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第7話 華無き理、通る剣

城壁の下、王都は相変わらず騒がしい。荷車が石畳を軋ませ、行商の呼び声が空気を跳ね、屋根の鳩が一斉に舞い上がる。

その人波を縫って、クレインとルカが戻ってきた。


「二ヶ月ぶりの王都、だね。……論文、提出しなきゃ」

ルカは背負い鞄を抱え直し、気まずそうに笑う。


「ワシは依頼の報告に行かねばならん。バル坊のところにな」

クレインは胸を張り、甲冑の留め具をひとつ確かめた。


***


ギルドの帳場は、依頼者と冒険者が列を作り、鈴の音が一定の拍で鳴っていた。羽根ペンの擦れる音、金貨の触れ合う乾いた響き。

クレインは列の先頭に進むと、用紙を片手で差し出す。


「フェルンホルム祠の像、修繕の護衛。完了じゃ」


新任らしい職員がきびきびと書類を確かめ、受領の印を押す。

「確認しました。こちらが報酬です」


革袋が鈴の音とは別のリズムで卓に落ちる。クレインは頷き、間髪入れずに問うた。


「して、バル坊はどこじゃ?」


職員は瞬きを一度。

「バルガス様なら訓練場で、冒険者の訓練を」


クレインはふむと頷き、訓練場の方向に目線を動かす。

(ワシの剣は泥臭いし、わかりづらい。教本にすると“白紙に近い良書”と言われるやつじゃ。——実践的ゆえ、口先では届かん。ワシが先陣を切って見せねばのう)


「なるほど——ワシの出番ということじゃな」


「え?」

職員が顔を上げる。


「好都合じゃ。今から“公開講義”をする」

新任、ペンを落とす。「こ、こうかい……?」

「講・義! 実地じゃ。ワシの戦場仕込みは難解じゃ。だからのう——」


クレイン、胸をドンと叩き。

「それゆえ、ワシが直接指導せんといかん!」


「は、はぁ……?」


「王都でもしっかり広めねばならん。ワシの、——“ヴァルドナ流”をな」


「き、聞いたことが……ないです、その流派」

新任の口元が小刻みに震える。羽根ペンが紙の上で途切れた。


「なに?」クレインは眉を上げる。「ヴァルドナ流じゃぞ。開祖はワシ、クレイン・ヴァルドナ。もちろん知っておろう?」


職員は目にうっすら涙を浮かべ、申し訳なさに背筋を固めた。

「……もっ申し訳ございません」


クレインは天井の梁をひとつ睨み、使命感に肩を燃やす。

「これはいかん。人肌脱がんといけんようじゃ。

ワシの戦場仕込みは“華”がない。ゆえに教本も評判は立たん。……だからのう、ワシが直接、叩き込むほかない」


列の後ろから気配だけで肩を引くルカが、小声で刺す。

「……また始まった」


老剣士は真顔のまま、しかしどこか愉快げに口角を上げ、訓練場の方角へ踵を返した。王都の喧騒は、彼の足音をあっさり飲み込み、次の拍へと流れていった。


訓練場へ続く回廊を抜けると、砂埃と汗の匂いが一気に押し寄せた。

木剣のぶつかり合いが連打となって鼓膜を叩き、号令が梁を震わせる。陽に焼けた土の上で、初級から上級まで色とりどりの腕章が走っていた。


「前へ!打ち込み三拍、離隔一!」

バルガスの檄が乾いた空へ一直線に飛ぶ。


そこへ、クレインがマントを——本人は“たなびかせ”たつもりで——翻す。実際は膝丈が短くて、申し訳程度にひらりとしただけだが、本人はいたって真剣である。


「バル坊!来てやったぞい」


「師匠!」

バルガスは感極まり、木剣を脇に抱えて駆け寄った。

「戻られたのですか!事前にご連絡くだされば迎えを出しましたのに!」


「よいよい。……しかし、この訓練場、なかなかじゃな」


胸を張るギルド長は誇らしげに顎を上げる。

「はい。初級の依頼生存率がぐっと向上しました」


砂塵の向こう、ひときわ目につく巨体が模擬戦の中央で大剣を振り回していた。腕章は銅。

相手は痩せ型の中堅、木剣は片手の長剣型。合図の鈴が鳴ると同時に、巨躯の男は剣を引き抜き、豪快な弧で薙いだ。


——ぶうん。


大剣は風を裂く音ばかりが立ち、刃は空を切る。


再び突入。今度は真上からの振り下ろし。腰は据わらず、背はまっすぐ、腕だけで持ち上げるので、柄が胸の前で泳ぐ。

「どりゃ——」掛け声だけは立派だが、降りてくるのは遅い。相手は体の線を半身で外し反撃に転じる。


相手の連撃が止まらない。木剣が「カン、カン、カン」と拍を刻み、巨躯の大剣は追いつかない。

握りが固く、指が白くなる。肩が上がり、肘が伸び切る。打ち終わりで必ず止まる。そこを叩かれて、また一定の拍で退く。


土の白線に踵を引っかけ、彼は大きくよろめいた。

しかし倒れ方だけは奇妙に上手い。起き上がる時には不思議と背が直線に戻っている。


息は荒い。胸が上下し、汗が頬を伝う。

相手の刃が二度、三度、衣の端を叩き——終いには足を止められ、剣先を喉元に突きつけられた。


鈴が鳴り、勝負あり。

がくりと膝をつき、大剣の柄を両手で抱えたまま深く頭を垂れた。


「ふむ……」

クレインの目が細くなる。


「やれやれ」ルカがため息まじりに肩をすくめた。


「しかし、あの巨体の冒険者……」

クレインが顎で示す。


「ああ、ダイスですな。全く才能が——」

バルガスが言い終える前にクレインが言葉を挟む


「天才かもしれんな」


「「!!?」」

バルガスとルカの声が見事に揃った。


ルカは慌てて手を振る。

「いやいや、言っちゃ悪いけど、子どもの頃かじった僕から見ても、剣術はダメでしょ」


「師匠!」バルガスも頭を抱える。

「ダイスには相当稽古をつけているんですが、まるで形に……」


「そうかの?」

クレインは砂の上に残る足跡へ目を落とした。

「踏み込みは重い。が、退く拍が一定じゃ。怖じて逃げるのでなく、線を外す“後退”になっとる。呼吸は浅いが、切れ目はない。握りは固すぎるが、背骨は真っ直ぐ。——育つ根を持っとる」


ルカが小声で囁く。

「バルガスさん、じいちゃん最近、物忘れが激しくて……」


「いや、師匠が言うなら何かあるはずだ」

バルガスの瞳がきらりと光る。


クレインは周囲をぐるりと一瞥し、砂をつま先で軽く払った。

「この中で一番強いのは誰じゃ?」


「金級のカムルです」

バルガスが視線で示す先、痩せた長身の剣士が、涼しい顔で組手の間合いを計っている。所作は無駄がなく、足音は砂に沈む。


クレインはにやりと笑った。

「よし。まずは“華のない理合い”が、王都でも通用することを見せようかの。——バル坊、場を借りるぞ」


ルカが額を押さえる。

「……まただ」


木剣の連打、号令、砂埃。喧噪の真ん中へ、老剣士は真顔で歩み出た。真剣であればあるほど、どこか可笑しい、その背中で。


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