第3話 命は取らん。木で足りる
最初に出たのは、肩幅の広い銀級の男だった。床板が軋む距離まで詰め寄り、顎をしゃくる。
「じいさん、金級の腕——見せてもらうぜ」
男が鋼の剣を引き抜く音に、クレインは棚から訓練用の木剣を取った。
「そうか、ならワシは、これで十分じゃ……命は取らん。木で足りる」
「舐めてんのか?俺は銀級だぞ」
「ほっほっほ。それより、おぬし……あれは何じゃ?」
クレインが木剣で明後日の壁を示す。反射的に男の目線がそちらへ滑った、その瞬間——
老剣士の姿がふっと薄れた。
視線が戻るより先に、乾いた音。木の一撃が男の後頭部を正確に叩く。
銀級の体が、糸の切れた操り人形のように膝から崩れた。
審査官が拍木を一打し、静かに告げた。「致命点、一」
「まったく……相手から目を外すとは。まさに戦争を知らぬチャンバラごっこ」
「ひ、卑怯だ!」
ルカの抗議に、バルガスは肩をすくめる。
「だが立っているのは師匠で、倒れているのは相手だ。現実は単純だろう?」
言い淀むルカの前に、次が躍り出た。
「次は俺だ。俺は油断しねぇ」
言葉が終わる頃には、木剣の切っ先がもう男の喉元に触れていた。
クレインの声は低い。
「“油断”とやらの定義を、戦場で試すつもりか。いまので、おぬしは死んでおる」
男は慌てて飛び退き、怒号とともに上段へ。筋力任せの突撃が一直線に迫る。
男の肩が上がる予備動作——そこだ。クレインの木剣が先に肩口を正確に打つ。
「力みは、肩が嘘をつくの」
すかさずクレインの重心がすっと沈む。
「よいのかのう、そんな大ぶりで。足元がお留守じゃ」
次の瞬間、木剣の側面が脛に吸い込まれた。鈍い痛みが遅れて走り、男は床を転げ回る。
「っつ、つつつ!」
呻き声がホールに転がる。クレインは木剣を肩にのせ、淡々と告げる。
「己の心を律せずして、剣を律することはできん」
審査官は間髪容れず記録する。「致命点、二」
「……すごい、子ども扱いだ」
ルカが呟くと、バルガスは嬉しげにうなずいた。
「そうだろう」
ざわめきはいつの間にか、別種のざわめきへと変わっていた。嘲りではなく、測り直そうとする目の色——。
金色の印章は、伊達ではない。だがそれを支えるのは紙でもコネでもなく、目に見えぬところで積み重ねられた“拍”の精度だった。
のそのそと起き上がった別の若者が、怒声を張り上げる。
「囲め!このじじい、袋叩きにしろ!」
「連続だ、隊列を保て!」と審査官が釘を刺す。
若者たちがざわつき、「同時にやらせろ!」と代表格が手を挙げた。
「さすがにルール違反じゃ!?止めないと、やばくないですか?」
ルカの袖を引く手が汗ばむ。
「ここからだ。見られるぞ——闘気が」
バルガスはニヤリと笑った。
「闘気!?じいちゃん、使えるの!?」
「俺が“コネ”だけで金級にしたと思うか」
若者たちが輪を縮める。クレインは一歩、土を踏んで息を整え、胸の奥で熱を練った。
「やれやれ……この術、老骨にはこたえるがのう。構わん。来い」
「なに……?」「闘気だと?」「この爺さん、何者……」
審査官は短く考え、拍木を掲げる。
「挑戦側代表の申請を認める。以降は同時三名を許可。記録官、注記。」
ざわめきの中、老剣士は短く言い放つ。
「闘気解放・初段〈身体強化〉」
風がひと筋、近くを走ったように見えた。
「寿がひと目盛り削れる感覚じゃが——かまわん」
先頭の冒険者が渾身の突きを繰り出す。
クレインの木剣が巻き上げを描き、鋼の剣をあっさり弾き飛ばした。
「剣士が剣を落としてどうするんじゃ。剣は、やわらかく、しっかり握る——惚れた女子の手を握るが如し。……お主、あまりモテんじゃろ?」
ずん、と重い音。木剣の小突きが額に入って、男はその場で白目を剥いた。
残る二人が同時に飛び込む。
クレインは木剣でひとまず両刃を受け止め、体重を軸足に落とす。
「剣だけが攻め手か?いや——五体すべてが武器じゃ」
次の呼吸で、クレインの前蹴りがみぞおちを突き刺し、
ひとりが空気を吐き出して膝をつく。
最後の一人。
「さて、おぬしだけになったの」
クレインはわざとらしい大振りで木剣を振り下ろす。
冒険者の口元に勝ち誇った笑み。必殺のカウンターが閃く——が、そこにクレインはいない。
「後ろじゃ」
涼しい声とともに、後頭部に木の一撃。男は糸が切れたように前へ崩れ落ちた。
「虚を使わんとな……って、聞こえとらんか」
審査官が宣言。「致命点、三」
気を解いた瞬間、クレインの視界が一瞬だけ白く霞んだ。
木剣を肩に載せた手の奥、指先がかすかに震えている。
だが、その震えを見たのは、ホールの片隅で黙っていたバルガスだけだった。
静寂の一拍のあと、ギルドが沸騰した。
「すげぇ……」「なんだ、あのじいさん!」
歓声が梁を揺らす。
記録官が羊皮紙に印を落とす。審査官が宣言した。
「特例公開試技、合格。仮金級推薦——本登録、金級」
金色の印章が掲げられ、蝋に王都ギルドの紋が沈む。
クレインの木剣には浅い刃痕が、側面はわずかにささくれていた。
「じいちゃん、すごい!すごいよ!」
ルカが駆け寄る。クレインは息を荒げ、膝に手をついた。
「剣筋も昔のまま……師匠の剣はまだ折れていません」
バルガスは懐かしむようそして予想が確信に変わったように口に出す。
「……老体には、ちと厳しいわい」
それでも口角を上げる。
「どうじゃ。“古臭い剣術”も、たいしたもんじゃろ?」
言い切る前に、膝が折れた。木剣が床に転がり、老剣士の体が前へ傾ぐ。
「師匠!?」
「じいちゃん!!」
バルガスとルカが同時に抱き留める。額に手を当てたルカの顔色が変わった。
「熱い……!」
ホールの端で誰かが叫ぶ。「治癒師を呼べ!」
歓声はいつの間にか吸い込まれ、足音と短い指示だけが飛び交う。
老剣士の胸は規則正しく上下している。だが肌は焼けた鉄のように熱かった。




