第4-2話 天狐さんは雨宿りでドキドキする。
それは一瞬の出来事だった。
いきなり抱き寄せられたことに驚いてる暇もなく、道路から波のように押し寄せてきた水しぶきが勢いよく私たちに降りかかる。
「……化狩さん、大丈夫?」
「うん」
「そう。よかったわ」
私を庇った天狐さんは頭の天辺からつま先までずぶ濡れになっていた。
「天狐さん、ごめん。私のために」
「気にしないで。私が進んでしたことよ」
そう言うと、何事もなかったかのように歩き出そうとする天狐さん。
「ちょっと待って、このまま帰る気!?風邪引いちゃうよ!」
「これくらい大丈夫よ」
「大丈夫じゃないよっ!」
思わず声に力が入る。
天狐さんは身体をビクッとさせながら、目を丸くする。
「今すぐ雨宿りできるところ行くよ!」
天狐さんの手を引いて駆け出す私。
怒鳴られたのが応えたのか、天狐さんは顔を俯かせたまま黙っていた。
***
私たちがやって来たのは通学路近くを流れる堤防の東屋。
植物の壁で周りは囲まれていて、今は雨のお陰で歩行者もなし。
私たちにとって、これ以上にない隠れ場所だ。
「えっと……拭くもの、持ってたかな?」
鞄の中から出てくるのは、せいぜいハンカチくらい。
バスタオルのようなものは流石に用意していないので、ちょっと困った。
「……化狩さん。少し離れていてくれるかしら?」
「え?どうして?」
「あなたが濡れてしまうからよ」
ポフン。
突然、狐に変身する天狐さん。
――ああ!天狐さんが狐にっ!……って、全然モフモフじゃない……。
どうやら人の姿で濡れると、本来の姿の方も濡れてしまうらしい。
だから、今の天狐さんにモフモフ感はゼロ。
「そっちまで飛んでしまったら、ごめんなさい」
「え、まさか……」
「そのまさかよ」
次の瞬間、天狐さんは身体を左右にブルブル。
毛にまとわりついていた水分が一気に吹き飛ぶ。
「おお!モフモフが戻った!」
そして、天狐さんはあっという間に見慣れた姿へ早変わり。
「~~~っ♡」
――やっぱり、天狐さんはこうでなきゃ!ああ、ヤバい。天狐さんを見たら、モフモフしたくなってきた……。
「ねえ、天狐さん」
「嫌」
「私、まだ何も言ってないよ!?」
「どうせ、『モフモフさせて』でしょう?」
「うっ……」
「……やっぱり」
溜息をつきながら、人の姿に変身する天狐さん。
「あ、すごい。身体だけじゃなくて、服まで乾いちゃうんだ」
髪も制服も乾かしたみたいにカラッカラ。
「便利でしょう?」
「うん。すごく便利。私も欲しいよ」
「なら、頑張って狐にならないとね?」
「無理なこと言わないでよ……」
口元をニヤリと歪ませて、意地悪な笑みを浮かべる天狐さん。
その直後、天狐さんは小さく身体を震わせる。
「……クシュン」
突然、天狐さんは大きなくしゃみをする。
「天狐さん、大丈夫!?」
「少し身体が冷えてしまったみたいね。濡れたまま人の姿でいたせいかしら?」
「ってことは、あのまま帰ってたら風邪引いてたってことじゃん!もう、何やってんの!」
――今すぐに身体を温めないと……!
そこでふと、鞄に忍ばせていた保温ボトルの存在を思い出す。
「そうだ!ハーブティー!」
急いで保温ボトルを取り出して、用意していた紙コップに中身を注ぐ。
すると、コップに注がれたハーブティーから、ふわりと爽やかな香りと熱々の蒸気が立ち昇る。
「……化狩さん、どうしてそんなものを?」
「今日、晴れてたら放課後に飲んでもらうと思ってたんだ。店員さんのオススメでね。リラックス効果があるんだって。屋上で休む時にピッタリじゃない?」
「……わざわざ買ったの?私のために?」
「うん」
ハーブティーを受け取っても、なかなか飲もうとしない天狐さん。
「天狐さん?飲まないの?」
「……飲むわよ。それじゃあ、いただきます」
天狐さんは唇の先を紙コップの縁に添わせ、ハーブティーを一口。
「はぁ……」
ハーブティーをコクンと飲み込むと、柔らかい吐息を漏らす天狐さん。
「どう?美味しいでしょ?」
「……ええ、美味しいわ」
「ちなみに、クッキーもあるけど……食べる?」
私は鞄からクッキーの袋を取り出す。
透明な袋に入った狐型のクッキーを見て、「あっ」と小さく声を漏らす天狐さん。
「狐のクッキーなんて初めて見たわ。こんなのが売っているのね」
「違うよ。これは私の手作り」
「え!?手作り!?」
それは今日一番の大きな声だった。
「あなたが作ったの……?これを?」
「そうだよ」
ここぞとばかりに、私はドヤ顔を見せつける。
すると、天狐さんの表情が曇っていく。
「……味見はきちんとした?」
「してるよ!私って、そんなに料理下手に見える!?こう見えて、結構できるんだよ!」
「……」
何を言っても信じてくれない天狐さん。
「とにかく、食べてみてよ!絶対美味しいから!」
私はクッキーの袋を天狐さんの前に突き出す。
天狐さんは袋からクッキーをつまみ上げると……。
クンクン。
突然、クッキーの匂いを嗅ぎ始める。
「……変なものは入っていなさそうね」
「天狐さん!」
「……もう、分かったわよ。食べればいいんでしょう?」
天狐さんは恐る恐るクッキーを口にする。
雨の中に響く、クッキーのサクッという音。
「……美味しい。お店で売っていても、おかしくない味だわ」
天狐さんは目を見開きながら、驚きの声を上げる。
「料理ができるってこと、信じてくれた?」
「ええ。疑ってごめんなさい。ねえ、もう一枚だけ貰ってもいいかしら?」
「一枚だけなんて言わず、好きなだけ食べてよ」
「……ありがとう」
天狐さんは再びクッキーを手に取って、パクリ。
そして、そのままハーブティーを一口。
すると、徐々に表情がほぐれて、柔らかい笑みが浮かび上がる。
――天狐さん、喜んでくれてるみたい。よかった。
天狐さんの幸せそうな表情を見ていると、嬉しさが込み上げてくる。
これだけでも、クッキーを手作りした甲斐は十分にあった。
私は天狐さんの様子を眺めながら、ハーブティーを口にする。
「ふわぁ……」
すると、突然ものすごい眠気に襲われる。
――あれ?急に眠たく……。
どうやら、寝不足気味の身体にハーブティーのリラックス効果は抜群だったらしい。
――ああ、ヤバい。これは寝落ちしちゃうやつだ……。
目蓋が勝手に下がり始める。
でも、目蓋を持ち上げる力はもう残ってない。
「……天狐さん、ごめん。眠い」
――少しの間、肩を貸して。
そう言うとした時にはもう、私は眠りの世界に落ちていた。
***
「……」
あまりにも突然のことで声も出なかった。
隣に視線を向けると、私にもたれかかって眠る化狩さんの姿がある。
余程疲れていたのか、とても穏やかな寝息を立てている。
――あなたって人は……どうしていつもいつも、遠慮なしに近付いてくるのかしら……。
これも化狩さんにとっては友達の範疇なのだろう。
けれど、経験の浅い私には、どうしてもそう思えず……。
——ああもう。心臓がうるさい……。
ドッドッドッ……と心臓の音が頭の中で鳴り響く。
あまりの音の大きさに、化狩さんにも聞こえてしまいそうだ。
「ねえ、化狩さん。これはこの前の仕返しのつもり……?」
問いかけても、返事は返ってこない。
分かっている。
化狩さんにそんな気はこれっぽっちも存在しない。
私が勝手に勘違いして、勝手にドキドキしてるだけ……。
「ああ、もうっ……!」
考えれば考えるだけ、むしゃくしゃしてくる。
「……化狩さん。私だって、いつまでもやられっぱなしではないのよ」
術を解いて、狐耳と尻尾を出す。
「ほら、あなたの好きなモフモフよ。気分はどう?」
嫌がらせのつもりで、尻尾を化狩さんの顔に擦りつける。
でも、化狩さんは嫌がるどころか、眠りながら嬉しそうにニヤニヤ。
結局、私の胸のドキドキが強まっただけ。
「……この狐たらし」
いつもいつも、ドキドキするのは私だけ。
慣れていないからというのは、理解している。
それでも、あなたのことを少し特別に感じてしまうのは、普通じゃないことなのだろうか……。