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01.旅のはじまり

 勇者はいる。

 というか、わたしがそうだ。




 クリスタルハーゲンという小さな国がある。

 女神の加護を受けているらしいわたしの母国は、白い砂海のド真ん中という最悪の立地条件の中、魔術と法術の発展に支えられながら繁栄を続けている。女神さまさまである。

 緑いっぱい。水いっぱい。目立った争いや災害もなく、国はまさに平和そのもの。

 それにもか関わらず勇者わたしという物騒な存在がいるのは、一重に砂海に跋扈する魔物たちに原因があると言えよう。


 魔物。

 名前からして悪役だとすぐにわかる彼らは、神話の時代に女神イレイアの逆鱗に触れ、砂海に閉じ込められたのだという。人語を解さず理性を持たず、本能のおもむくままに破壊の限りを尽くす恐ろしい存在だ。

 知力を失った代償なのかは定かではないけれど、一匹一匹がやけに頑丈で、魔術抵抗が強くて攻撃が効きにくいという、わたしたち人間にとって非情に厄介な敵である。


 とはいえクリスタルハーゲンは、女神の守護を賜りし国。

 国の外、砂海がどんなに危険であろうとも、国の中はびっくりするほど安全で、平和だ。女神の祝福の具現たる神聖結界が国を囲み覆うように展開されているためで、これが外の脅威からクリスタルハーゲンを守るのだ。

 だから、結界に阻まれた魔物たちがクリスタルハーゲンの地を踏むことなどありえない。

 ――――そのはずだったのに。






「魔物らが力を増している」


 玉座の間にて、色や大きさが様々な宝玉に飾り立てられた豪奢な椅子に坐したクリスタルハーゲンの王は、王族の証たる澄んだ翠の瞳に苦悩を滲ませながら口火を切った。


 曰く、魔物は凶暴性を増し、個体数は右肩上がり。

 砂海を往く人間たちはことごとく喰らい殺されている。

 魔物は頑丈で、並大抵の魔術や剣、毒では、ことごとく効果がないために、対策の施しようがないのだ。


「近頃では、おそれおおくも女神イレイアが創造された結界まで食い破ろうとする始末だ。それも、わずかではあるが確実に結界にほころびを生じさせているから性質たちが悪い」

「まあ……食欲旺盛ですね」

「笑いごとではないぞ」


 わたしをじろりとにらんだ末に、深いため息をつく王。

 一国を預かる主君としては、それはそれは頭の痛い問題なのだろう。なにしろ、国の防衛と信仰の要たる結界が、邪悪の化身によって破壊されつつあるのだから。下手をすると、この平和な国だって一瞬で滅びてしまう可能性も在り得るのだ。 


「怖いですね」

「そうだな」

「大丈夫でしょうか?」

「大丈夫な訳がなかろう」

「…………」


 この王、連日の会議にだいぶ神経を擦り減らしているようだ。

 よくよく見れば、目の下にはみごとなクマができているし、顔色は青と白を通過して土気色となりつつある。

 今回の非常事態の対応に追われ、王はわたしの幼なじみである王子ともども徹夜が続いていると聞いてはいたけれど、王の憔悴の度合いを鑑みるに、事態はわたしが考えているよりもずっと深刻であるらしかった。


「そういうわけだ。我が姪(ゆうしゃ)よ、とっとと魔王を倒してこい」

「…………」

「いっておくが、これまでのように“形式上”だけとはいかんからな。心しておけ」


 わたしは勇者。

 「救国の聖女」の二つ名をもつ、初代勇者クリスティアの血と勇者の称号を受け継ぐ者である。

 使命は魔王退治――……に赴く途中に、できるだけ多くの魔物を倒すこと。

 赤霧の魔女の異名を持つ母上(前代の勇者)は、魔王退治ツアーで砂海を往復した際、計6666匹の魔物を一人で倒すという化け物のような記録を打ちたてている。ちなみに、平均は1000匹だ。母上はその六倍を一人で始末したということになる。


 ちょっと話がそれてしまったけれど、勇者の位を継承する一種の儀式である「魔王退治」は、過酷な勇者免許皆伝旅行のようなものなのだ。

 魔王なんて倒せないのが普通。あれは規格外の中の規格外、存在自体が罪(強さ的な意味で)だから、ちょっと強い力を持った勇者にんげんなんかが倒せるわけがない。

 もちろん、初代勇者さまのような、人間という言葉の後ろに?マークをつけたくなるような方は例外だけど。


「絶対無理です。相手は魔王ですよ?」

「それを成し遂げるのが勇者であろう?」

「いや、死んじゃいます」

「問題ない」


 王は外道だった。

 言葉をなくして立ちつくすわたしの前で、王が片手を上げる。それに応えるように、傍に控えていた魔術院総括が杖を床に打ちつけた。

 ああ、この部屋の床石は傷つきやすいと言うのに。もっと丁寧に扱ってほしいものだ。

 ――などと暢気に考えているうちに、わたしの足元に魔術陣が展開された。

 効果は拘束。それも、かなり強力な類の。

 展開から起動までの速さを考えると、おそらくこの術式はわたしがここに来る前に仕込まれていたのだろう。その目的は十中八九、わたしの逃走防止用だ。

 いまだってまさに、隙あらば背後のお綺麗なガラス窓をぶち破って逃げようと考えていたところだったし。

 付き合いの長い叔父上は、わたしの性格をよく心得ている。それゆえに抜け目ないのだ。

 そんなにわたしを死地に送りたいんだろうか、このド鬼畜王は。

 城に参上する前、母上に施された魔術の印がひりひりと痛んだ。ちなみにこちらの効果は呪いである。なんでこんなことをされなければならないのかと驚いたものだけど、いまとなっては合致がいく。

 つまり、二人揃って、わたしを人外魔境に放り込みたいわけなのだ。姉弟そろって、性格が悪いにも程がある!

 ……いや、勇者のくせに国の危機に反応を示さないわたしが一番悪いのだけど。

 腰が重たい自覚はある。でもしかし、わたしごときが魔王げんきょうを倒しに行って事態が好転するとはとても思えないのだ。

 このわたし、勇者の位を継承できたのがびっくりなほどに弱いのである。

 神聖なる血に重きをおく世襲制万歳。もしもわたしが生きて帰ることができたその暁には、手始めにこの制度をぶち壊そう。


「悪いがすぐさま飛んでもらうぞ。お前のことだ、鎧と剣があればなんとかなるだろう」


 叔父上の言葉を皮切りに、拘束陣の上にまたひとつ新たな陣が浮かぶ。

 それは徐々に輝きを増していき、あまりの眩しさに耐えきれなかったわたしは思わず目を閉じた。


「そなたの旅に女神イレイアのご加護があらんことを」


 それは、旅人へのありふれた挨拶の言葉。

 目の前がぐるぐるする感覚を味わいながら、わたしはこれから訪れるであろう未来を思い描き――……とりあえず、叫んだ。


「叔父上のばかーっ!!」


 その声が叔父上に届いたかどうかはわからない。

 ……ついでに、「母上のばかー!」と言いたいところだけど、その顛末を考えると恐ろしくて、とてもじゃないけれど叫べない。





 転移魔術は素晴らしい。

 瞬く間に広い砂漠と森を越え、わたしを遥か魔物の地へと運ぶのだから。

 つまるところ、わたしはすでに旅の目的地に到着しているわけなのだ。

 はたしてわたしは、緊急事態だからとわざわざ魔物を屠りながら旅をする必要がないことを喜ぶべきなのか、緊急事態のせいで一気にラスボスのおわすところまで強制スキップさせられたのを嘆くべきなのか。


 まあ、なにはともあれ、わたしは魔国にやってきてしまった。


「ここが魔国――……」


 泣きべそをかきながら辺りを見回す。


 空を仰げば澄んだ青がどこまでも広がっていて、そのところどころに綿毛を思わせる羊雲がぷかぷかと浮かんでいる。燦々と降りそそぐ陽光は大地に茂る草花を輝かせ、耳を澄ませば風が草原を走り抜ける音に紛れて小鳥たちのさえずりが聞こえた。


「ここが……魔国…………?」


 楽園の間違いではないのか。

 だってここには、これぞまさしく安寧の土地という雰囲気で、鎧を脱ぎ捨て剣を置き、うたたねに興じたくなるような空気が漂っている。

 それに、わたしのイメージしていた魔国は、もっとおどろおどろしくて、暗くて、恐ろしいわけで……。


(つまり、どういうこと?)


 首を傾げるしかない。


「うにゅっ!?」


 呆然としていると、足元からかわいらしい悲鳴が聞こえた。小さな女の子みたいな、高くてやわらかい音だった。

 声が聞こえた先に視線を投げると、白いもこもこが目に入る。羊の人形みたいなそれは、小刻みに震えながらわたしを見上げている。

 なんだこれは。

 かわいい。

 お人形みたいだ。

 その姿をみて、わたしも震えた。


(はわああああああああ!)


 剣を振るえど根は乙女。かわいいものには目がないし、これくらいの乙女らしさだって許されていいはず。

 もふもふしたい欲求を押さえながら、わたしはもこもこを見下ろす。意図して感情を抑えた顔は無表情で、見下ろされるもこもこはさぞ恐ろしく思っていることだろう。ごめんもこちゃん。(もこもこだから、もこちゃん)


「お、おいしくないでちよ?」

「食べませんよ……」


 そんな残忍な所業をするように見えたのだろうか。

 わたしはちょっとしょぼくれる。

 しかし、もこちゃんはわたしの答えに安堵したらしく警戒を解いて足にすり寄ってきた。

 心の中で歓喜の雄叫びを上げる。


(もこもこ最高! もこもこ万歳!!)


 恐る恐る手を伸ばしてみると、もこちゃんは少しびくっと震えたが逃げることはなかった。それを了承をとったわたしは、思いっきりもふもふする。そりゃもう、全力で。

 小さなからだを覆うもこもこの毛は綿菓子みたいで柔らかい。至福の感触だ。触れた指先からはかすかに魔力を感じた。

 なんかちょっと、禍々しいような……いや、でも、そんなまさか。


「魔力持ちの動物なんてめずらしいですね」

「うい。だって、マジュウでちから」


 マジュウ。たぶん、変換後は魔獣になる。

 魔国に生息する獰猛な魔の獣のことを、わたしたちは魔獣と呼んでいる。

 一見すると魔物に似ていると言われているけれど、魔獣は魔物と違い理性と知性を持っていて無暗やたらと人間を襲うことはない。

 襲うことはないけれど、好んで人間と関わることもない。

 そしてなにより、魔獣はこんなかわいいフォルムであるはずがない。


「信じてない顔でちね、人間のお姉さん」

「…………」

「変身したほうがいいでちか?」


 わたしは無言で首を振った。

 そんなトラウマほしくない。


(どうなってるの、まったくもう……!)


 これからこんなにかわいい生物を殺さなければならないなんて、わたしは地獄におちるに違いなかった。

 これで魔王までかわいい女の子だった暁には、わたしは手持ちの聖剣で自分の喉を書ききって死のう。そうしよう。


「ところでニンゲンさんは、なんでこんなところにいるんでちか?」

「えーっとですね……魔王を――」


 素直に答えてしまいそうになる口を慌てて押さえる。

 見かけこそかわいいが、目の前のもこちゃんは、極めて遺憾ながら魔獣なのだ。つまり、魔王の従順なるしもべであるということ。

 そんな相手に、「魔王を倒しに行くんです!」なんて元気に答えれば、大変な目に会うことは考えるまでもなく分かる。


「魔王さまにご用なのでちか?」


 蒼い顔で口をつぐんだわたしを訝しむこともなく、見た目は天使のもこちゃんは良心的な答えを導き出してくれたらしい。それはまったくの誤解だけど、これを利用しない手はないだろう。

 わたしは悪い大人の仮面をかぶってにっこりと笑い、うなずいた。


「そうなんです。お城までの道のりを教えてくださいませんか?」

「あいでち」


 ふたつ返事で丁寧に道順を教えてくれた。道順といっても、ただひたすらにまっすぐ歩いていくだけのようだ。遠くに見える大きな建造物が魔の総本山らしい。

 そのわりには、白くてきらきらででっかくて、まるでお伽噺に登場しそうなお城だけど。


「10年ぶりのニンゲンのお客さまでち。きっと魔王さまもお喜びになるでち」

「は、はは……」


 それは具体的にどういう意味での「お喜び」なのかがとても気になる。

 できれば無駄な血は流したくないのだけど。

 わたしはひきつった笑みでもこちゃんにお礼を言った。


「ありがとうございます、助かりました」

「あい。お気をつけて、勇者さま」


 短い手を振るもこもこは名残惜しいが、ここで時間を潰しているわけにはいかない。

 踵を返し、お城へ向かって歩き出す。

 が、わたしは数歩歩いたところで固まった。


(さっき、わたしのことを“勇者さま”って!)


 私は一度たりとも名乗ってはいない。

 背筋が凍りつくのを感じながらふりかえると、そこに小さくて愛らしいもこちゃんの姿はなかった。

 そのかわりに、黒い鬣をもつ獣が一匹、わたしに背を向けて草原を駆けている。

 その姿は、想像していた魔獣よりもずっと美しかった。


(もこちゃん、気付いてたのか……)


 魔のものは本能的に“勇者”を探し当てると言うが――あながち嘘でもないのかもしれない。

 だとすると……


(やめよう、考えるの)


 なんとも幸先悪いことになりそうだ。



 ――――かくして、わたしの魔王退治の旅は始まった。

2013/01/26 大幅改稿

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