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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

双子の姉に聴覚を奪われました。

作者: 浅見


 その瞬間、つんと耳が詰まったような感覚があって、わたしの世界から音が消えました。

 人の声も、物音も、自分の息づかいすら聞こえない。

 いままで当たり前にあった感覚を失い、よろめくわたしの前で、双子の姉ディアナが笑っているのが見えました。


「ああっ! 聞こえる! 聞こえるわ!」


 ディアナの唇は確かに動いているのに、わたしにはその声が聞こえません。

 ただ、両耳に手を当てて喜ぶ姿から、姉の聴覚が戻ったことは理解できました。


 ――良かった、ディアナ! 耳が聞こえるようになったのね!


 ほっと胸をなでおろしてから、わたしは自分の世界の静けさに戸惑いを覚えました。


 ――でも、どうしてわたしの両耳が聞こえなくなっているの?


 不安に駆られるわたしに、ディアナが気付いたようでした。

 姉は顔いっぱいに歓喜の笑みを浮かべると、わたしに向かって大きく口を動かしました。


「ありがとう、エリシア! 私の身代わりになってくれて! あなたが馬鹿なお人好しで本当によかったわ!」




 わたしはローゼリンテ王国の第二王女――エリシア。

 第一王女であるディアナとは、双子の姉妹です。

 ゆるやかに波打つ金色の髪に、青い瞳。わたしたちの容姿は映し鏡のようにそっくりでしたが、性格は正反対でした。

 明るく社交的なディアナに対し、わたしは引っ込み思案で、ひとりで本を読んでいるほうが好き。

 性格もディアナに比べると陰気に見えたようで、両親の愛情も、子どものころから自然と多くディアナへ注がれていました。

 お父さまに頭を撫でてもらえるのも、お母さまのお茶会に呼んでもらえるのもディアナだけ――。

 周囲もそんなわたしを軽んじ、『双子の出来損ない』と笑うようになりました。


 ――でも、それだけディアナが素敵ってことよね。


 誰からも愛され、いつだって人々の中心にいるディアナ。

 両親から愛されない寂しさはありましたが、同じぐらい、わたしは双子の姉を誇りに思っていたのです。


 十三歳になり、本格的に婚約者を探すころには、両親はもう姉のことしか見ておらず、わたしの存在などすっかり忘れてしまっていたように思います。

 お父さまはディアナを大国カルバナンドに嫁がせたいと考え、惜しみない教育を施しました。

 一方、わたしに与えられたのは、ごく基本的な教育のみ。

 とはいえ、わたしも勉強が好きでしたから、よく書庫にこもっては本を端から端まで読みあさっていました。

 教育を受けるディアナの部屋のそばに身を潜め、こっそり講義を盗み聞きしたことも……。


 そうして身につけた知識を国のために役立てたくて、なんどかお父さまに進言したこともあります。

 その頃にはもう、お父さまはわたしに会おうともされませんでしたので、意見書はいつもディアナを通して届けられました。

 ディアナはそれを読むたびに褒めてくれて、とても嬉しかったものです。

 結果、わたしの意見は政策に反映されましたが……お父さまのわたしへの態度が変わることはありませんでした。

 

 十五歳で、カルバナンド皇太子の婚約者候補としてかの国に赴いたときも、わたしはただのディアナのおまけでした。


 だというのに――

 ローゼリンテ王国に戻ったのち、カルバナンドから届いた婚約者選定の書状に記されていた名前は、他らならぬわたしのものだったのです。




『助けて! エリシア!』


 わたしがカルバナンド皇太子の婚約者に選ばれ、ひと月が過ぎたころ。

 ディアナがひどく取り乱した様子でわたしの部屋に飛び込んできました。


「耳が聞こえなくなった?」


 なんでもディアナは呪術に手を出したものの失敗し、代償として聴覚を失ったというのです。

 わたしは筆談で訊ねました。


『呪術なんて、どうしてそんなおそろしい真似を?』

『呪術の本を手に入れて、これならわたしでもできそうだと思ったのよ!』


 呪術とは、東の大陸から伝わったもの。

 その目的は『人を呪う』ことに限られ、また必ず代償を伴うことから、この大陸では使用が禁じられています。


『いったい誰を呪うつもりだったの?』


 するとディアナはじっと数秒わたしを見つめてから、そっと目を逸らしました。


『それは、あなたにだって言えないわ』


 ディアナは『そんなことより』と首を横に振りました。

 

『耳が聞こえなくなったなんてひとに知られたら、わたしはもう終わりよ!』

『大丈夫よ、きっとお父さまたちが守ってくださるわ。それに、たとえ耳が聞こえなくてもディアナの魅力はなくならないもの』

『無責任なことを言わないで! わたしは出来損ないのあなたとは違うのよ!』


 ディアナはそう書き殴ってから、はっとしたように紙を握り潰しました。


『……ごめんなさい』

『いいのよ』


 わたしは首を横にふりました。

 ディアナは気が動転しているのです。きっと本心ではないはず。


『なにか、ディアナを治す方法があればよいのだけれど……』


 その時、ディアナの瞳がかすかに光を帯びました。


『実は、呪術師を見つけて治す方法を聞き出したの。でも、それには身代わりが必要なんですって』

『身代わり?』

『そう、わたしと近しい者ほど成功率が高いらしいわ。双子なら確実ね』

『つまり、わたしが身代わりになれば、ディアナの聴覚は戻るということ?』

『お願いよ、エリシア! 両耳でなくていいの! せめて片方だけでも聞こえたら、会話も出来るし、ダンスだって踊れるもの!』


 泣き崩れるディアナを前に、わたしは息を呑みました。

 たとえ片耳といえど、聞こえなくなるのは怖いし……不安です。

 カルバナンド皇太子との婚約の話だって、どうなることか。


 ――皇太子殿下とは、まだほんの少しお話ししただけだけど……。


 わたしより二つ年上だという彼は、とても優しい方でした。

 緊張のあまり、本で読んだ知識を一方的に語るばかりのわたしの話を、殿下は最後まで笑顔で聞いてくださった。

 舞踏会で踊ったときも、よろけそうになるわたしをさりげなくリードしてくださった。

 そのときの笑顔に、わたしは心惹かれていたのです。


 ――だけど。


 ディアナはローゼリンテ王国が誇る第一王女として、誰からも愛されてきました。

 その立場を失うのは耐え難いことでしょう。


 ――片方だけなら……。


 全く聞こえなくなるわけではないのです。

 わたしとって、ディアナはたったひとりの双子の片割れ……。

 今日まで、ずっと誇りに思い、憧れてきた存在でもあります。


 ――それに、わたしが皇太子の婚約者に選ばれたとき、誰より先に祝福してくれたのもディアナだった。


 ディアナが誰を呪おうとしたのかはわかりませんし、呪術に手をだしたことは許されることではありません。

 それでも……もし、これで婚約破棄されるとしても、わたしはディアナを救いたいと思ったのです。


『分かったわ、わたしの片方の耳をあなたにあげる』

『ああっ! ありがとう、エリシア! 私、この恩は一生忘れないわ』


 わたしたちはその足で、ディアナが連れてきた呪術師のもとへ向かいました。

 そこで行われたのは、ディアナの聴覚を戻す呪術――。

 代償として奪われたのは、わたしの両耳の聴覚だったのです。




 王宮の一角には、王族の罪人を幽閉するための区画があります。

 高い石壁に囲まれたその内側には小塔がひとつと、わずかな庭があるのみ。

 塔の窓から外を望むことはできず、見えるのは庭と空だけ。

 風さえも壁に遮られて届かない、閉ざされた場所……。


 わたしがここに幽閉されたのは、もう三年前のこと。


 あの時――ディアナの身代わりとなったわたしは、両耳の聴覚を失いました。

『片方だけでよい』というのは、すべてディアナの嘘だったのです。


『わたしが誰を呪ったかと聞いたわね! あなたよ、エリシア! わたしを差し置いて、カルバナンド皇太子の婚約者に選ばれたりするからこうなるのよ! 男に媚を売るしか能のないくせに! 出来損ないの分際で、わたしの前に立つなんて絶対に許さないわ!』


 聴覚を失ったわたしに、ディアナは顔を歪めて叫びました。

 唇の動きから言葉の断片を読み取ったわたしは、そこではじめて姉の悪意に気付いたのです。


 さらにディアナは、『エリシアが自分を呪うために呪術に手を出し、その代償として聴覚を失った』と父に説明しました。

 激高した父は、わたしを罪人としてここへ閉じこめたのです。

 以来、侍女もつけられず、一日に一度の粗末な食事と、わずかな炭だけが与えられる生活。

 暖炉も満足に使えず、冬の夜も凍えながら眠るしかありませんでした。

 けれど、そうした生活の過酷さより辛かったのは、静けさと……それが運んでくる孤独でした。

 ただでさえ話す相手もいないのに、わたしには音が聞こえない。


 小鳥が遊びにきても、囀りはなく。

 雨が降っても、雨音はなく。

 寒い夜に、隙間風の音すら響かない。


 その圧倒的な孤独は、とても耐え難いものでした。

 そして、それがすべて姉の悪意によってもたらされたのだという事実が、わたしを打ちのめしました。


 ――ひどいわ、ディアナ……!


 この三年間、外から届いた報せは二つだけ。

 ひとつは『わたしと皇太子の婚約が破棄』されたこと。

 そしてもうひとつは、『ディアナが新たな婚約者に選ばれた』というものでした。




 その日。

 庭で花を眺めていたわたしは、ふと、いつもと違う風を感じて顔を上げました。


 ――扉が?


 普段は固く閉ざされている、幽閉区画の鉄扉が開いています。

 さらにその向こうには、黒い髪に琥珀色の瞳を持つ、端正な顔立をした男性の姿。


『……あの、どなたでしょうか?』


 わたしは手話で訊ねました。

 幽閉される前によく方々を慰問をしていたので、手話は心得ているのです。


『君の婚約者……のつもりなんだが』


 彼もまた、同じように手話で返してくださいました。


『婚約者?』

『わたしの名前はセリオン……カルバナンドの皇太子だ』

『カルバナンドの!?』


 わたしは大きく目を見開きました。

 

 ――そうだわ、わたし、この方と会ったことがある……!


 かつてカルバナンドへ赴いた際、わたしは婚約者候補としてこの方と話をし、舞踏会で一度だけ踊ったのです。

 あれからあまりに色々なことがありましたし、殿下もまた精悍さを増しておられたので、すぐにお顔がわかりませんでしたが……。


 ――でも、どうして皇太子殿下がこのような場所に!?


 彼はわたしを見つめると、痛ましげに切れ長の双眸を細めました。


『遅くなってすまない、君を迎えにきたんだ』




 庭のベンチに並んで腰を下ろし、わたしはセリオン殿下の話に耳を傾けました。

 聞けば、殿下は最初からわたしとの婚約破棄に納得していなかったそうです。

 もちろん、ディアナとの新たな婚約も承諾していないとのこと。


『わたしは君の知性に惹かれて結婚を決めた……誰にも代わりは務まらない』


 ローゼリンテ王国は婚約破棄の理由として、『エリシアは病を患い、結婚できる状態ではない』と説明したそうです。

 殿下はそれに『治るまで待つ』と答え、たびたび書状で様子を問うてくださったそうですが、やがて『エリシアは死んだ』と告げられたといいます。


『信じられなかった。わたしは真偽を確かめるために外交大使としてローゼリンテ王国を訪れ……そこで呪術によって聴覚を失い、幽閉されている王女がいるという噂を耳にしたんだ』

 

 ……わたしのことです。

 殿下は小さく頷きました。


『すぐに君のことだとわかったが、救い出すにはこの国を手に入れるしかない……わたしは父にローゼリンテ王国への侵攻を進言した。それが、一年前のことだ』

『侵攻……』

『ローゼリンテ王国に来るとき、父から攻め入るかどうかの判断をするよう命じられていたんだ』


 そう――。

 カルバナンドとローゼリンテは友好国でありながら、その間には常に緊張がありました。

 二十年程前、ローゼリンテが盟約を破り、カルバナンドに侵攻して敗れた過去があるからです。

 当時は他国の思惑もあり、表立った処罰は避けられたものの、カルバナンドが報復の機会を伺っていることはあきらかでした。

 だからこそ、お父さまはディアナを嫁がせ、いまだ残るわだかまりを解消しようとしたのです。


 そして、いま殿下がここにいるということは……。


『君が想像している通り、ローゼリンテ王国はすでにカルバナンドの支配下にある』

 

 殿下の言葉に、わたしは息を詰めました。

 仮にもこの王宮のなかにいながら、わたしはなにも知らずにいたのです。


 ――せめて耳が聞こえていたら、戦の喧騒に気付けたかもしれないのに。


 殿下は、ローゼリンテの国民や、投降した兵士を手厚く保護していると語られました。

 そういえば、わたしの食事もここ数日とても豪華でした。なにか国を挙げての祝い事でもあったのかと考えていましたが、殿下のご配慮だったようです。


『君のことももっと早くここから出してあげたかったんだが……色々とあってね』


 殿下は申し訳なさそうに視線をさげました。


『とにかく、君が生きていてくれていて良かった』

『……どうして、わたしのことをそこまで?』


 わたしたちは三年前……ほんの僅かな時間を共に過ごしただけですのに。


『言っただろう、君の知性に惹かれたと』

『……知性』

『君はあらゆる書を読み尽くし、かつその内容を正確に理解していた』


 殿下が、過去の会話を思い出すように目を細めます。


『それから、君が幽閉されるまでの数年間、ローゼリンテで打ち出された数々の優れた政策……あれはカルバナンドでも評判になっていた。君の父は、それを第一王女の意見だと言っていたが……直接話してすぐに分かった。エリシア、君のものだと』


 驚きでした。

 殿下が気付かれたこともですが、わたしの提案がディアナのものにされていたこともです。


 ――いまなら分かるわ。


 ディアナは、意見書を自分が考えたものとしてお父さまに差し出していたのでしょう。


『父はこう言っていたよ。君がいる限り、ローゼリンテに侵攻することは不可能だと』

『……皇帝陛下が? それは、過分な評価です』

『いや、わたしも父と同じ意見だ。君ほどの女性は、世界中を捜しても他にいない』


 身を竦ませるわたしに、殿下は真剣な表情で続けられました。


『だが、わたしが君を諦められなかった一番の理由は……ダンスをしたときの一生懸命な表情と、笑顔が忘れられなかったからだと……一目惚れだったと言ったら、君は呆れるだろうか』

『殿下……』

『君が頷いてくれるのなら……どうかもう一度わたしの婚約者に、いや、妻になってほしい』


 わたしは……嬉しいよりも戸惑ってしまって、瞳を揺らしました。


『ですが、わたしはこの通り耳が聞こえませんし、敗戦国の王女でもあります。殿下が望んでくださっても、皇帝陛下がお許しにならないのではないでしょうか……』

『王女でなくとも、耳が聞こえなくなっても、君の魅力はなにひとつ失われていないよ』


 殿下は優しい表情でそうおっしゃいました。


『それに、わたしの次に君を欲しているのは父だ。言っただろう? 父は君を高く評価していると』


 殿下はそう言うと、わたしを安心させるようにぱちっと片目を閉じました。


『実際に父上に会ってもらえば、すぐにわかると思うよ……そうだな、まずはここを出ようか』


 立ちあがる殿下に、わたしは静かに頷きました。

 確かに、ここに留まっていても何も始まりません。

 ただ、まだまだ聞きたいことがありましたので、歩きながらわたしは手を動かしました。


『殿下は、わたしが呪術によって聴覚を失ったと聞いていたのですよね。わたしが誰かを呪ったとは考えなかったのですか?』

『世の中には便利な道具があってね。誰が誰を呪ったかくらいはすぐに分かるんだ』


 さすが大国――カルバナンド皇家には、呪術から身を守る備えがあるのでしょう。

 わたしは感心してから、ためらいがちに次の疑問をぶつけました。


『……わたしの家族はどうなったのでしょうか』

『国王と王妃はすでに捕らえ、カルバナンドへ送った。処分は父が決めることだが……生涯幽閉は覚悟してもらうことになるだろうな』

『そうですか……』


 頷きながら、両親の処遇がなにひとつ、自分の胸に響かないことに気付きました。

 生まれてから一度もわたしを省みず、ディアナの言葉だけを信じてここに閉じこめた両親。


 ――お二人のことは、すべて殿下たちにお任せしよう。


 そう考えたとき、ちょうど鉄扉をくぐって外に出ました。

 背後で、両開きの扉が閉まる気配がします。

 三年の、あまりに過酷だった月日を思って振り返ったわたしは、そこで足を止めました。




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 わたしは思わず悲鳴を上げました。


『で、殿下、あの手型は?』


 訊ねると、殿下もまた足を止めて振り返り、『ああ』と頷きました。


『戦の混乱で、王宮から逃げようとした者も少なくなかった。誰かがここまで来て、助けを求めたのかもしれない』


 わたしはこの扉のすぐ向こうにいながら、耳が聞こえないために、その訴えに気付けなかったのです。


 ――耳が聞こえていても、わたしにこの扉を開けることはできなかったのだけれど。


 血が滲むほど扉を叩いた誰かを思うと、胸が締め付けられました。


 ――この手型の大きさ、女性だったのかしら。


 手型は、わたしの手とちょうど同じぐらいの大きさでした。

 いえ、それこそ、双子の手のようにぴったりと同じような。

 わたしは引き寄せられるように、その手型に自分の手を重ねようとして――


『エリシア、やめておいたほうがいい……手が汚れてしまうよ』


 殿下に腕を掴まれ、はっと我に返りました。

 それから、次に訊ねようとしていたこと思い出し、手を動かしました。


『あの、わたしの姉はどうなったのでしょうか』


 殿下は難しい顔で顎を撫でられました。


『呪術で人を呪った者は、処刑か追放と決まっている。君の姉は東の大陸へ送られる……もう二度と戻ることはないだろう』

『東に……』

『すでに船に乗せられ、この大陸を発った頃か……最後に会いたかったかい?』


 わたしは自分の胸に手を当てました。


 子どもの頃から、ずっと憧れだったディアナ。

 双子の片割れで、片方の聴覚を差し出してもいいと思うほど、大切な存在でした。

 けれど今は……両親と同じように、その顔を思い浮かべてもなにも感じません。

 裏切りと、向けられたあまりに強すぎる悪意。

 そして三年の孤独な日々が、わたしの心をすり減らしたのです。


『いいえ』


 首を横に振るわたしに、殿下が手を差し出しました。

 わたしはその手を取ると、ゆっくりと外の世界へ向かって歩みはじめたのでした。


─────


 それはエリシアが幽閉されてから、一年が過ぎた頃。

 ローゼリンテから届いた書状にわたし――セリオン・カルバナンドは動揺を隠さず声を震わせた。


「エリシアが死んだ……?」


 以前から、『病に伏したエリシアに代わり、ディアナを婚約者に』という打診はあった。

 だがわたしはそれを拒み、エリシアが治るまで待つと答えていたのである。

 今回の書状はそのエリシアの死を告げるものであり、やはり『姉を婚約者にしてほしい』という要求で締められていた。

 それを知り、声を荒げたのは父だ。


「まったく馬鹿げた話だな。あの第二王女がいないなら、ローゼリンテに価値などないわ!」


 父は過去、ローゼリンテから卑劣な手で攻め込まれたことを忘れておらず、つねに報復の機会をうかがっていた。

 数年前にも好機があったが、その頃、ローゼリンテでは立て続けに優れた政策が施行されており、よほどの有能な人物がいるのだろうと様子をみていたのである。

 

 ――それがエリシアだった。


 そのことは、彼女と話をしてすぐに分かった。

 わたしはただちに彼女を婚約者として迎えるよう動いた。

 父もまた、『あの王女を皇太子妃に迎えられるなら、ローゼリンテの過去の愚行を許してもよい』とまで言ったのだ。


「ローゼリンテに攻め入るか」

「お待ちください、父上!」


 わたしは慌てて父を止めた。

 エリシアが死んだという話を、どうしても信じることができなかったのだ。

 いや、受け入れられなかったというべきか。


 ――舞踏会で、わたしが手を握っただけで顔を真っ赤にしていたあの可愛い女性が、もうこの世にいないなんて。


 まずは自分で真実を確かめる。

 嘆くのも、悲しむのもそこからだ。

 そう心に決めてローゼリンテに赴いたわたしが知ったのは、彼女が呪術によって聴覚を奪われ、幽閉されているという事実だった。


 ――彼女を助け出すには、ローゼリンテを滅ぼすしかない。


 わたしの心は冷たい怒りに満たされ、国に帰るや否や、ローゼリンテへの侵攻を父に進言した。


 ――それから実際に彼女を助け出すのに、一年かかったわけだが……。


 しかもディアナが幽閉区画の鍵を捨てていたため、王宮制圧後もすぐにエリシアを救出できなかったのである。

 ディアナは、カルバナンドに呪術を識別する道具があることを知っており、自らの罪が暴かれることをおそれたのだ。


 ――愚かなことだ。


 エリシアのいる幽閉区画には、出入り口である鉄扉のほか、備品を差し入れる小窓があるのみ。

 中にいる彼女の精神状態が分からぬ以上、状況を手紙で知らせるよりは、直接会って話す方がよいと判断した。

 新しい鍵を用意するまでの数日間、もちろん食事はできる限り良いものを選び、備品も欠かさず届けさせた。

 そしてその間に、王宮から逃げだしたローゼリンテ王と王妃、そしてディアナを捕らえた。

 わたしたちの前に突き出されたディアナは、もはや言い逃れは出来ぬと悟ったらしく、すぐにエリシアを呪ったことを認めたのだった。


「あの子が悪いのよ! わたしを差し置いて皇太子の婚約者に選ばれたりするから! わたしのほうがずっと上だったのに! 出来損ないのあの子に負けるなんて許せるはずないわ!」


 その怨嗟には、父も呆れるしかなかったようだ。


「すぐにこの娘を東国に送れ。本場の呪術師なら、エリシアの耳を元に戻す方法を知っているだろう」

「ひっ」


 父の言葉に、ディアナが短い悲鳴をあげた。

 その先に待つ悲惨さを知っているからだ。


 ――呪い返しには、生きているのを悔いるほどの苦痛が伴うと聞く。


 あらゆる痛み、苦しさを味わうだけでなく、姿もまた豚か蛙か――とても人間とは思えないものになり果てるとか。

 顔色を失い、震え上がるディアナを見て、父は唇を歪めた。


「だが……そうだな。もしもエリシアがお前を許したなら、処遇を考えてもよい」


 ――父上も性格が悪いな。


 父はディアナを幽閉区画の前に連れて行くと、エリシアに向かって命乞いをさせたのだ。


「助けて、エリシア!」

「両耳の聴覚を返すから、お願い! わたしを許すと言ってちょうだい!」

「聞いてよエリシア! 聞いてえええ!」

「エリシアアアアアアアアアア!!!!!!!!」


 ディアナは手から血を流しながら鉄扉を叩き、夜が明けるまで叫び続けていた。


 ――優しいエリシアなら、あのディアナの声が届けば応えていたかもしれないが……。


 その後、幽閉区画で再会したエリシアはすっかり痩せ細り、生気を失っていた。

 この三年がいかに過酷であったかがわかるというもの。

 父上がディアナに与えた仕打ちも、いまはやり過ぎとは思わない。


 ――当然の報いだろう。


「セリオンさま?」


 皇宮の庭で過去に思い巡らせていたわたしは、皇太子妃――エリシアの可憐な声に顔をあげた。


「そんな怖い顔をして、どうかなさいました?」


 すっかり聴覚を取り戻した彼女が、心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。

 わたしは「いや」と首を横にふると、笑みを浮かべて彼女の耳元に顔を寄せた。


「エリシア……君を心から愛している」


 囁く声に、エリシアの顔が真っ赤に染まる。

 そして恥じらうように俯いて、わたしの手を握った。


「わたしもです……セリオン殿下、わたしも、あなたを愛しています」


 しっかりと答えてくれる彼女が愛しくて、愛しくて――。

 わたしはそっと、けれど強く、彼女をこの腕に抱きしめたのだった。



おわり

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― 新着の感想 ―
うん、ざまぁw 蛙になったら踏み潰してピョン吉にしようZE☆ 豚なら出荷な。(´・ω・`)ランラン
自分が「何」を奪ったかも忘れちゃったんだね そりゃこんな足らずを婚約者に!とか言われてもいらんわな
人を呪うような馬鹿を助けるお花畑ヒロインには同情できないな 自分だと思ってないってことは他人を呪おうとしていたわけで 身内の悪意にも気付かない、見通しも察しも悪すぎるお花畑人間がまともな政策なんて出せ…
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