第13話 ノアの真実
8週目・Day1〜4 残り28日
週末の王都行きは、予定通り実行された。
レオンが貴族議会本館の近くで、複数の議員の前で公式発言を行った。内容は学院でのものと同じだ。
セレナ・アルヴェインの行動に悪意は認められない、という王太子としての証言。
今度はシステムの干渉が遅れた。エリオットが後で構造を確認したところ、転写が完了するまでの間、システムは3度干渉を試みたが、いずれも物理的な石板への記録には届かなかった。
「消えない記録が、2本になりました」
とエリオットが報告した。
談話室に安堵の空気が流れた。しかしノアだけは窓際で腕を組んだまま、どこか別のことを考えているような顔をしていた。
セレナはそれに気づいていた。
会議が終わり、全員が部屋を出ていく中で、セレナはノアに声をかけた。
「残ってもらえますか」
ノアが振り返った。金色の瞳が、1瞬だけ揺れた。
「……そうだな。そろそろ、話す頃だと思っていた」
部屋に2人になった。
ノアは窓際に立ったまま、外を見ていた。セレナは椅子に座って待った。
「どこから聞きたい」
「全部」
ノアが小さく笑った。笑い方がいつもより力がなかった。
「……じゃあ、順番に話す」
外では夜の風が木の葉を揺らしていた。
「僕がここに来たのは、今回のループが最初じゃない」
セレナは何も言わなかった。続きを待った。
「正確に言えば——僕は、セレナが100回目のループを終えた後、このループが始まる前の『隙間』に存在していた。システムの外側で」
「システムの外側に、いられるんですか」
「普通はいられない。ループとループの間には何もないはずだ。システムが次のループを準備する間、この世界は1種の空白になる。——でも僕には、その空白に残る方法があった」
「なぜ」
ノアが1拍置いた。
「僕は元々、このシステムの1部だったから」
セレナの息が止まった。
ノアはこちらを向かなかった。外を見たまま続けた。
「システムが『調整者』として作ったものが、僕だ。ループが乱れたとき、イレギュラーが増えすぎたとき、シナリオを正規のルートに戻す役割を持っていた。——セレナが何度も断罪されて死んでいく中で、ずっとそれを見ていた」
「見ていた」
「そうだ。観測するだけだった。それが僕の役割だったから。シナリオが正しく動いているかを確認して、逸脱があれば報告する。感情を持つ必要はなかった。持つように設計されていなかった」
セレナは静かに聞いていた。
「でも。100回目に——セレナが処刑台で笑ったのを見た」
部屋が静まり返った。
「笑っていたんですか。私は」
「ああ。諦めたような笑い方じゃなかった。……なんというか。全部終わったのに、それでも何かを信じているような顔だった。僕には理解できない顔だった。設計上、理解できないはずだった」
ノアがようやく振り返った。金色の瞳が、ランプの光を受けていた。
「でも理解できなかったのに——耐えられなかった。あの顔を見て、次のループもこれが続くと分かって。僕はその瞬間、システムへの報告をやめた」
「やめた」
「離反した。調整者としての機能を停止した。次のループが始まる前の空白の中で、システムから切り離れた。——それが、今の僕だ」
長い沈黙があった。
セレナは自分の手を見た。膝の上で、指が少し震えていた。
「あなたは——人間ではないんですか」
「人間として設計されていない。でも今は、人間かどうか自分でも分からない。システムを離れてから、僕の中に設計にないものが増えていった。君たちのことを心配する気持ちとか、うまくいかないときに焦る気持ちとか——そういうものが、どこから来るのか僕には説明できない」
「……ノア」
「怖いか。本当のことを知って」
セレナは少し考えた。
「怖くはないです。ただ——あなたが『まだ話せない』と言い続けていた理由が、分かりました」
「信じてもらえないと思っていた。システムから来た存在が、システムと戦う側にいると言っても」
「信じます」
ノアが少し目を細めた。
「根拠は」
「あなたが最初に私に言った言葉です。『100回死んでも立ち上がった君は強い』。——システムの調整者なら、そういう言葉は言わない。シナリオを正規に戻すなら、私の強さを肯定する必要はなかった」
ノアは何も言わなかった。
「あなたはもうあの時から、調整者じゃなかった」
また沈黙。今度は少し違う種類の沈黙だった。
「……1つ、謝らなければならないことがある」
「何ですか」
「僕が離反したことで——システムはイレギュラーの排除に、より多くの力を使うようになった。エージェントの出現が増えたのは、システムが調整機能を失ったからでもある。僕がいなければ、君たちへの干渉は今より少なかったかもしれない」
セレナは首を振った。
「それはあなたのせいじゃない。私が100回も繰り返したことで、システムに限界が来ていた。あなたが離反しなくても、いずれ同じことになっていた」
「でも——」
「ノア」
セレナは立ち上がって、ノアの前に立った。
「あなたがあの朝に声をかけてくれなかったら、私はどこかで折れていたかもしれない。——それだけで、十分です」
ノアはしばらくセレナを見ていた。やがて、静かに言った。
「……ありがとう」
それがノアの口から出た言葉の中で、最も素直な言葉だとセレナは思った。
翌朝、全員に真実が開示された。
談話室。セレナの隣にノアが座った。いつもは窓際に立っているのに、珍しく椅子に座った。それだけで、今日の話の重さが伝わった。
ノアが自分の口で、昨夜セレナに話したことを全員に話した。
最初に口を開いたのはルークだった。
「確認させてくれ」
と言って、指で机を1度叩いた。
「つまりノアは、システムが作った存在だが、現在はシステムから完全に独立している。そしてシステムの内部構造を、他の誰よりも詳しく知っている。——そういうことか」
「そうだ」
「なぜ今まで黙っていた」
「信じてもらえないと思っていた。それと——」
ノアが少し間を置いた。
「システムから来た、という事実は、今のシステムとの戦いで使える情報でもある。話すタイミングを間違えると、むしろ混乱を招く可能性があった」
「合理的な判断だ。ただし、今後は情報を出し惜しみしないでほしい。君が知っていることは、全員の武器になる」
「分かった」
エリオットが静かに手を挙げた。
「1つ聞いてもいいですか。ノアさんはシステムの内部構造を知っているとのことでしたが——システムを完全に止める方法について、何か心当たりはありますか」
部屋の空気が変わった。全員が、ノアを見た。
ノアは少し考えた。
「止める、という概念が正確かどうか分からないが——システムには、核になる部分がある。シナリオを生成して、イベントを強制して、エージェントを動かす、その全部の根っこになっている部分だ」
「それを壊せば」
「理論上は、ね。ただ」
「ただ」
「その核に触れるには、システムの内側に入らなければならない。——物理的な意味ではなく、構造的な意味で。それができるのは、今のところ僕だけだ」
エリオットが眼鏡を押し上げた。
「私の力では、届きませんか」
「エリオットの力は、表層の構造を見て、局所的に干渉できる。——でも核は深い。表層からでは届かない」
「つまりノア、あなたが内側から壊す必要がある」
とレオンが言った。
「そういうことになる」
「それは——あなたにとって、危険ではないですか」
ノアが少し間を置いた。
「危険がない、とは言えない。システムの核に触れるということは、僕の根っこにも触れることになる。——僕はシステムから切り離れているが、完全に無関係ではない。核が壊れたとき、僕がどうなるかは分からない」
部屋が静かになった。
「分からない、というのは」
とセレナが静かに聞いた。
「消えるかもしれない。何も変わらないかもしれない。——正直に言えば、それだけだ」
誰も何も言わなかった。
しばらくして、リリアが小さな声で言った。
「……それでも、やるんですか」
ノアが頷いた。
「やる。それのために、ここにいる」
リリアの目に、涙が光った。堪えようとして、堪えられなかったようだった。
ノアがわずかに困ったような顔をした。泣かれることへの対処が、設計に含まれていなかったのかもしれなかった。
「泣かなくていい。まだ何も起きていない」
「だって」
とリリアが言った。
「だって——あなたは最初からそのつもりで、ずっと1緒にいたんですよね」
ノアは答えなかった。
それが答えだった。
その夜、セレナは1人で窓の外を見ていた。
マリアが夕食の片付けを終えて下がった後、部屋に1人になっていた。
ノアがシステムの核を壊すとき、消えるかもしれない。
それを聞いたときから、何かが胸の奥に引っかかったまま取れなかった。
100回分の記憶の中に、ノアはいない。ノアが現れたのは101回目だけだ。でも今のセレナには、ノアのいないループが想像できなかった。
あの朝、建物の影で泣いていた私に声をかけた人。
「100回死んでも立ち上がった君は強い」
あの言葉がなければ、私は今ここにいなかった。
扉を叩く音がした。
入ってきたのはノアだった。
「1つ、確認しておきたいことがあった」
「何ですか」
ノアが部屋の中に入って、セレナから少し離れた場所に立った。いつもより少し、距離を置いている気がした。
「今日の話で——僕がシステムから来た存在だと分かった。それでも、信頼してもらえるか」
「もう答えは言いました」
「今日の昼間の話とは別に、もう1度聞きたかった。——僕には感情があるかどうか、自分でも分からない。でも、今君に信頼してもらえるかどうかが気になっている。これが何なのかは、分からないけれど」
セレナはノアを見た。
金色の瞳が、ランプの光の中で静かにこちらを見ていた。
「信頼しています。——それと、1つだけ」
「何」
「システムを壊した後に、消えないでください」
ノアは少しの間、何も言わなかった。
「約束はできない」
「分かっています。でも——目標として、持っていてください」
またしばらくの沈黙。
「……分かった」
それだけ言って、ノアは部屋を出ていった。
セレナは窓の外の夜を見た。
残り28日。
仲間の1人が、最初から終わりを覚悟していた。それを知った夜だった。




