第1話 100回目の断罪
100回目ループ最終日 → 101回目・Day1 残り70日
また、死ぬ。
数えるのをやめたのは、いつだったか。
それでも体は覚えている。だから今も、首の後ろがひんやりと重い。
目の前には、いつもの光景。エーデルシア王立学院の卒業パーティー。
水晶のシャンデリア、貴族たちの華やかな衣装、楽団のワルツ。
美しい。あまりにも美しくて、胸が苦しい。
私の名前は、セレナ・アルヴェイン。そして今夜も、死ぬ。
私は会場中央の階段に立っている。周囲を取り囲む数百の視線。
その誰もが私を見て、その誰もが私を憎んでいる。
「セレナ・アルヴェイン!」
ああ、この声。レオン・ヴァレンティア王太子の声。金髪碧眼の完璧な王子様。
かつて私の婚約者だった男。そして、私を99回殺した男。
彼の声を聞くだけで、体が震える。冷や汗が背中を伝う。逃げたくなる。でも逃げられない。
足が動かない。何度経験しても、この恐怖には慣れない。
「貴女の罪状を、ここに読み上げる!」
やめて。もう聞きたくない。何度この茶番を見ればいいの?何度この嘘を聞けばいいの?でも私の口は開かない。
声が出ない。ただ、涙だけが頬を伝う。
1回目は、違った。
「違います!私はそんなこと、していません!」
必死に叫んだ。泣いた。誰かが、誰かが信じてくれると思った。
父が、母が、友人たちが。誰かが私の無実を証明してくれると。でも誰も動かなかった。
父は私から目を逸らした。母は泣いていたけど、何も言わなかった。友人だと思っていたクラリスは、冷たい目で私を見ていた。
その時、初めて理解した。私は、1人なんだと。
処刑台に立った時、私は震えていた。怖くて怖くて、足が笑っていた。
執行人がギロチンの刃を上げるのが見えた。
やめて。お願い、やめて。私、何もしてないの。信じて。誰か、誰か。
でも刃は落ちた。首が切断される痛みは、想像を絶していた。
痛い、痛い、痛い。誰か、助けて。そして、暗闇。
気づいたら、ベッドの上だった。自分の部屋。学院入学前の朝。
夢?いや、違う。首の痛みが残っている。いや、痛みはない。
でも、確かに感じる。切断されたはずの首を、無意識に触ってしまう。
鏡を見る。傷1つない、美しい首。でも私には見える。ギロチンの刃が落ちた跡が。
胃の中のものを全部吐き出した。何度も何度も吐いた。それでも、恐怖は消えなかった。
10回目。
この頃には、もう泣かなくなった。
断罪の場で、私は何も言わなかった。何を言っても無駄だと、分かっていたから。
レオンの弾劾を黙って聞いた。民衆の罵声も、ただ聞いていた。
処刑台に立つ時も、もう震えなかった。ああ、また死ぬんだな。そう思うだけ。
でも、痛みには慣れなかった。刃が首を切断する瞬間、やっぱり叫んでしまう。
やめて、痛い、助けて。誰も助けてくれないのに。誰も、私を見ていないのに。
この頃、私は逃亡を試みた。国境を越えようとした。変装して、商人の馬車に紛れて。
でも捕まった。どれだけ慎重に計画しても、必ずバレた。まるで誰かが私の行動を監視しているように。
逃亡犯として、さらに罪が重くなった。そして、また死んだ。
50回目。
この日、私は壊れた。
卒業パーティーで断罪される時、私は笑っていた。
「あはは、あははははは!」
レオンが「貴女の罪状を」と言い始めた瞬間、私は笑い出した。
だって、面白いじゃない。何度同じことを繰り返すの?何度私を殺せば気が済むの?
「さあ、早く殺しなさいよ!どうせまた生き返るんだから!」
叫んだ。
会場が静まり返った。みんな、私を見ていた。狂った女を見る目で。
いいわ。どうせ誰も信じてくれないんだから。どうせみんな、私を化け物だと思っているんだから。
処刑台で、私は歌を歌った。適当な、でたらめな歌。
執行人が困惑していた。民衆も戸惑っていた。
でも、刃は落ちた。
笑いながら死ぬのは、意外と楽だった。
でも次のループで目覚めた時、私の中で何かが完全に壊れていた。
感情が死んだ。心が空っぽになった。ただの人形。死ぬための人形。
90回目。
もう、何も感じなくなった。断罪されても、涙も出ない。怒りも湧かない。
ただ、「ああ、また」と思うだけ。処刑台に立っても、恐怖はない。痛みは相変わらずだけど、それすらもどこか遠い。
でもこの時、私は違う試みをした。断罪の場で、笑ったのだ。発狂した笑いではなく、諦めた者の笑い。
「セレナ、お前は一体……」
レオンが戸惑った顔をする。
その表情を見て、ふと思った。この男も、苦しんでいるのかもしれない。何度も同じことを繰り返させられて。
でも、彼は覚えていない。彼にとっては1回目。
それって、不公平じゃない?
私だけが、89回分の記憶を抱えている。
私だけが、この苦しみを知っている。
処刑台で、私は空を見上げた。青い空、白い雲。美しい春の空。
ああ、もういい。もう、何もかもどうでもいい。
ただ、ループが終わることだけを願う。消えることだけを願う。
でも、願いは叶わない。何度死んでも、私は目を覚ます。何度消えても、私は存在し続ける。
これは、罰なのだろうか。私が何かをしたから、こんな目に遭っているのだろうか。
でも、思い出せない。私が何をしたのか。私が何を間違えたのか。
ただ、死ぬ。また、死ぬ。
そして、100回目。今。
私はもう何も考えていない。ただレオンの声を聞いている。
「聖女リリア様への執拗な嫌がらせ、王室の機密情報を敵国に売り渡した罪、数々の貴族への侮辱と国家への反逆!」
ああ、そう。私はそういう罪を犯したことになっている。覚えてないけど。
「以上の罪により、セレナ・アルヴェイン。貴女を断罪する!」
はい、どうぞ。好きなだけ断罪して。どうせまた生き返るから。
「何か、言い残すことは?」
レオンが聞く。その碧眼を見て、私はふと思う。
この男、99回も私を断罪した。99回も私を殺した。でも、彼は覚えていない。彼にとっては1回目。
私だけが、99回分の記憶を抱えている。
私だけが、この苦しみを知っている。
やっぱり、不公平よね?
「ねえ、レオン」
自然と、言葉が出た。
「あなたは、幸せ?」
レオンの目が、わずかに揺れる。
「……何を、急に」
「あなたは、自分の意思で生きているの?それとも、誰かに動かされているの?」
沈黙。会場が静まり返る。
レオンの表情が、1瞬だけ歪む。困惑?いや、違う。それは——恐怖?
「セレナ、お前は一体……」
でも彼の言葉は途切れる。まるで何かが、彼の口を塞いだように。
そして彼の目が、また冷たくなる。感情のない、人形のような目に。
「無駄な時間を費やした。衛兵、連行しろ」
ああ、やっぱり。私は連行される。牢に入れられる。裁判にかけられる。そして、処刑される。全部、いつも通り。
ギロチン台に首を置く時、ふと思った。
レオンの目。あの1瞬の恐怖。あれは何だったんだろう。
もしかして、彼も気づいている?自分が操られていることに。でも、それを認識した瞬間、何かが介入する。
まるで、この世界には「脚本」があって、みんなそれに従わされているみたいに。
「……ゲーム?」
その言葉が、頭に浮かぶ。
そうだ。ゲーム。乙女ゲーム。『エーデルシア王立学院』。
私、あのゲームをプレイしていた。前世で。前世?そうだ、私は転生者だった。日本人のOLだった。名前は、田中美咲。
過労死して、気づいたらこの世界にいた。最初は混乱したけど、すぐに理解した。
ここはゲームの世界で、私は悪役令嬢で——。
でも、その記憶は何十回も前に消えていた。ループを繰り返すうちに、忘れていた。
なのに、今。「全部、思い出した……」地球の記憶。ゲームの記憶。攻略サイトで見た情報。隠しルート。キャラクター設定。
そして——『シナリオ強制力』。ゲームのシステム。
どんな選択をしても、主要イベントは必ず発生する。悪役令嬢の断罪は、絶対に回避できない。
「だから、か……」
だから、何をしても無駄だったんだ。
私が悪いからじゃない。誰かが悪いからでもない。世界のシステムが、そう決めているから。
「刑を、執行する!」
執行人の声。刃が落ちる。でも今回は、恐怖はなかった。代わりに、怒りがあった。
ふざけるな。100回も殺されて、それが「システム」のせい?私の苦しみは、全部「仕様」?許せない。絶対に、許せない。
刃が首を切断する。痛い。でも、怒りの方が強い。
暗闇が来る。意識が遠のく。
でも、今回は違う。
「次は……次こそ……」
消える直前、私は誓った。「このシステムを、ぶっ壊してやる」
暗闇の中で、何かが変わる。いつもなら、このまま意識が消えて、次の朝に目覚める。
でも今回は違う。意識が残っている。記憶が、鮮明に残っている。
そして、光が見える。
『よく、頑張ったね』
声?誰の?
『100回。よく、耐えたね』
優しい声。でも、誰?
『もう、大丈夫だよ。次で、すべてが変わる』
変わる?何が?
『今度は、君の意思で運命を変えられる。なぜなら、君はついに——すべてを思い出したから』
すべて?前世の記憶?ゲームの知識?
『そう。100回のループを経て、君の記憶は完全に統合された。もう誰も、君から記憶を奪えない』
じゃあ、私は……。
『戦えるよ。今度こそ、運命を壊せる』
光が強くなる。眩しい。でも、怖くない。
『がんばって、セレナ。君は、1人じゃない』1
人じゃない?どういう……。でも声は消える。光も消える。そして——。
目を開ける。
天蓋付きのベッド。薄桃色のレースカーテン。窓から差し込む朝日。また、ここ。
でも、今回は違う。頭の中が、鮮明すぎる。記憶が溢れてくる。
前世での24年間。田中美咲としての人生。ゲーム『エーデルシア王立学院』の完全攻略知識。
そして、100回のループ。すべて。
手を見る。震えている。首を触る。傷はない。でも、痛みの記憶が残っている。涙が出る。止まらない。
「うっ……ぐすっ……」
声を殺して泣く。マリアに聞かれないように。
でも、涙は止まらない。100回分の悲しみ。100回分の怒り。100回分の絶望。
全部、一気に溢れてくる。でも、同時に。
「今度こそ……」
拳を握りしめる。震える手で、強く。
「今度こそ、終わらせる」
この運命を。この呪いを。この腐ったシステムを。
私はベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。
そこには、セレナ・アルヴェイン。100回死んだ悪役令嬢。
でも、もう違う。今の私は——。
「運命の、破壊者」
鏡の中の自分に、微笑みかける。
震えている唇。涙で濡れた頬。でも、目には光がある。諦めない光。
100回殺されても、まだ立ち上がる。
「見ていなさい。レオン、リリア、そしてこの世界」
私は、もう負けない。
「次は、私が——あなたたちの運命を、破壊してやる」
101回目の朝が、始まる。




