07.お茶汲み宰相登場
「え? 魔王退治?」
ことのあらましを聞いた魔王が、「すごいねー、おつかれさまー」と笑った。完全に他人事だと思っているようだ。
スコーンを片手にわたしの話を聞いている彼の後ろでは、羽根の美しい小鳥たちが思い思いにさえずっている。
謁見の間が爆発したあと、魔王に案内されたのは、芳しい花の香りに満ちた広い温室だった。
生い茂る木々に囲まれて人工的な白亜の段差があり、それは中央に向かうにつれて高くなっている。一番上には水の湧き出る池があって、そこから温室中を巡る水路に水が流れていく仕組みらしい。池には等間隔に渡り石が並んでいて、そのさきには東屋がある。
ただいまわたしはその東屋にて、魔国のトップたちとお茶を囲みつつ尋問されて……もとい、談笑していた。
人間はわたし一人であるのに対し、魔国側の面子は錚々たるもので、国の頂点に君臨する魔王と、彼を補佐し国を動かす宰相のルキウスさん(爆発の轟音に驚いてやってきたのだ)、そして、臨時元帥のサティさんの三人が揃っている。
たぶんこの三人で、国の一つや二つは容易に壊滅させられるだろう。
魔国の――特に魔族の上位個体は、存在自体が爆弾のようなものなのだ。
ちなみに、長方形のテーブルを囲んで座っているため、わたしの向かいには魔王とルキウスさんが、隣には仏頂面のサティさんが足を組んでふんぞり返っている。
“合わない”仲であるわたしたちができるだけ距離をとって並んでいるのは言うまでもない。
「魔王退治以外で人間がここへ来るんですか?」
「んー、ないね。……あ、でも、人間が迷い込んでくることは時々あるかな」
やはり、恐怖の魔国説はどこの国でも健在のよう。
ここへ迷い込んでしまった哀れな人は、いったい何を思ったんだろう。
……そもそも、生きて帰れたのだろうか?
「なにはともあれ、勇者も好きなものを食べるといいよ。毒は入ってないから」
「は、はい……」
「ルキウスが作ったんだ、美味しいよ」
ほのかに甘く香るスコーンや、生クリームたっぷりのケーキを勧めながら、魔王自身もスコーンをひとくちかじる。ぼろぼろと欠片がこぼれ落ちたが、彼はちっとも気にしていない。その代わりに、ルキウスさんが無言で魔王の膝を叩いた。あなたは魔王のお母さまか。
「お茶のお代わりはいかがですか?」
「あ、ありがとうございます」
優雅な所作で香り立つお茶を注いでくれるのもルキウスさんだった。そして、魔王がいうことには、目の前に並ぶ宝石のようなお菓子類を作ったのも彼だと言う。
(ルキウスさんって、宰相……だったような)
聞き間違いでなければ、この国でも魔王に次ぐ権威を振っているであろうお方のはず。
そんな人が、いったいなぜ使用人の真似をしているのだろう。
わたしのお出迎えをしてくれた使用人の魔族の数を思えば、人出不足というわけでもないだろうし。
魔国、謎である。
「――で、さっきの話だけど。我、きみは協定の更新に来たのかと思ってたよ」
「協定って、母上が魔王と結んだ不可侵協定のことですか?」
「そうそう。その、先代たちの口約束」
「数か月前には貴女の国の王からその旨で伺うと書簡が届いていますよ」
ルキウスさんがどこからともなく書簡を取り出し、わたしに見せてくれる。
剣と楯の花押はたしかに王家のものだった。筆跡を見るに、叔父上が直々に書いたもののようだ。
魔王も身体を乗り出して書簡を見る。それ自体はいいのだが――。
顔、が、近い。無駄に近い。息遣いまで聞こえてきそうな距離だ。
どぎまぎするわたしとは裏腹に魔王は涼しい顔。意識しているのが自分だけのようでちょっとへこむ。
(そりゃあ、童顔ですけど。ちんちくりんですけど……)
わたしの気持ちを知る由もない彼は、微かに眉をひそめ首を傾げた。
「この数カ月の間に何があったんだろうね」
「一応断っておくが、僕たちはお前の国に危害を与えたりはしていない。そんなことをするほど暇ではないし、お前たち人間に興味もない。もっとも、目ざわりではあるけどな」
サティさんの言葉に、魔国側のみなさんはそろって賛同の意を示した。
そんなにはっきり態度に示されると、なんだか少し悲しくなる。人間はまったく相手にされていないようだ。
「まったく、お前たち人間ときたら、こと有事となれば魔物のせいだ、魔王を倒せと騒ぎ立てる。そのたびに兵を送ってくるから厄介なんだ……。相手をするこっちの身にもなれ」
サティさんの視点では、わたしたち人間が悪役になっている。
わたしたちにとっては魔族が悪役だけど、立場が変われば意見も変わるらしい。
しかし、わたしたち人間だって戦いたくて戦っているわけではないのだから、魔物の侵攻さえなければ、魔国に戦争をふっ掛けないはずだ。たぶん。
――――そういえば。
「あの、こちらに魔物はいないんですか?」
魔獣には何百匹と遭遇したというのに、魔物の姿は一匹たりとも見かけていない。
不思議に思って尋ねてみると、魔国サイドの方々はそろって苦虫をかみつぶしたような表情になった。
もしかして、地雷を踏んでしまった……かも?
「勇者は、魔獣と魔物違いって分かる?」
「ええと……魔獣は理性を持っているもので、そうでないのが魔物ですよね?」
「んー……」
苦笑する魔王。わたしの回答は正解に値しなかったらしい。
たしかにわたしたちは、魔物を倒せ、魔王を倒せと言う割に、彼らのことを熟知していない。勇者のわたしでさえ、襲いかかってきたら敵、くらいの認識しか持っていないほどだ。
それって、結構まずいことなのだと思う。でも、現状を変えるためになにかができるかと問われたら、答えは否だ。
魔物の死体は総じてすぐに消滅してしまうし、生け採りは不可能。後者に関しては過去に成功例がいくつかあった気がするけれど、情報はすべて教会と王家が厳重に管理している。
ならば魔族や魔獣について研究したらいいのではないか、という考えは当然あるが、これはもっと不可能だ。彼らは尋常ではなく強い。それに、住処である魔国に人間がお邪魔するのはたやすいことではない。もっとも、なぜか勇者の人間だけは別のようだが、勇者にしたって彼らの研究をしている暇も余裕もないのだ。
―――だめだ、考え始めたらきりがない。
あきらめてため息をついたとき、「いいですか?」とルキウスさんが眼鏡を押し上げた。キラーン、と擬音が聞こえてきそうだ。
「魔物というのは……そうですね、神にまつろわず、祝福されなった存在です。理性を持たないために本能の赴くままに力を欲し、ほかの生物を襲います。人間がよく狙われるのは、より強い力を持っているから、というのは知っていますね?」
「はい。魔力に反応して襲ってくるんですよね」
「そうです。魔物は力に反応するので、魔族も襲われるんですよ」
魔物講座(?)が突然はじまった。もちろん講師は宰相ルキウスさんだ。
お菓子作り、お茶汲み、そして家庭教師のまねごとまで始めるとは……。
彼は万能か。一家に一台欲しいものだ。
変な思考を繰り広げている間にも、講義は続く。
「一方、魔獣は魔族の傍系です。魔力量や思考力は魔族に劣りますが、魔物よりはずっと高い。同視されがちなのは、姿かたちが似ているせいでしょう。しかし、類似しているのは見かけだけです」
「へえ……」
「そして、魔獣の上位種が魔族です。知能と力を兼ね備え、それゆえにこちらに存在を固定する力も強い。従って、自分の思うままの姿をとることができます。魔族にも階級があるのですが、我々はその中でも高位に当たる存在……あなたたちの社会に当てはまると、貴族になりますね。――ざっと説明しましたが、分かりましたか?」
まあ、だいたいは理解したと思う。
「えーっと、つまり、魔獣の進化形が魔族ってこと……ですよね?」
「はい」
「ということは、みなさんももともとは魔獣だったってことですか?」
「いえ、我々は存在を認識した、もしくはされたときから魔族です。魔獣と魔族の間には大きな力の差があって、魔族になることができる魔獣はごく稀なんです。成り上がりが爵位をいただくのは、奇跡のようなものですね」
なるほど、まったくわからない。わたしは内心で首を傾げた。
存在を固定するとか、認識するとか、意味の分からない言葉はたくさんあるけれど、質問責めにするのも申し訳ないので尋ねないでおく。
この手のことは母上が詳しそうなので、国に帰ったら聞いてみよう。
今は狂魔術師と化していようとも元は勇者。魔族や魔獣、魔物に関しては、そこらの研究者よりも知識はあるだろうし。機嫌がよければ、嬉々としていろいろ教えてくれるはずだ。あの方は気分屋さんだから、タイミングには十分気をつけなければならない。
そういえば、母上と言ったら――……
「あ」
わたしが唐突に声を発したので、お三方はそろってまばたきした。
「どうしたの?」
代表して魔王が尋ねる。わたしは心配そうな彼などおかまいなしに、力なくテーブルにつっぷした。ガチャンとティーカップが揺れる音が聞こえた。
「帰れないんです」
「え?」
「国に、帰れないんです……」
「「「は?」」」
――いいこと。これは先代の義務だから、恨まないで頂戴。
そうだ、わたしは国を出る前、久方ぶりに顔を合わせた母上にまじないをかけられたのだ。どうして忘れていたのだろう。
「魔王を倒さないと国に帰れないまじないを、母上にかけられたんです……!」
その後、本日三度目の三重奏を聞いたのは言うまでもない。