その分かったような分からないような説明に、一応は頷いてみた。取り敢えず初対面だし、文句を言うのは失礼に当たるだろうと判断したからだ。ところが、
「それじゃ分からないって」
突然、横から、郁子のヤツがそう口を出して来たのだ。
俺はそれに少し、不安になる。
郁子が俺がいるから、会話に乱入して来たのか、それとも、この里中って男に興味があるから乱入して来たのか、それを察し兼ねたからだ。
だけれども、それと同時に俺は分かってもいた。郁子に関しては、そんな心配はしても無意味だという事を。それは、俺の関与が郁子に全く影響を及ぼさないという意味じゃない。郁子にとって、はじめの目的はほぼ無意味なのだ。次の瞬間には、その行動の目的は別の所に行っている。
その心配が事実であったとしても、それに基づいての行動は、だから、既に意味を為さなくなっているのだ。
「何が?」
不満そうに、里中はそう漏らす。
この二人は、既に顔見知りのようだ。
二人とも、この『怪異研究会』のメンバーだ。だから、知り合いであっても別に不思議でも何ともない。仲の良い関係とは限らないし。
が、それでやっぱり、俺は少しだけ不安になってしまった。
「妖怪自体には興味ない、なんて言い方をされたら、じゃあ、妖怪に関連する何になら興味があるの?ってなるじゃない。それを説明しないで、そんな事だけを言われたって、神谷君は戸惑っているわよ」
全く、その通りだった。
それから、里中は俺の目を見て、その主張に対して俺が何の異存もないのを確認すると口を開いた。
別に説明が面倒くさいって反応には見えなかったが、積極的に説明しようって面にも見えない。そんな何とも言えないような表情で、里中はまずはこんな事を言った。
「これを説明するのには、自然科学と社会科学の、思考方法の違いから言わなくちゃいけないから、長くなるのだけど……」
科学?
妖怪の話で、何故自然科学やら社会科学の話題が出てくるのか、俺には想像もつかなかった。ただ、少しだけ、興味を引かれた事は引かれたが。
「いいって、いいって、さっさと始めちゃって」
本来は、俺への説明であるはずなのに、勝手に郁子はそう応える。
「……そう?」
里中は、少し困ったような顔になり、郁子はなんだかとても面白そうにしている。こんな郁子を見るのは、珍しい事だ。
ただ、この面白がり方は、恋愛だとかそういった事とはあまり関係がなさそうに思える。
まだまだ、俺はこの木下郁子という女の事を全く掴み切れていないが、そういう事だけは何だか分かって来ているのだ。
「……それじゃ始めるけど。
自然科学っていうのは、主体の外を扱う科学なのさ。自然がどうなっているのか、人間は何も知らないだろう? 重力が存在する事も、地球が丸いという事も、質量がエネルギーであるという事も、みんな人間は知らなかった。自然科学がそれらを解き明かす事によって人間はそれらに言葉を与え、はじめて、自らの内に存在させる事ができたんだよ」
説明に妙な表現を使っているなと俺は思ったが、意味が理解できない程じゃない。だから、俺は何も口を挟まなかった。
「つまり、人間が決定できない、自然が決定をしている、人間という主体の外の領域を扱うのが、自然科学なのさ。そして実は、自然科学ってのは、本質的には不確定なんだ。人間は、主体の外が本当はどうなっているのかを永遠に知る事はできない。何故なら、人間が想定した自然のモデルが間違っている可能性は、幾らでも考えられるからだ。例えば、ユークリッド幾何では、直線は長さのみを現すもので、そして、永遠に何処までも続いている、となっている。ところが、地球みたいな球体の場合、この条件は成り立っていないんだ。直線を引けば、ぐるっと一周して帰って来てしまう。なんだそれだけの事かって思うかもしれないけど、これは重大な相異点で、この違いがある事によって、他の結論もどんどん覆ってしまうんだよ。ユークリッド幾何の条件では、二つの直線が交わるのは一点のみだけど、球体の場合、二点で交わる。他にも、三角形の内角の和が180度になる、というのも崩れてしまうね。球体の場合丸いから、本当に精密に、正確に角度を測れば絶対に180度よりも上になってしまうんだ。もちろん、それが違えば、四角形の内角の和が360度っていうのも違って来るよ。そして、地球に沿って平らな面でなら、実際にこれはこうなんだ。つまり、人間の想定した仮定モデルが間違っている可能性は幾らでもあるって事さ」
語り始める前は、なんだか微妙に愚図っていた癖に、里中は説明を始めてしまうと、人が変わったように饒舌になった。その説明を、郁子は面白そうに聞いている。
つまり、こういう奴なのか?里中ってのは。それで、“これ”を郁子は期待していたのか?
この“語り”を。
「自然を知る為に、人間は仮定モデルを作成する。しかし、その仮定モデルが正しいのかどうかは、全ての正確な情報を集めなければ分からないんだ。そして、全ての正確な情報を集めたかどうかを証明する事は不可能なのさ。幾ら情報を集めても、隠れた情報が存在する可能性は否定できないし、集めた情報が正しいかどうかも分からない。だから、自然科学ってのは、本質的には不確定である訳なんだね」
里中のその説明を、俺は何となくだが、理解できた。少なくとも、理解できたような気になった。
「なるほどな。要するに、自然科学で扱う全ての説は、本質的には全て仮説に過ぎないって事か」
俺がそう感想のような弁を述べると、里中は頷いてこう言って来た。
「そう。もちろん、より確からしい事と確からしくない事の差ってのはあるよ。完全に白にも黒にもならないけど、灰色の濃さは、白に近付くし、黒に近付きもするのだね。飽くまで、提示されてある情報の範囲内でだけど。そして、それがそうなってしまうのは、自然科学が主体の外を、つまり客体を扱う科学であるからなんだ。ところが、これが社会科学の分野になって来ると、そうじゃなくなって来るのさ」
「そうじゃない?」
「そう。そうじゃないんだ。社会科学っていうのは、人間社会という主体の内を扱う分野でもある。つまり、人間が決定している領域を扱う分野でもあるんだ」
それは簡単に分かった。
人間社会は人間が形成している。だから、人間社会の事を、人間は決定しているはずだ。
「例えば、法律だとか、物語だとか、そういったものを、人間は社会に存在させている。それらをコントロールできているかどうかは別問題として、人間は、それらが存在する事を、社会という主体の中に決定しているんだ。そして、人間社会にとって役に立つ決定をすれば、人間社会はより良くなる。だから、社会科学的思考にとって重要なのは機能面である訳だね。そのルールなり、文化なりが、社会の中でどう機能しているのかが重要なんだ。だから、役に立たなければ、法律は改正される。
…信号機という交通ルールを社会の中に敷く、すると、秩序が生まれ、事故が少なくなる、という効果がある。だから、それは社会的に重要。存在させる意味があるってなるんだ。そして、その事実には、自然科学のような不確定性は伴なわない。自分達で決定している事なんだから、当たり前だね。つまり、自然科学の観点とは根本的に違っているのさ」
俺は里中の意見を聞き終わって、それに納得をしていた。しかし、納得しつつも僅かな疑問が生じた事を認めない訳にもいかなかった。
「うーん。大体は分かった。たださ、少しおかしくもないか? 社会科学って、民俗学とかそういうのも入るよな? 社会心理学とかもさ。そういったものの場合、なんだか、今の理屈は通らないように思うのだけど…」
民俗に伝わっているモノを調べるだとか、若者の文化を調べるだとかいった場合、機能がどうとかの前に、事実かどうかが重要なのじゃないだろうか? そして、その場合は、自然科学と同じ様にその認識は不確定にしなければいけないのじゃないか?
少しの情報で、それを知った気になってはいけない。
俺は、そういう風に考えた訳だ。
すると、里中はあっさりとそれを認めた。
「その通りだよ」
「へ?」
しかし、そこから言葉を繋げて、
「でも、それは僕の主張が間違っているって事じゃない。最初に言っただろう? 自然科学が不確定なのは、主体の外を扱う科学だからなんだって、社会科学だってそれと同じさ。社会というものを、主体の外と捉える場合、自然科学と同じ思考方法が必要になって来るんだ。アメリカ大陸を発見したってよく言うけど、元々、アメリカ大陸には人が住んでいたんだからこの理屈はおかしい。しかし、西洋社会というものを主体にし、その主体が、外にあるアメリカ大陸を発見したってすれば、何もおかしくはない。ま、そういうような理屈だね。因みに、極論で言えば、個人を主体として捉えるのなら、その外にある社会は、全て客体になってしまうよ」
そこまでの会話が終った時だった。郁子が、ドライなのに、妙に幼く感じられる声で言う。
「相変らず、変な事いっぱい考えてるのねー」
何だか馬鹿にした、興味のなさそうな口調である。だが、その実、郁子は面白がっているらしく思えた。
俺には、なんとなく、それが分かった。
「でも、その思考方法の認識って、境界線が曖昧な部分もあるのよね、もちろん」
その郁子の言葉を聞いて、里中はこう言う。
「そうだね。例えば、社会制度だとか文化だとかが、機能的にどう優れているのかを、主体の外にあるモノとして捉えて、解き明かしていって、それを主体の内にあるモノとして展開するってような事も、社会科学の分野では重要だよね」
すると、郁子は首を振った。
「わたしが言っているのはそういう事じゃなくて、人間社会が決めている事って言ったって、人間自体は、自然が形成しているものでしょう? なら、何処までが社会科学で、何処までが自然科学なのか、その境界線はとても曖昧なんじゃないかって、そう思ったのよ」
それを郁子が言うのを聞くと、里中は虚をつかれたような顔になった。そして、こんな事を言う。
「ああ、そうだねぇ そういえば、人間科学って、一応、自然科学の一分野になっているのだけど、社会科学に入れる事もあるんだ」
そこに重ねて、俺も言う。
「人文科学だって、そう捉えれば関係あるよな? 小説やなんかだって、社会の中に広く伝われば、その影響は無視できない。だから、社会科学的に意味のあるものになって来る」
二人の会話に取り残されたくはなかったのだ。
里中はそれにも頷いた。
「うん。それも、そうだね。 さっき言ったような理由で、思考方法が違うから直接は結び付けられないかもしれないけど、人文科学も、データとしては、人間科学で重要だし、それに、キャラクターである妖怪だとか、物語だとかは、本来人文科学のものだけど、社会科学の分野でも重要なんだ。水木しげるが妖怪を漫画の中で描いた事によって、社会に与えた影響なんか、社会科学的に妖怪を扱う場合でも、とっても重要になってくる………」
里中はそれを言い切ると、なんだかとても満足気な表情をした。知的欲求が満たされたのかもしれない。
「で?」
その様子を観て、どうも会話が一段落してしまいそうな気配を読み取って、俺は慌てて口を開いた。
「大体は分かったけど、それがどうして、“妖怪自体には興味がない”って発言と結び付いて来るんだ?」
元々は、その説明からの会話であったはずだ。それを曖昧なまま終らせられたら堪らない。
すると、里中は再び饒舌になった。
「うん。社会が物事を決定できるといったって、それらがどう動くかは分からないだろう? その社会制度によって、世の中がどんな影響を受けるのかは未知数だ。社会主義という制度の場合、それは崩壊に至り、民主主義の場合は社会と社会の壁が徐々になくなり始め、融合する方向に動いている…… 問題もたくさんだけどね。その社会が、自ら決定した事によってどう動くのか、といった部分。それを少しでも解き明かすのに、どうやら妖怪というものは面白い題材のようなんだ。妖怪というものが、社会の中でどう扱われ、影響を与え合い、どう変わって来たか。社会というものの脈動を観察する為の、目印として使える。妖怪自体も僕は好きだけど、興味があるのは、その社会の“動き”の方なんだね。先に、人間心理も社会には影響を与えるから、自然科学との境界線が曖昧だと、そんな事が上がったけど、妖怪は人間の裏の姿だ、なんて言った人がいる。つまり、妖怪を観る場合、社会科学だけでなく、人間科学の領域をも考慮し、それらを捉える事がある程度はできると思えるんだよ」
「ふーん」
俺はそれを聞いても、中々に上手く飲み込む事はできなかった。今度の説明は難しい。しかし、
「つまり、人間社会というものを知る手段として、妖怪は重要なんだって、そんなような話なのか?」
そう自分で言葉にして言ってしまうと、何だか理解できたような気になった。自分自身で、自分自身に説明をしたのかもしれない。
「まぁ、そうかな? 妖怪自体には興味はなくても、人間社会と、そして人間自身には僕は興味があるんだ」
そして、その理解は、里中の返答によって更に正しいと確かめられる。
ただ、
ふむ。
まぁ、なんとなく、それは正しいような気もしないではないが、俺は妖怪なんてものが、本当にそんなに重要なのかどうか、少し訝しんでもいた。
ふと見ると、郁子は興味が既になくなってしまったのか、別の場所へと移動している。
“妖怪”で、この郁子の行動パターンも理解できるようになるのだろうか?
……恐らく、無理だろうな。
別の場所で、笑っている郁子を見ながら、俺はそう思った。
(里中の言うのは、そういう事ではないのだろうけど)




