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第12話 クラリスの扉

7週目・Day6〜7 残り31日


クラリス・ド・モンフォールを見つけたのは、午後の講義が終わった直後だった。


廊下の窓際に1人で立って、中庭を見下ろしていた。金髪の縦ロールが、風もないのに微かに揺れて見えた。


セレナはエリオットに目配せした。エリオットが数歩下がり、壁際で静かに構造の観察を始める。


セレナは1人で近づいた。


足音に気づいてクラリスが振り返った。1瞬、表情が固まった。それからすぐに、いつもの作った微笑みが戻った。


「まあ、セレナ様。何の御用でしょうか?」


声は滑らかだった。しかし目が笑っていなかった。


「少し、話せますか」


「生憎、これから予定が——」


「昨日の中庭のこと」


クラリスの動きが、止まった。


1瞬だけ。ほんの1瞬。でもセレナにははっきり見えた。


「……何のことでしょうか?」


「レオン様の証言を聞いていたでしょう。あなたはその後、しばらく動かずにいた」


「人が多かったから、動けなかっただけですよ」


「そう」


セレナは否定しなかった。窓の外の中庭に視線を移した。クラリスが横に並ぶ形になった。


「クラリス、1つだけ聞いてもいいですか」


「……何でしょう?」


「今、楽しいですか」


クラリスが息を吸う音がした。


「それは——どういう意味でしょうか?」


「そのままの意味です。毎日、楽しいですか。学院の生活が、自分の望んでいたものですか」


沈黙。中庭では下級生たちが笑いながら走っていた。その声が回廊まで聞こえてきた。


「……セレナ様、おかしなことを聞きますのね。そんなこと、考えたことありませんでした」


「考えたことがない、というのが答えかもしれません」


「どういう意味でしょう?」


「考える前に、次の行動がもう決まっている。そういうことはありませんか」


クラリスの横顔が、微かに歪んだ。


その瞬間——エリオットがセレナの方を見た。小さく頷く。構造に何かが起きている。


システムが反応し始めていた。



「変なことをおしゃらないでくださいますか」


とクラリスが言った。しかし声から、先ほどまでの滑らかさが消えていた。


「私はちゃんと自分で考えて行動していますわ。セレナ様と違って」


「私と違って」


「セレナ様は——セレナ様は何か、おかしいのですよ。急に優しくなって、リリアに近づいて。みんな言っていますわ。裏があるって」


「みんなが言っている。クラリスさん自身は、どう思いますか」


また沈黙。


「私も——そう思います」


「本当に?」


「本当です」


「ではなぜ、昨日動けなかったんですか」


クラリスが口を閉じた。


セレナは追い詰めなかった。壁に寄りかかって、ただ窓の外を見た。


「私は、あなたに真実を話すつもりはありません。今日は」


クラリスが意外そうにセレナを見た。


「……話さないのですか?」


「あなたが聞きたいと思ったときに、話します。今日は——ただ1つだけ」


セレナはクラリスを見た。


「今、あなたの中に『おかしい』と感じている部分があるはずです。それを、消さないでいてください。消そうとする力が働いても、その感覚だけは、手放さないで」


「……何を言っていらっしゃいますの」


「いつか分かります。それだけです」


セレナは頭を下げて、廊下を歩き出した。


背後でクラリスが何か言いかけた気配があった。でも言葉にはならなかった。


エリオットが追いついてきた。声を潜めて言った。


「構造に、ひびが入っています。小さいですが——確かに」


「システムは干渉してきましたか」


「来ました。でも、クラリス様の内部から押し返す力が働きました。かすかですが」


セレナは頷いた。


(十分よ。今日はこれで十分。)



その夜の作戦会議は短かった。


「クラリスへの直接接触は1度止める」


とセレナが言うと、ルークが少し意外そうな顔をした。


「なぜ。手応えがあったんだろう」


「あったからこそ、です。システムは今のクラリスを注視しています。続けて近づけば、それだけ強い干渉が来る。——今植えた疑問を、自分の中で育てる時間を与えた方がいい」


「種を植えて、待つ」


「以前と同じやり方ですが、今回は違う。あのときは種を植えてもすぐに消された。でも今のクラリスには、昨日のレオン様の証言が残っています。自分の目で見たものは、簡単には消せない」


エリオットが頷いた。


「記憶の書き換えには抵抗値が必要ですが、自分で見て、自分で感じたものほど書き換えに強い。クラリス様が昨日感じた『おかしい』という感覚は、システムにとって厄介な種になっているはずです」


「で、その間に僕たちは何をする」


とルークが聞いた。


「レオン様の2度目の証言の記録を固めること。1つ目は不意打ちでした。システムはまだ対応が遅れた。でも次は準備してくる。エリオット、2度目の証言をどこで行えば最も安全に記録を残せますか」


エリオットが少し考えた。


「学院の外が理想です。貴族議会の記録転写の仕組みは、王都にある議会本館の物理的な石板に転写されます。その石板は学院のシステムの影響範囲外にある。——レオン様が王都の議会本館近くで公式発言をすれば、転写は確実です」


「外出許可が必要ね」


「王太子であれば、単独外出は自由のはずです。理由を作ることもできます。家族への定期報告という名目が使えます」


「では週末に」


「残り29日の時点で、もう1本消えない記録が残る」


とルークが静かに言った。


「それは大きい」


ノアが口を開いた。


「1つ確認しておく。週末に動く前に——システムは必ず先手を打ってくる。今夜から明日にかけて、何かが来ると思っていい」


「何が来ると思いますか」


「分からない。でも——これまでのパターンで言えば、僕たちの中の誰かに直接揺さぶりをかけてくる。今まで外側から証拠を操作してきたが、それが通じなくなってきたから」


「内側から崩しにかかる」


とルークが言った。


「そういうことだ」


全員が少しの間、黙った。


「眠れる人は眠ってください。明日に備えて」



翌朝、異変はセレナ自身に来た。


朝食の前、廊下を歩いていると——突然、足が止まった。


体が、止まった。


意思とは無関係に。


(来た)


視界の端に、赤い文字が浮かんだ。読めない文字だった。この世界の文字ではない。


でもセレナには、100回分の経験で意味が分かった。


『警告。シナリオ逸脱継続中。強制補正を実行します』


数秒後、体が動き出した。


しかし足が向いていたのは、談話室ではなく——学院長室の方向だった。


(駄目。止まれ。)


意識を全力で引き戻した。100回分の経験がある。これくらいなら、まだ抗える。


足が数歩、学院長室の方へ進んだ。セレナは壁に手をついて、止まった。呼吸が乱れた。


「セレナ様っ」


リリアが廊下の向こうから駆けてきた。何か感じたのか、顔が青かった。


「大丈夫ですか。今、すごく——」


「大丈夫」


嘘だった。でも今は嘘でなければならなかった。


「ノアを呼んでください。それからエリオットも。——急いで」


リリアが頷いて走っていった。


セレナは壁に背をもたせかけて、ゆっくりと呼吸を整えた。


(直接、私に来た。証拠の操作でも、仲間への揺さぶりでもなく、私自身の体に来た。)


(……システムは焦っている。)


それが分かった瞬間、恐怖と同時に、奇妙な確信が湧いた。


焦っているということは、追い詰められているということだ。



談話室に6人が集まった。


エリオットが構造を確認しながら報告した。


「今朝のセレナさんへの干渉は、これまでと質が違います。記憶の書き換えや外部への誘導ではなく——身体への直接干渉。これはシステムの余力がかなり減っているサインです」


「どういうことですか」


とリリアが聞いた。


「システムは通常、最も力を使わない方法で干渉します。証拠の反転、記憶の書き換え、そういった間接的な手段から使う。それが通じなくなって初めて、力を多く使う直接干渉に切り替える。——つまり今、システムは余裕がなくなってきている」


「弱くなっているということですか」


「弱くなっているというより、無理をしている状態です。覚醒者が6人になり、証拠が物理的な記録として残り、クラリス様の内部にひびが入り——それら全部を同時に対処しようとして、限界に近づいている」


「でも」


とルークが言った。


「限界に近いということは、最後の力を振り絞る可能性もある」


「はい。最も危険な時期でもあります」


セレナは静かに6人の顔を見回した。


「週末の王都行きを、前倒しにします。明日」


「明日か」


とルークが確認した。


「システムが今、対応の限界に来ているなら——対応が遅れる可能性がある。記録を残すなら今です」


レオンが頷いた。


「準備する。明朝、家族への定期報告という名目で申請を出す」


「私はクラリスへのもう1つの布石を打ちます。直接会いには行かない。——別の方法で」


「別の方法?」


とリリアが首を傾けた。


「手紙を書きます。渡すかどうかはクラリス自身が決める。——リリアさん、頼めますか。渡す役割を」


リリアが真剣な顔で頷いた。


「任せてください」


「内容は」


とルークが聞いた。


「真実は書きません。ただ1つだけ——『あなたが感じた違和感は、本物です』と」


部屋が静かになった。


「それだけ?」


とノアが聞いた。


「それだけです。種は植えてある。水を1滴、やるだけでいい」


窓の外で、朝の鐘が鳴り始めた。


残り31日。


覚醒者たちは、初めてシステムの焦りを感じながら、次の1手を打とうとしていた。

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