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第10話 毒は斬れぬ、理で抜く

冒険者ギルドの最奥、バルガスの書斎は紙と革の匂いで満ちていた。壁には戦地図と依頼札、机上には封蝋済みの報告書が積まれている。ギルド長は困った顔で棚の下段に手を突っ込み、埃っぽい木箱を引き出した。


「次の目的地はグレイマーチ高原でしたよね、師匠」

「うむ、そうじゃ。……なにか依頼はあるかのう?」


蓋を外すと、古びた札が数枚。バルガスはそのうちの一枚を、逡巡を混ぜて差し出した。

「……あの地の依頼は、基本、出ません。近づく者もいない。あるのは五十年前の戦で撒かれた毒の処理——この“凍結案件”ひとつだけです」

ルカが札を逆光に透かし見た。

「報酬欄、貨幣改定前……ほんとに五十年前のまま」


毒に冒された高原。クレインは札をじっと見つめ、唇を引き結ぶ。

「毒は……“斬れん”」


バルガスが重く頷く。

「停戦条約で敵は禁術の使用を否定。書面では“無かった”ことに。時間だけが経ち、麓の住民だけが増えました」


「禁術?」ルカが身を乗り出す。

「ってことは、魔術による“循環配毒”だよね。バルガスさん、当時の資料ある?」

「ある。——少し待て」


バルガスは別の箱から、魔導監査局の写しや戦時記録の束を取り出した。紙縁は黄ばみ、符丁や術式の図が細々と並ぶ。ルカは指でページをめくる速度を上げ、鉛筆で余白に記号を書き足していく。


やがて、顔を上げた。

「大丈夫。大学で研究中の“ロエイン式循環術式”を応用すれば、毒素を抜けるはずだよ。流路を逆相で噛ませて、負圧で引く。固定具は……ここ」

ルカが図面の四隅を指で叩く。バルガスの眉が高く上がった。


「本当か、ルカ君。となると、付近の住民の健康被害も……」

声にいつになく熱が宿る。


クレインは心底うれしそうに手を打った。

「さすが、ワシの孫!ようわからんが——グレイマーチ高原に行ける!」


「うん。ただ、じいちゃんの歩幅だと……往復三ヶ月の旅になりそうだね」

「そうじゃのう。夏目草が綺麗な時期じゃ」

「また雑草の話?もう、休憩しすぎてお茶でお腹タプタプになるんだから」


冗談半分の小言に、クレインは咳払いで応え、札を丁寧に木箱へ戻す。

「毒は斬れん。——なら、“理合い”で抜く。ワシの剣が届かんところは、おぬしの数式で届かせい」


書斎の窓を、午後の斜光が斜めに渡っていく。紙の白がやや温かくなり、古いインクが淡く匂った。

バルガスは机上の地図に手を置き、ふたりを見た。

「準備は私が手配します。許諾と道具は今夜中に整えます。——師匠、ルカ君、やりましょう」


クレインは頷き、ルカは鉛筆を耳に挟んだ。三人の視線が、地図の左上——風の強い高原へ、同時に止まる。

冒険は、いつでも入口で待っている。今回の扉は木箱の札一枚。取っ手は埃まみれでも、押せば、きっと開いた。



***


グレイマーチ高原の麓。畑の端で子どもが乾いた咳をこぼし、井戸の桶は薄く濁った輪を引いて揺れていた。風に、刃物を研いだ後のような金属臭の匂いが混じる。


「……やっと着いた」

ルカが息を吐く。

「そうじゃのう」

クレインは平然を装って答えたが、肩はわずかに上下していた。


「じいちゃん、体調悪いの?」

「なんでもないわい。少し疲れが溜まっただけじゃ」

言葉は軽いが、ルカの目が一瞬、細くなる。


「ここで村長をやっとります。王都からのご依頼の方で?」

藁帽子を胸に抱いた男が近づき、やつれた笑顔を作った。

「子や年寄りから倒れて……大人も咳が止まらん者が多くてのう」


ルカは頷き、井戸へ計測器を沈める。針がゆっくり振れ、手帳に数字が並ぶ。

「毒素指数は八・〇。空気中は二・三。……日が落ちれば濃度、上がります」

ルカは顔を上げ、決めたように言った。

「この村で浄化を試してみます。現地での予行にもなる」


背負い鞄が土の上に置かれ、銀粉の小瓶、清水のフラスコ、風位石が並ぶ。ルカは白チョークで地面に基線を引き、円と三角を重ね、方角に合わせて微調整した。指先で“いち、に、さん”と拍を刻みながら、術式の座標を埋めていく。

クレインは一歩下がって周囲を見張る。顎をわずかに下げ、息を整え、しかし誰より真顔であるほど、どこか滑稽でもある。風がひと筋、粉の表面を揺らし、これから始まる仕事の匂いが、金気の中に薄く混ざった。


広場の土面に、白い円がひとつ。外周には風位石が等間隔に据えられ、内側は銀粉の回路が緻密に走っている。範囲杭は半径五十歩、紐がぴんと張られて風を切った。


ルカは配置を確かめながら、独り言で線を補う。

「仕様……六十拍×三巡で起動。逆流防止に——ここへ抵抗線、追加」

内周に細い補助紋が一本、二本。矢印が循環の向きを示し、砂の上に小さな方位が出来上がる。


クレインがそばへ寄り、のぞき込む。

「何か、手伝えることはあるかのう」

「ありがとう。じゃ、そこで静かにしておいて」

「なっ?子ども扱いか!」

老剣士の抗議は、銀粉の流れに軽く吸い込まれていった。


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