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無能と追放された砂魔法の令嬢、砂漠に巨大オアシスを作る 〜干からびた元夫が復縁を迫ってきてももう遅い〜

作者: 糸井とい
掲載日:2026/06/21

異世界に転生したからといって、誰もが聖女になって世界を救えるわけではない。

前世の記憶があっても、私はごく普通の事務員だった。

特別な戦闘技術もなければ、政略結婚のドロドロを回避する機転もない。


そんな私が転生したこの世界には、一人ひとりに固有の「属性魔法」がある。

私の実家は子爵家で、嫁ぎ先は侯爵家だった。


侯爵家が求めていたのは、大地を豊かにする「土魔法」や、作物を育てる「緑魔法」だ。

しかし、私に発現したのは「砂魔法」だった。

土をパサパサの砂に変えるだけの、貴族社会では「不毛の象徴」として蔑まれる無能属性だ。


「お前のような無能を我が家に置いておくなど、世間体が悪い。お飾りとして大人しくしていろ」


夫となった侯爵令息のギルバートから、結婚初日にそう告げられた。

それ以来、私は完全に空気として扱われた。


会話も、食事を共にすることもない。

屋敷の隅にある古い離宮が私の居場所となり、家事や庭の手入れといった仕事は、ギルバートの妹たちにすべて取り上げられた。


だが、前世で「やることがない待ち時間」に慣れていた私は、特に寂しいとも思わなかった。

衣食住は保証されている。

前世のブラック企業時代に比べれば、何もしなくてもご飯が出てくる生活は、一種の有給休暇のようなものだった。


ただ、あまりにも暇だった。

本当に暇すぎて、私は離宮の庭の片隅で、自分の「砂魔法」をこねくり回して遊ぶようになった。

前世の土木知識を思い出しながら、砂の粒子の粗さを調節し、水分を弾く砂や、逆にわずかな湿気を吸い込んで固定化する砂など、ニッチな「砂の品種改良」に没頭した。


そんな生活が3年ほど続いたある日。

ギルバートが突然、離宮にやってきて書類を叩きつけた。


「離縁だ、エルザ」


「はあ、どちら様かと」


「夫の顔を忘れたのか!?」


「長らくお会いしていませんでしたので」


私が淡々と答えると、ギルバートは忌々しげに舌を打った。


「我が侯爵家は、隣国の王女から『緑魔法』の聖女を迎え入れることになった。お前のような砂しか出せない無能は、今日限りで叩き出す。これは手切れ金と、最果ての領地の権利書だ。さっさと出ていけ」


書類を見ると、それは王国の南端にある、草一本生えない「死の砂漠」の領地だった。

普通の令嬢なら絶望して泣き崩れるところだろう。

しかし、私は心の中でガッツポーズをした。


「分かりました。すぐに退職――失礼、退去いたします」


「……随分と物分かりがいいな。まあいい、二度とその顔を見せるなよ」


ギルバートの気が変わったら面倒だ。

私は早押しクイズのような速度で書類にサインし、手切れ金の袋を掴むと、踊るような足取りで侯爵邸を後にした。



王都から馬車に揺られること数週間。

到着した私の領地は、見渡す限りの赤茶けた砂漠だった。

元夫から押し付けられた「家」というのは、崩れかけの古い砦だった。


「まぁ、誰もいないなら使い放題ね」


私はさっそく、3年間引きこ持っておこなっていた「改良砂魔法」を使い始めた。


まず、砦の周囲の砂に魔法をかける。

湿気を吸うと石のように硬化する砂の壁を作った。

これで隙間風と砂嵐を完全にシャットアウトする。


次に、砂漠の地下深くにあるわずかな水脈を探り当てた。

水を通しやすい特殊な粗砂で「天然の濾過フィルター」を構築する。


すると、崩れかけの砦の真ん中から、澄んだ冷たい清水がこんこんと湧き出た。

砂魔法は水を出すことはできないが、砂の特性を利用して、地下の水を綺麗に引き上げることは可能なのだ。


「あら、意外と快適じゃない」


私が一人で砂漠のインフラ整備を楽しんでいると、その噂を聞きつけた人々が集まり始めた。

最初にやってきたのは、砂漠を行き交う旅の商人たちだった。


「お嬢さん、この砦の壁はどうなってるんだ? 砂嵐が直撃しても傷一つ付かないなんて、どんな高級な魔導具を使ってるんだい?」


商人の頭であるマルコが目を丸くして尋ねる。


「ただの砂ですよ。粒子を細かくして、圧力をかけて噛み合わせているだけです」


「ただの砂でこれができるわけがないだろう!」


マルコたちは驚愕し、私を「砂漠の聖女」と呼び始めた。私はただの元事務員なのだが。

彼らは私に感謝し、王都の最新の本や、珍しい作物の種、そして大量の生活物資を置いていってくれた。


さらに、その商人たちのネットワークを通じて、王宮を辞職したという一人の風魔法の若き学者がやってきた。

彼の名前はリュカという。


「エルザさん、あなたの作った砂の防壁は、流体力学的に完璧な角度で砂嵐を逃している。素晴らしい! ぜひここで、砂漠の気候制御の研究をさせてほしい!」


「ええ、いいですよ。お好きなようにどうぞ」


リュカが砦の周囲に風の結界を張り、私が砂の土台を固めることで、砦の周囲はまたたく間に「砂嵐の絶対に吹かない、年中涼しい快適なエリア」へと変貌した。

噂はさらに広がり、行き場を失った開拓民や、優秀な職人たちが次々と移住してきた。


私は彼らに「ここに住むなら、この砂のブロックを使って家を建ててくださいね。計算上、100年は崩れませんから」と、前世の土木事務の知識で適当に区画整理をして土地を貸し出した。


気づけば、離縁されてから2年が経過する頃には、私の砦を中心に、数万人規模が暮らす白亜のオアシス都市が爆誕していた。


私は相変わらず、街の発展は優秀な移住者たちに丸投げし、自分は新しくできた美味しいカフェで、のんびりと砂細工を作りながらお茶をすする、平和な隠居生活を満喫していた。



そんなある日、オアシス都市の中央広場に、見窄らしい身なりの一団がやってきた。

数人の兵士に守られるようにして、ボロボロの馬車から降りてきたのは、見覚えのある男だった。


元夫のギルバートだ。

かつての傲慢な面影はなく、頬はこけ、服は埃にまみれている。

彼の後ろには、同じように疲れ果てた彼の母親と妹、そして「緑魔法の聖女」だったはずの新しい妻の姿もあった。


彼らは街の発展ぶりに唖然としていたが、広場のテラス席で優雅にお茶を飲んでいる私を見つけると、ギルバートは弾かれたように駆け寄ってきた。


「おい……お前、本当にエルザなのか!? この都市は一体何なんだ!」


「お久しぶりですね、元侯爵様。どちら様かと思いましたよ。ご覧の通り、ただの砂漠の街ですが」


こっち見んな、と思いつつ、私は冷めた紅茶を口に運んだ。

彼に同行していたリュカが、冷ややかな声を出す。


「おや、現侯爵様ではありませんか。どの面を下げて我が領主様の前に? 貴方がたは、彼女を『無能』と蔑んで砂漠へ追放したはずですが」


「リュカ!? なぜお前がここに……。くそ、そんなことはどうでもいい。エルザ、頼む、戻ってきてくれ!」


ギルバートは、私の手元にある資産や、この都市の利権を目当てに、恥も外聞もなく復縁を迫ってきた。


「戻って、どうするのですか?」


「お前の『砂魔法』で、あの干上がった領地の土をどうにかしてくれ! お前を侯爵夫人に戻してやる、今度はちゃんと優遇してやるから!」


聞けば、新しく迎えた「緑魔法の聖女」の魔法は、「土地の水分と栄養を異常なまでに吸い尽くす」という致命的な欠陥があったらしい。

侯爵家が彼女の魔法で大量の作物を無理に作らせた結果、わずか2年で侯爵領の土壌は完全に干からび、不毛の地と化してしまった。

井戸は枯れ、川は干上がり、領民は暴動を起こして逃げ出し、侯爵家は巨額の負債を抱えて没落寸前まで追い込まれたのだという。


私は、即答した。


「お断りします」


「な、なぜだ! 侯爵夫人の地位だぞ!?」


「地位なんて今更興味ありませんし、そもそも貴方がた、一緒に暮らしていた3年間、私を人間扱いすらしていなかったじゃないですか。今更戻ってきて『優遇する』と言われても、薄ら寒いだけです。脳の構造が3歳児で止まっていらっしゃるのですか?」


「な、生意気な……!」


後ろにいた彼の母親が叫ぼうとしたが、周囲を取り囲む街の屈強な護衛兵たちに睨まれ、悲鳴を上げて震え上がった。


「それに、私の魔法は『砂魔法』ですよ? 土を砂に変えることしかできません。干からびた領地に行っても、さらにパサパサの砂漠にするだけです。何の価値もありませんよ」


「そんな……! じゃあ、このオアシスの水や、この頑丈な建物は何なんだ!」


「これは、集まってくれた素晴らしい職人や学者の方々が、私の持ってきた『ただの砂』の特性を活かして加工し、作ってくれたものです。私一人には何の力もありません。価値があるのは、私ではなくこの街の人々です」


私が微笑むと、集まった領民たちから一斉に歓声が上がった。

ギルバートは、自分が「無能」と切り捨てた妻が、実は最高のインフラを築く基礎を持っていたこと、そしてそれを自分の手で完全に手放してしまったことに気づき、その場に膝から崩れ落ちた。


見かねたリュカが、哀れな虫を見るような目でギルバートに書類を差し出した。


「素晴らしいブチギレ具合を見せていただいたお礼に、王都までの片道分の旅費と、最低限の食料を恵んであげましょう。ただし、二度とこの街の敷地を踏まないと、この魔導契約書にサインしてください」


「くっ……わ、分かった……」


ギルバートはガタガタと震えながらサインし、逃げるように去っていった。

後日、この一連の騒動は、私の知り合いの劇作家によって『自滅した元夫と干からびた聖女』という爆笑コメディ劇として王都で上演され、侯爵家は社交界の永遠の笑いものになるのだが、この時の彼らは知る由もない。



それからさらに数ヶ月後。

侯爵家は完全に破産し、爵位を返上して没落した。


ギルバートの妹は、没落のショックで発狂して街を飛び出し、荷馬車と衝突して大怪我を負ったらしい。

ギルバートの母親も心労で病に倒れ、ギルバート自身は借金取りから逃れるために、どこかの鉱山へ炭鉱夫として出稼ぎに行き、そのまま消息を絶ったという。


私を蔑んでいた人々は、私を陥れる間もなく、自分たちの強欲さと無計画さによって、勝手にドミノ倒しのように自滅していった。


一方、私のオアシス都市は、ますます発展を続けていた。

元夫たちが置いていったボロボロの馬車の中から、ひょっこりと現れた身寄りのない小さな赤ん坊を、私は成り行きで引き取り、育てることになった。

その子は「バブー」とよく鳴くので、街の人々からは「バブちゃん」と呼ばれて愛されている。


「エルザさん! バブちゃんが、お腹が空いたって泣いてます!」


保育士のナナが、赤ん坊を抱えて走ってくる。


「今、ミルクを持っていくわね」


私は、かつて侯爵邸の離宮で一人寂しく砂をこねていた日々を思い出す。

あの時、ただ「つまらない場所から脱出したい」とだけ願って書類にサインした。

復讐なんて大それたことは考えていなかった。ただ、自分の好きなことをして、穏やかに生きたかっただけだ。


気づけば、私の周りには、たくさんの笑顔と、温かい賑やかさが溢れている。


「エルザさん、新しく試作した砂漠用レンガの強度の計算をお願いできますか?」


「ええ、喜んで。事務仕事なら、私の本職ですから」


さらさらと流れる赤い砂の上に、今日も美しい白亜の街が輝いている。

私はただ、愛のない場所から脱出しただけ。

たどり着いた砂の王国は、私にとって、これ以上ない最高の特等席だった。

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