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第15話 ヴァルドナ流、敗れる

 アシュレイは木剣を正眼に据えた。対面の老剣士は、木剣を腰に下げたまま微動だにしない。刃先を探っても隙がない。――打てば入るのは自分の呼吸の乱れ、という嫌な予感だけが喉に張りつく。蛇が獲物をじわじわ壁際へ追い詰めるときの、あの乾いた圧迫感。


 「こぬのか? 老体を労わってくれるのかのう?」

 観客がくすりとする。クレインはわざとらしく肩を回し、余裕を装って片手で木剣を抜いた。鍔が「こと」と鳴り、会場のざわめきがすっと消える。静けさが支配し、紙灯りの揺れだけが拍を刻む。


 次の瞬間、老剣士の指先が軽く弾いた。小石がひとつ、風を切って飛ぶ。

 「――ッ!」

 アシュレイは反射で首をひねり、石礫を紙一枚ぶんで避ける。だが踵が半寸ずれて、重心が崩れる。


 「避けたか。やはり天才! じゃが――」

 崩れた体勢へ、クレインの木剣がすべり込む。決まる――はずだった。


 「止めっ!!」

 壇上の男の声が割れる。「挑戦者クレイン、石礫による攻撃を反則行為として“注意”!」


 「なっ!? ヴァルドナ流では初歩的な技じゃ!!」

 「王都公式剣武規則に則り、注意です」

 「ぐぬぅ……」


 観客席から微かな笑いと「実戦派〜」の野次。アシュレイは木剣を下ろし、呼吸を整える。目の前の老剣士は技術がある――それだけなら幾度も相手をしてきた。違うのは、得体の知れなさだ。拍の揺らぎ、隙に見せかけた罠、そして今の石粒ひとつ。刃と刃の外側に、何かがある。胸の内で、空洞に小石がころりと落ちる音がした。

 太鼓が「トン」。呼び子が張り上げる。

「試合、再開——!」


 今度はアシュレイが前へ出た。上段に振りかぶる——が、それは虚。刃先は滑る水のように角度を変え、狙いは胴。

 流れる拍で虚実を織り、次の一打が前の残像に重なる。

 クレインはわずかに顎を引き、木剣の“面”で受けては流す。

「ふむ、なかなか……」


 濁流みたいな連ね打ちが続く。フェイントの細工が細かい。けれど、どこかで歯車がかみ合わなくなる。アシュレイの眉間に皺が寄る。

(なんだ、この感じ——?)


 舞台の板目に、小さな音が紛れ込んでいた。クレインの踵が「こと」、鍔が「り」。呼吸と足運びに混ぜて打たれる不規則な拍が、アシュレイのリズムと間合いを半拍ずつズラしていく。

 虚の次に来るはずの実が、微妙に遅れる。逆もある。踏み込みの深さが、毎回、半寸足りない。


「——そこじゃ」

 鍔迫り合いの形から、クレインはため足で身体をずらし、相手の足をからめるように払った。アシュレイがよろめく。

「終わりじゃ!!」


 振りかぶった決定打。アシュレイは反射で受けに回り、木剣を縦に立てる——その瞬間、呼び子の声が割り込んだ。

「止めっ!挑戦者クレイン、足払いの使用——反則行為につき、“注意”から“警告”に移行!」


 会場が、どよ、と笑い混じりのざわめき。

「またか!!これじゃから王都式の試合は好かん!」

 クレインが肩をすくめると、観客席から「反則多い!」「実戦派!」の野次が飛ぶ。太鼓がなだめるように小さく二打。


 アシュレイは木剣を下ろし、乱れた呼吸を整えながら老剣士を見た。困惑は、興味へと形を変えている。明らかに異質で、明らかに異端

 ——だが、この剣をもう少し“味わって”みたい。胸の伽藍堂に、また小石が一つ、ころりと音を立てた。


「再開!」


 呼び子の一声。アシュレイの構えが変わる。刃先は一直線、脚は弾かれるように沈む。

 最短最速、閃光の型。


 対するクレインは腰に木剣を納めるように据え、居合の姿勢で静止。空気が一段、張り詰めた。


 先に動いたのはアシュレイ。爆ぜる踏み出し、流れる太刀筋が一直線に老剣士を貫かんと走る。

 迎え撃つクレインの抜きは胴ではない。木剣のそばで刃を払うように“剣そのもの”を狙い、するりと絡めて角度を外す。


 アシュレイは即座に回転で絡みをほどき、二撃目へ移る——その瞬間、呼吸が止まった。

 視界が暗く沈む。鳩尾に、クレインの前蹴り。体幹が一拍遅れて折れ、膝がきしむ。


「止め!挑戦者クレイン、蹴りの使用——反則行為につき、警告から“反則負け”に移行!」


「なっ!?これもダメか」

 クレインが目を丸くする間もなく、係の男たちが両脇から抱えにかかる。

「挑戦者クレイン、退場!」


 羽交い締めにされながら、老剣士はなお声を張った。

「毎週三回稽古!親切価格のヴァルドナ道場っっ!!」

 場内がどっと沸き、笑いと拍手がまじる。老骨はずるずると舞台袖へ消えていった。


「勝者、アシュレイ・ロウ!」


 喝采が降る。アシュレイは定型どおり礼を取り、顔を上げた。歓声は届く。

 だが胸の内は静かだ。美しい剣だ、と何度も言われた。四大流派の皆伝も、近衛の誘いも、王都大会の優勝も、余裕のうちに通り過ぎていった。

 ——もし、今の勝負が続いていたら?あの老人の“異物”じみた剣の間で、自分の刃はどこへ置けたのか。美しいのは確かだ。けれど、本当に強いのか。


 紙灯りが揺れ、太鼓が遠くで二度鳴った。舞台の板目に残る踏み跡は、まっすぐと、ところどころにズレがある。

 そのズレを、アシュレイはしばらく見つめた。胸の伽藍堂に、小石がまたひとつ、ころりと音を立てる。


「じいちゃん、元気出しなよ」

「わしは落ち込んどらん!」クレインは胸をそらす。「ただな、せっかくの“ヴァルドナ流”布教活動が反則負けでは台無しじゃわい!」

「はぁ……とりあえず宿、向かうよ」

「その前に休憩じゃ!」

 ルカのため息は灯りの輪に吸い込まれていった。


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