途中段階
最初に死んだ看護師の心臓は、驚くほど健康だった。
年齢相応。
不整脈なし。
既往歴もない。
――心不全。
診断書には、それだけが残った。
その後続いた死者も、死因はいずれも心不全だった。
病室、非常階段、処置室。
亡くなった場所はばらばらで、共通点らしい共通点はない。
外傷はなく、争った形跡もない。
解剖結果も、拍子抜けするほどきれいだった。
最初の一人だけが、死体安置所で見つかった。
そのせいで噂が生まれた。
「夜中に動く死体を見た」
「顔のない影が立っていた」
「白衣の幽霊だ」
病院という場所は、噂にとって都合がいい。
人は多く出入りし、記録は厳密で、
それでも“見間違い”が許される余白がある。
だが、どの遺体にも異常はなかった。
心臓は、健康だった。
───
アドレナリン。
ノルアドレナリン。
再取り込みを、抑制。
彼はそう呟きながら、紙に線を引く。
安静時心拍数、正常。
血圧、正常。
血管反応、問題なし。
「効きすぎないのが、いい」
新薬は、静かなときほど従順だった。
座っている間、眠っている間、
数値はほとんど動かない。
だが。
強いストレス。
恐怖。
驚愕。
その瞬間だけ、跳ね上がる。
心拍数。
血圧。
血管収縮反応。
通常の、数倍。
「心不全の原因を調べてるんじゃない」
彼は、誰に聞かせるでもなく続ける。
「人は、どれほどの恐怖で死ねるかを測っているだけだ」
投与から六時間。
八時間。
十時間。
少しずつ、ずらす。
飲み物に混ぜ、差し入れと称して渡す。
味に違和感はない。
あとは、驚かせるだけだ。
仮面は、目も鼻も口もない。
ただ、人の形をしている。
触れない。
押さえつけない。
一瞬、現れるだけでいい。
心臓に問題のない者から始めた。
耐えられるかどうかを見るために。
次に、軽度の既往歴。
次は、はっきりとした異常がある者。
「段階は、踏まないとな」
ペン先が止まり、次の紙がめくられる。
名前。
年齢。
心疾患あり。
丸をつける。
「……ここからだ」
彼は白衣を整え、時計を見る。
いつも通りの時間だった。
この病院では、今日も誰かが噂をする。
幽霊を見た、と。
それでいい。
それが、一番きれいだ。
時間をどこに置くかを決めるだけだ。
同意書、あり。
禁忌、なし。
投与可能。
仮面は、引き出しの奥に戻した。
まだ使える。
白衣を羽織り、
次の予定を確認する。
この実験は、
まだ途中なのだから。
廊下の向こうで、誰かが言っていた。
「また、出たらしいよ」
彼は聞かなかったことにした。
噂は、記録にならない。
だが、
噂がある限り、
時間のずれには誰も気づかない。
彼は赤ペンで、
次の名前に丸をつけた。
次は、
どのくらい待つか。
その人の心臓も、
何も傷を残さず、
静かに止まるだろう。
きれいなまま。




