第11話 王太子の証言
7週目・Day4〜5 残り33日
エリオットが記録を守り終えたのは、2日後の深夜だった。
旧校舎の談話室に集まった6人の前で、エリオットは静かに報告した。
「貴族議会の記録転写の仕組みと、この部屋の間に遮蔽の層を設けました。この部屋で起きたことは、システムの監視が届かない。ただし——外でレオン様が発言される場合は別です。公式の場で王太子として発言された内容は、貴族議会の記録に即時転写される。それは物理的な記録媒体に依存しているため、システムが書き換えられません」
「つまり」
とルークが続けた。
「外で公式に言ったことは消せないが、この部屋の中の話は外に漏れない。2重の守りが機能する」
「いつやる」
「明日の昼を提案します。講義の合間、中庭に人が集まる時間帯です。自然な形で証言の場を作れます」
「令嬢たちを集められるか」
「私が集めます」
とリリアが手を挙げた。
「友人として声をかければ不自然ではありません。……私、役に立てることが少ないので」
「十分役に立っています」
とセレナが言った。
「でもセレナ様が1番大変で——」
「今夜はもう休んで」
セレナの声は穏やかだったが、それ以上の議論を許さない響きがあった。リリアは小さく頷いた。
ノアが窓際から口を開いた。
「1つ確認しておく。レオンが公式に動けば、システムは必ず反応する。これまで以上の干渉が来ると思っていい」
「どの程度」
とルークが聞いた。
「分からない。でも——覚醒者が6人になった今、エージェントの大規模な派遣より、別の手を使ってくる可能性が高い」
「別の手」
「証言を無効にする手段を探してくる。……あるいは、レオン自身を揺さぶりにかける」
レオンはそれを聞いても表情を変えなかった。
「覚悟の上だ」
翌日の昼。
中庭に、リリアの声かけで令嬢たちが十数人集まっていた。クラリス・ド・モンフォールの姿もあった。
セレナは遠くからそれを見ていた。近づかなかった。今日の主役は自分ではない。
レオンが中庭に入ってきた。いつも通りの歩き方で、いつも通りの表情で——しかしセレナには、その足取りがわずかに違って見えた。
自分で選んで歩いている足取りだった。
令嬢たちがざわめいた。王太子が昼の中庭に現れることは珍しい。
レオンが立ち止まった。
「少し、皆に話したいことがある」
声が中庭に通った。静かになった。
「セレナ・アルヴェインについて、最近様々な噂が広まっていると聞いた。彼女がリリア・アーベントに対して不当な行為をしているという話だ」
誰かが息を呑む音がした。
「私はこの数週間、セレナ・アルヴェインの行動を直接観察してきた。彼女がリリアさんに向けた言動は、1貫して誠実なものだった。脅迫も、悪意も、1切認められなかった。——これは王太子としての公式な証言だ」
中庭が静まり返った。
セレナは柱の陰から、その光景を見ていた。
100回分の記憶の中で、レオンがセレナのために何かを言ったことは1度もなかった。断罪の台詞を読み上げる声しか知らなかった。
なのに今、同じ声が——。
(……泣かない。今は泣かない。)
「以上だ。公式記録への転写を確認している者はいるか」
エリオットが少し離れた場所から手を挙げた。
「確認しました。転写が完了しています」
それだけだった。レオンは踵を返して歩き出した。令嬢たちはまだざわついていた。
クラリスだけが、しばらく動かずに立っていた。
「システムが動きました」
昼食の後、エリオットが談話室に飛び込んできた。眼鏡の奥の瞳が鋭い。
「王太子の証言の直後から、構造に変化が起きています。……正確に言えば、レオン様の周辺に新しい干渉の層が生まれた」
「どういう意味だ」
とルークが聞いた。
「システムがレオン様本人を揺さぶりにかけようとしています。証言の内容を変えることはできない——物理的な記録は書き換えられない。だから代わりに、レオン様への信頼を損なおうとする。……何らかの形で」
セレナの背筋が冷えた。
「具体的には」
「まだ分かりません。ただ、今夜から明日にかけて何かが起きる可能性が高い」
「レオン様に伝えなければ」
「既に向かっている」
とノアが入口から言った。いつの間にか戻ってきていた。
「でも1つ、覚悟しておいた方がいい」
「何を」
「システムが使う揺さぶりは、たいていその人間が最も恐れているものを使う」
沈黙が落ちた。
レオンが最も恐れているもの。それは覚醒した今、1つしかない。
100回分の記憶。自分がセレナにしてきたこと。
その夜、レオンはセレナを訪ねてきた。
扉を開けると、表情が硬かった。部屋に入り、椅子に座って、少しの間何も言わなかった。
「今日の証言、ありがとうございました」
セレナが先に言うと、レオンが小さく首を振った。
「礼を言われることじゃない。当然のことをしただけだ」
「それでも」
また沈黙。ランプが揺れた。
「夕方から」
とレオンが口を開いた。
「映像が来ている。今日のものは……少し、違った」
セレナは何も言わずに続きを待った。
「今まで見てきたものは、断罪の場面が多かった。中庭で君が立っている場面。私の声。君の顔。……でも今日のものは違う場所だった」
「どこでしたか」
「暗い部屋だった。君が1人でいた。泣いていた。——私が扉の前に立っていて、中に入れなかった。扉を開けることができなかった。いくら押しても、動かなかった」
セレナは静かに息を吸った。
(それはループの記憶じゃない。システムが作った映像だ。レオン様の罪悪感に直接触れて、揺さぶるために。)
「レオン様」
「……何」
「今日、あなたは扉を開けました」
レオンが顔を上げた。
「中庭で、自分の意思で動いた。誰にも頼まれていないのに。——あの扉は、今日開きました」
レオンはしばらくセレナを見ていた。
その目に、100回分の処刑を命じた人間の面影はなかった。
「……システムが見せる映像には、気をつける。君の言う通り、あれは私を揺さぶるために作られたものだと——理屈では分かる。でも」
「でも、来るんですね」
「ああ。来る」
「それでいいんです。来るものを、来ないふりをしなくていい。ただ——それに飲み込まれないでいてください」
「飲み込まれそうになったら」
「話しに来てください。私はここにいます」
レオンが短く息をついた。どこか、ほっとしたような音だった。
「……分かった」
翌朝、エリオットが朝食前に談話室に全員を集めた。
「良い知らせと、悪い知らせがあります」
「悪い方から」
とルークが言った。
「システムが昨夜、クラリス・ド・モンフォール様に干渉しました。彼女を通じて、レオン様の証言を覆す証人を立てようとしています。具体的には『王太子は脅されてあの証言をした』という新しい筋書きを作ろうとしている」
「クラリスが」
とセレナは静かに繰り返した。
「彼女自身の意思というより、システムの誘導です。ただ——昨日の中庭での様子から、クラリス様の抵抗値が少し上がっている可能性があります。エージェントが直接接触するのではなく、別の生徒を経由して間接的に誘導しようとしているのは、その証拠かもしれません」
「つまり、正面からは動かせなくなってきている」
とルークが言った。
「良い知らせは」
「レオン様の証言は確かに記録されています。システムはその内容を変えられない。——変えられないから、代わりに文脈を変えようとしている。しかし」
エリオットが少し間を置いた。
「文脈を変えるには、新しい証人が必要です。その証人がクラリス様だとすれば——彼女の抵抗値が上がっている今、システムが強制するほどクラリス様の内部に矛盾が生まれる。矛盾が積み重なれば、覚醒に近づきます」
「クラリスを覚醒させる機会にできる、ということか」
とレオンが言った。
「はい。ただし、タイミングが重要です。システムが彼女を完全に使う前に——」
「私がやります」
とセレナが言った。全員の視線が集まった。
「クラリスには、以前から種を植えてあります。1度は消されたけれど、昨日レオン様の証言を目の前で見た。……何かが残っているはずです。直接、話しに行く」
「システムが干渉してくる」
とノアが言った。
「来るでしょう。でも——エリオットが言った通り、今のクラリスにはひびが入っている。そこに触れることができれば」
ルークが指で机を軽く叩いた。考えている音だ。
「リスクはある。でも今動かなければ、クラリスはシステムの証人として使われる。どちらのリスクを取るかだ」
セレナはルークを見た。ルークが頷いた。
「分かった。——ただし、1人では行くな。エリオットに側で構造を見てもらいながら動いてくれ」
「分かりました」
レオンが口を開いた。
「君が行く間、私はどうする」
「今日の午後、もう1度だけ——別の場所で、別の証言を残してもらえますか。場所はルークが指定します。クラリスさんへの接触と時間をずらして、システムの注意を分散させる」
レオンが頷いた。
「任せてくれ」
残り33日。
初めて、こちらから布石を打つ朝だった。




