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第8話 巨体は短剣で踊る

勝負が終わるやいなや、クレインは砂を踏んでダイスの前へ出た。巨体は膝に手を当て、息を荒げている。

「退き足はそろっとる。線を外す“拍”も悪うない」

ダイスは視線を落とした。


「……ここで一か月やってます。みんな強くなるのに、自分は全然。ここにいて意味、あるんですかね」

「そうかそうか。なら——ヴァルドナ流に入門するんじゃ」

「なんですかそれ」

「超実践流の剣術じゃ。金級のカムルとか言ったか?あやつに勝てるぞ」

「は?」

「月謝は月に銀貨4枚。どうじゃ、親切価格じゃろ」

唐突な“価格”に、ダイスの喉仏が上下する。意味はわからぬが、老剣士の謎の圧だけは重い。

「えっ?えっと……はっはい……入ります」

加入、成立。周囲の砂塵が一瞬だけ静まった。


クレインは木箱から何かを取り出し、ダイスの掌にそっと載せた。

「こ、これを使うんですか?」

「使え。……ただし重心はもっと後ろで、“ため足”を使え」

踵とつま先の置き場だけを指で示す。ダイスは息を呑み、無言で頷いた。


さらにクレインは木剣の先で砂に細い線を引く。耳元へ落ちる声は、周囲には判別できないほど小さい。

「……いち、に……ここで待て……ここは空けい……」

指先がわずかに弧を描き、手首が一度だけ返る。ダイスは巨体を小さくたたみ、合図のたびに頷く。外からは、砂に刻まれた印と、区切られた拍だけが意味をほのめかすに留まった。


クレインは振り返り、訓練場の端で腕を組む長身に声を飛ばした。

「おい、そこのカムルとやら。ちと、ワシの弟子と手合わせを頼む」

金級の剣士は片眉を上げる。

「はぁ?なんだこのじじい。バルガスさん、部外者はつまみ出してください、邪魔です」

「貴様、俺の師匠に向かって何を——黙って従え!!」

バルガスの一喝に、訓練場の空気が一段下がる。カムルは舌打ちし、肩をすくめ、長剣を構えた。

「……なんでこんな雑魚と。——わかったよ、一回だけだ」

ダイスはごくりと唾を飲み、クレインは木剣を軽く叩いて拍を刻む。

「よいか、弟子。華は要らん。ヴァルドナ流で勝つ。」


ダイスの手にあるのは大剣ではない。両の掌に収まる訓練用ダガー


「え、ダガー?あんなおっきい体で?」

ルカが肘でつつく。

バルガスは無言で片手を上げた。「木剣での急所へのタッチは一本。 同時は引き分けだ。 安全確認——始め!」

号令の鈴がちりんと鳴り、円の中央に二つの影が向かい合った。


「じいちゃん、ダイスさんに何を教えたの?」

クレインは木剣の鍔で掌をぽんと叩き、砂を払う。

「何、短時間の付け焼き刃じゃが――奴の体格と才を生かす戦術よ」

「付け焼き刃......」

「拍の扱いには時間がかかるんじゃ」


ルカは眉間に皺を寄せた。

「戦術って、また卑怯な技じゃないよね?」

老剣士は真顔のまま、口角だけを少し上げた。

「生き残る。これ以上の勝利はないわい」


言い終えて、剣の先で土に小さく「いち、に」と拍を刻む。ダイスがこちらを一度だけ振り返り、額に手を当てて不器用な敬礼をした。

真剣なほど、どこか滑稽。ルカはため息をつき、しかし目は少しだけ笑っていた。


カムルの踏み込みは滑らかだった。長剣が水路のように流れ、袈裟、返し、刺突、切り上げ——拍の継ぎ目が見えない。伸び、速さ、タイミング、いずれも一級品。木剣の風が、ダイスの頬を何度も撫でていく。

だが、当たらない。

ダイスは顎をわずかに引き、ため足で重心を後ろに溜め、短い刃を“ハの字”に開く。刃の腹で受け、角でそらし、半歩だけ芯線を外す。砂に刻まれる足跡は小さく、しかし一定のリズムで連なる。木剣と木刃がかすかに触れ、「チ、チ、チ」と乾いた音だけを置いていく。


「そうじゃ、そのまま。ため足で顎を下げい。落ち着いて対処すれば当たるまい」

クレインの声が、砂埃を割って届く。


「雑魚のくせに……!」

カムルの目が細くなり、構えが一段低くなった。踏み込みが鋭く、間合いの詰めが一拍早い。連撃は強く、圧は重く——それでも、当たらない。

ダイスは軸をぶらさない。肩でいなさず、丹田でいなす。紙一重で身を抜き、短剣の縁で払う。押さず、押し返さず、ただ流す。観客のどよめきが、次第に熱を帯びた。


その時だった。――ポトリ。

ダイスの右手からダガーが離れ、乾いた音で土に落ちた。あまりの事態に、カムルの眉がわずかに跳ね、踏み込みの拍が半拍空白になる。


「今じゃ」

クレインが口の端を上げる。

次の拍で、ダイスの巨体が低く沈み、地を割るようなタックルが突き刺さった。

長剣の間合いより内側、肩で胸板を押し上げ、そのまま腋で刃をはさみ込む。木剣が軋み、巨躯の剛力が一点へ集中――ミシッ、と音を立てて長剣がしなる。さらに体重を前へ乗せると、中心でバキリと折れた。もちろん公式戦では反則の技。


カムルの目が見開く。だが、金級の足は死んでいない。折れた長剣の残身を逆手で握り、鍔でダイスの肩を小突き、半身で体をずらす。

折れ口を“楔”のように押し当て、ほんの一拍、巨体の圧を外へ流すと、踵で砂を払って斜め後ろへ二歩――すんでのところで間合いを切った。

観客席から安堵とどよめきが混ざる。

クレインが小さく頷く。

「間を切ったか、なんじゃ?こういう戦いに慣れとるな」


ダイスは間を置かない。

折れた剣を外へ弾き、腰の鞘から左手で予備のダガーを抜く。返す手の甲で短く拍を刻み、踏み込みは低く、角度は至近。肋の下へ、喉の下へ、手首の腱へ――大きな身体に似合わぬ細かな連打が、“通る”線だけを正確に撫でていく。

クレインは口の端を上げた。

「捨てて入る。……ようやったわい、ダイス

 ……やつの腰が浮いた!」

クレインの声が刃の合間に滑り込む。

「ダイス、今じゃ!」


ダイスは踏み石を渡るように一歩外へ、ため足からの送り足で背面に回り込む。長剣の射線が空を掴む瞬間、右足がすくう——足払い。これも反則技。

カムルのバランスがわずかに崩れ、砂がはぜた。その隙に、ダイスのダガーが首筋へ滑り込む。


同時だった。崩れた体勢のまま、カムルの手首が返り、刀身が後ろへ泳ぐ。

二本の木刃が、同じ呼吸で喉元に触れた。


二人とも、呆然。


「そこまで!」

バルガスの号令が砂埃を切る。「両者有効、引き分け!」


現実は唐突だった。カムルは木剣をわずかに震わせ、瞳にまだ勝敗の続きが映っている。対するダイスは、首元の木刃を見下ろし、さらに自分の木刃を見下ろし——理解が追いつかない。


「……俺が、引き分け?」

「カムルさん、手加減してくれたんですよね?」

「……いや、全力だ」


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