第2話 聖女と微笑
翌朝。
王立学院の回廊は、春の光に満ちていた。
磨き上げられた床、壁に掲げられた歴代賢人の肖像画。
すべてが秩序正しく、美しい。
――ここは、間違いを許さない場所。
私はその中心を、いつも通りの速度で歩いていた。
周囲の視線は感じる。
敬意、緊張、距離。
慣れている。
これが「宰相家の令嬢」であり、「王太子の婚約者」である私の立ち位置。
「リリアーナ様……」
背後から、控えめな声がした。
振り返る。
そこに立っていたのは、純白のローブに身を包んだ少女――
聖女セシリア・ルミナス。
両手を胸の前で組み、緊張した様子でこちらを見上げている。
「昨日は、入学式で……ありがとうございました」
彼女はそう言って、深く頭を下げた。
――感謝?
一瞬、判断に迷う。
私は昨日、彼女に対して特別なことを何もしていない。
視線が合い、礼を返しただけ。
それでも、私は微笑んだ。
「お気になさらないでください。式典では、あれが普通ですわ」
声の調子も、表情も、完璧。
すると――
「……よかった」
セシリアは、ほっとしたように微笑んだ。
その瞬間。
空気が、ふわりと和らぐ。
「聖女様、安心なさったみたい」
「やっぱり緊張されてたのね」
周囲の生徒たちが、自然と彼女の近くに集まっていく。
……ああ。
私は、無意識に一歩、引いていた。
それが「正しい距離」だと思ったから。
「学院生活で分からないことがあれば、教師に相談なさると良いでしょう」
私は続ける。
「王立学院は、規律と手続きを重んじます。勝手な行動は誤解を招きますから」
忠告。
善意。
責任ある立場としての、当然の言葉。
――なのに。
「は、はい……」
セシリアの声が、わずかに震えた。
笑顔が、固くなる。
その変化を、私は見逃さなかった。
けれど。
「……今の、ちょっと厳しくなかった?」
「聖女様、萎縮してるように見えたけど……」
小さな声が、確かに耳に届く。
胸の奥が、ひくりと痛んだ。
私は、言葉を選び直す。
「決して責めているわけではありません」
――訂正。
これで、問題はないはず。
だが、空気は戻らなかった。
むしろ、妙に静まる。
「い、いえ……私が未熟なだけですから」
セシリアが、慌てたようにそう言った。
庇うような、謝罪。
その瞬間。
「聖女様が謝る必要なんてないわ」
「悪気はなくても、言い方ってあるよね……」
視線が、私に向く。
非難でも、敵意でもない。
もっと厄介な――評価。
私は、何もしていない。
怒ってもいない。
責めてもいない。
ただ、正しくあろうとしただけ。
なのに。
「リリアーナ様は、とても立派な方だと思います」
セシリアが、困ったように微笑む。
「ですから……どうか、私のことを怖い存在だと思わないでください」
――怖い?
言葉が、胸に突き刺さる。
私は、彼女を怖がったことなど一度もない。
けれど。
「聖女様、優しい……」
「守ってあげたくなるよね」
誰かが言う。
それは、自然な流れのように。
当たり前の結論のように。
その瞬間、理解してしまった。
この場において。
私は“強い側”で、彼女は“守られる側”なのだと。
理由はない。
悪意もない。
ただ、そう決められてしまった。
私は、何も言わず一礼した。
「お話は以上です。失礼しますわ」
背を向ける。
背後から、ほっとしたような空気が流れたのを、確かに感じた。
……どうして?
廊下を歩きながら、初めて胸の内に疑問が生まれる。
完璧であることは、本当に正解なの?
私は、誰かを傷つけた?
それとも――
傷つけたことに、されただけ?
足を止め、窓の外を見る。
春の光は変わらず、明るい。
なのに、胸の奥が、ひどく冷たい。
――これは、偶然ではない。
理由のない違和感。
説明できない不安。
それでも私は、背筋を伸ばす。
微笑みを崩さない。
だって私は、
王太子の婚約者であり、
完璧な令嬢なのだから。
この時はまだ、知らなかった。
その「完璧さ」が、
人の心を遠ざけ、
私を孤立させていくことを。
追放フラグ【Stage1:違和感の芽】
――確定。
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