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08.勇者、契約する。

 クリスタルハーゲンにおいて、勇者の位は世襲制である。

 魔王を倒すには、女神イレイアの祝福をうけた聖なる血を継ぐ乙女の存在が不可欠だからだ。

 よって、初代勇者クリスティアの血を受け継ぐ乙女たちが歴代勇者を担ってきたけけど――……だれもかれもが、好き好んで勇者になったわけではない。

 理想の勇者たらんとした者もいれば、ただ殺戮を欲し勇者となった者もいるし、わたしのように、勇者になることを望まなかった者もいる。

 そもそも血筋だけで選ばれるのだ。いつ、どこで、国の最強の兵器ゆうしゃが裏切るとも限らない。

 よって勇者は、魔王退治の旅に出る前にひとつの魔術を施される。


 それは、いにしえの文字が重なり、奇妙な紋様を描く真っ赤な印の形をしている。

 ちょうど心臓の上にあり、わたしの母上曰く、「魔王を打ち倒すか、勇者が死ぬまで印は消えず、勇者の務めを果たさぬまま国の大地を踏めば、たちまち命がなくなる」という末恐ろしい代物のろいである。

 そしてこれは余談だけど、そんなブツを、あくびを噛みしめつつ数秒ちょっとで施術した母上は、ある意味この魔術の設計者よりも恐ろしいと思う。思い返してみると、あのとき母上はやけに機嫌よく微笑んでいらっしゃった気がする。娘をなんだと思っておられるのだろうか。


「リリス……さんは、相変わらずですね」


 リリス。

 わたしの母上のお名前だ。まさかこの場所でその名を耳にすることになろうとは。

 わたしは、発言主のルキウスさんを凝視した。


「母上のこと、ご存じなんですか?」

「……まあ、ちょっとした縁がありまして」


 ルキウスさんの藍色の瞳が翳る。いや、翳るというレベルを突き抜けて、一瞬にして瞳から輝きが失われた。こころなしか顔が青い。


(母上……)


 いったい、ルキウスさんに何をなさったんだ。

 「赤霧の魔女」の異名を持つ先代勇者の母上は、美人で、天才で、冷徹で、きまぐれで、享楽主義者で、サディストだ。スイッチが入ると、人を襲う(暴力的な意味で)。

 父が亡くなって以来、情緒不安定に拍車がかかった(と叔父上が語っていた)母をもつわたしとしては、たまったものではない。サウンドバック役は辛いのである。


「その、なんというか、母がすみません」

「いえ……今となってはいい思い出です」


 ルキウスさんが儚げな笑みを浮かべる。その頬はわずかにひきつっていた。

 明らかに無理をしている。どうやらわたしは、彼のトラウマを刺激してしまったらしい。

 旧サウンドバック(推定)たる彼に合掌。

 なにがあったかは知らないし、精神の安寧のために知りたくもない。


「我、ルキウスの思い出はかなりどうでもいいな」


 突然口を開いた魔王は、なにを言うかと思えば毒を吐いた。

 すてきなスマイルとは裏腹に、言っている内容は鋭いナイフだ。

 さすが魔王、えげつない。


「そんなことより、勇者の今後について考えるべきじゃない?」


 国に帰れないなんて大変だよ、とさして大変とは思っていない体で告げて、スコーンをかじる。

 今度は欠片をぼろぼろとこぼすことはなかった。成長を感じる。


「行くあては?」

「……残念ながら」


 ルキウスさんの問いに、頭を振る。

 事前にキャンピングセットでも準備しておくんだったと後悔するも、すべては後の祭りである。


「ここに置いてもらおうなんて思うなよ」


 ケーキを完食したサティさんが、唇の端についたクリームをぬぐいながらわたしを睨みつける。

 もとよりそんなご迷惑をかけるつもりはない。そう言おうとして口を開きかけたわたしは、瞳を輝かせている魔王を見てしまう。……なんだろう、得体の知れない嫌な予感がする。


「ここに、置く……?」

「そもそも、勇者なぞは出会った瞬間にぶち殺――むぐぅ!?」

「サティ、ちょっと黙りましょうね」


 いきり立つサティさんの口に、ふわふわのシフォンケーキがつめこまれた。

 犯人はもちろんルキウスさんである。サティさんによって魔王の話の腰が折られるのを阻止しようとしたらしい。よく出来た宰相さんだ、と感心を覚えずにはいられない。

 一方の魔王は、ルキウスさんの働きを知ってか知らずか、相変わらず夢みる乙女のように目をきらきらさせている。わたしの嫌な予感は膨れ上がっていくばかりだ。


「ねえ、勇者」

「は、はい」


 一体何を言われるのだろう。

 わたしはびくびくして、魔王の言葉の続きを待つ。


「ずっと魔国ここに居るといいよ!」

「…………は?」

「だって、国に帰れないんでしょ? 魔国から出たとしても外は魔物がひしめく森と砂漠しかないし、流石の勇者でも死んじゃうと思うよ」


 だから、対処法が見つかるまでここにいたら? ということらしい。

 予想の斜め上を行く、突拍子もない提案だった。

 びっくりして言葉が出ないわたしの横で、シフォンケーキを嚥下したサティさんが勢いよくテーブルを叩く。


「僕は反対だぞ! どうして勇者なんかと――ふぐっ」

「サティ、口を慎みなさい」


 ルキウスさんはうっすらと笑みを浮かべた。手には銀製のフォークを持っていて、その尖端はサティさんの口の中にある。モンブランが丸々ひとつ、サティさんの口の中に放り込まれたのだ。


「私は反対しませんよ」

「えっ」

「よし、決まりだ。ルキウス、銀月宮の手配を」

「銀月宮……ですか……?」

「返事は?」

「――――御意」


 わたしの意思なんてそっちのけで、話がどんどん進んでいく。

 ちょっと待て、とストップをかけようにも、魔王の外は怖いよ発言を思うと二の足を踏んでしまう。

 魔王は相変わらず笑顔だ。


「決まりだね」


 魔王が指を鳴らすと、彼の前の空間がぐにゃりと歪んだ。そこから一枚の羊皮紙が現れ、ひらりと宙を舞い、わたしの前に落ちる。

 手にとってまじまじとみると、金色に光輝く文字がずらりと並んでいた。


「勇者。指、出して」

「?」

「いいから」


 指とこの紙と、一体何の関係があるんだろう。

 そう思ったけれど、魔王の穏やかなのになぜか凄みを感じる笑みに押し切られ、わたしは指を差し出した。


「ちょっと我慢してね」


 そんな言葉とともに、指の腹の皮、そしてその下の肉が、きれいに切れた。

 というか、切られた。魔王が、詠唱破棄ノー・スペルの風魔法でわたしの指をざっくり切ったのだ。

 傷つけられた指先から、鮮やかな赤をした液体がどくどくとあふれ出す。

 それを見て満足げにうなずいた魔王がもう一度指を振ると、流れ出た血液は生き物のように蠢き、意思を持っているかのごとく動き出した。何の魔法なのか知らないが、引力をものともせずに宙を漂っている。


「なっ、なな……っ!?」

「勇者」


 身を乗り出した魔王が、呆然とする私の耳元で甘く囁く。


「きみの名前は?」


 古来より、名前は、生きとし生けるもののたましいを縛りつける最も強い力であると言われている。

 ゆえに、まことの名は悪しきものに教えてはならない。

 魔王なんてそのいい例だ。


「秘密です」

「……そう」


 睨みつけてやったというのに、魔王はゆったりと微笑んだ。

 そして次の瞬間、


「――――イヴ」

「っ!!」


 とろけるように甘くて冷たい声が、わたしの名を呼んだ。

 わたしは一度たりとも、自分の名を口にしてはいないと言うのに。


「どうして……」

「あはは、秘密」


 目を瞠る私の前で、宙をただよっていた血液がしゅるしゅると形を変えながら羊皮紙に吸い込まれていく。やがて羊皮紙は銀色の輝きを帯び、それが失せたころには文字が浮かび上がっていた。

“イヴ・ラ・ブラン・クリスティア・メグ・グロリエ・フィーラ・オディリール”

 銀色の文字が綴るのは、わたしの名前だった。


 ただのサインなんかじゃない。

 これは、古くから伝わる儀式魔術だ。

 どうあがいても逃げられぬよう、わたしのたましいを縛り付ける契約。

 それを誓う書。


 驚愕の表情を浮かべたまま固まるわたしの顎をそっと指で持ち上げ、魔王が笑う。

 まるで、もう逃げられないよ、というように。


「契約完了だ」


 軽やかにそう告げた彼は、これまた軽やかに顔を近づけ、そして。



 ちゅっ、と。



 わたしの唇を奪った。

 もちろん邪な理由なんてないのは分かってる。

 契約の完了のために必要な作業だ。ただの作業。

 …………ファーストキスだったんだけども。


「ごちそうさまです」

「……陛下、貴方って人は」

「ははは、はれんちだ!」


 三者三様の声が上がるなか、魔国に君臨するうつくしい王さまは艶やかに微笑んだ。


「これからよろしくね、イヴ」

「…………!」


 咄嗟に口を開くが、声が出ない。

 驚きと、怒りと、困惑と、恐怖。多様な感情が入り交じり、罵倒の言葉は幾通りも頭の中に浮かぶのに、それらはすべて喉の奥につまってしまったかのようだ。

 身体から力が抜けていくような感覚もする。感覚というか、事実そのようで、わたしは足元から崩れ落ちた。


「おっと、あぶない」


 地面とキスする寸前に魔王に抱きとめられるが、嬉しくない。

 だってわたしがこうなった原因は、十中八九この人にあるのだ。


「あり、え、ない……」


 そう言い捨てて、わたしは意識を手放した。

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