みんなのダグラス
ダグラスは生まれつき病弱だった。細かく細かく刻んだ野菜を入れた、どろどろの柔らかいおかゆが主食……というか、ほとんどそれしか食べられなかった。自分のベッドからおりるのも命がけなくらいだった。それでも十歳の少年は、どこへでも行けた――大事な友だちのところへなら、どこにだって行けたのだ。
ダグラスは朝ごはんのあと、病院から抜け出して、友だちのクラリスのところへ行った。今日は日曜日、クラリスはグランドピアノを弾いていた。
『月の光だね、弾いているのは』
かすかな声でそう訊かれ、クラリスはふっと手を止めてふり返る。いつの間にかすぐ後ろにいたダグラスにも驚かず、にこっと笑ってうなずいた。
「ええそうよ、ドビュッシーの『月の光』……今日はもう、他のみんなのところにも行った?」
『ううん、君が一番最初』
「あら、そう! それは光栄だわ!」
クラリスは白いほおを染め、嬉しそうに微笑ってダグラスの手をにぎろうと――したが、少女の手はダグラスの透ける腕をすり抜けて、空をかいた。
「……あら……やあね、まだ慣れなくて」
『ええ、もういいかげん慣れてよね? ぼくは生まれつきこんなんだよ?』
そう言って笑うダグラスのほおへ、クラリスは思わずまた手を伸ばす。少女の白い細い手は、またすっと空をかいて踊って、クラリスはなんだか泣き出しそうに、愛おしそうに微笑んだ。
ダグラスはそれから、ウィルとマリアのところへ行った。ウィルとは大きな星の図鑑を一緒に見て、マリアの家では手焼きのクッキーをごちそうになった。クッキーに手を伸ばすしぐさをして、お茶を飲む動作をしてみせた。クッキーは一口分も減らず、お茶は口をつけられぬまま、ダグラスの目の前で白い湯気はだんだん勢いをなくしていって、どこか淋しげに冷めていった。
そうして魂でみんなのところを訪れて、ダグラスは満足して病院に戻った。刻みに刻んだ野菜入りのどろどろおかゆの昼食が、現実のダグラスを待っていた。
* * *
……ダグラスは、みんなのところに行かなくなった。行けなくなった。魂を飛ばすのもしんどいくらい、体が弱っていったのだ。みんなはダグラスを待っていた。待つしかなかった。もう面会もかなわぬくらい、ダグラス本人は弱っていた。
月の綺麗なある夜に、泣いているクラリスの背を誰かがなぜた。ダグラス、と思ってふり返ったら、そこには誰もいなかった。誰も何もいなかったけど、クラリスは思わず泣きやんで、ダグラス、と小さくつぶやいた。
「ダグラス……好きよ」
返事はなかった。月の光がただ白く、あまりに白く、塩からくなったクラリスのほおを照らしていた。
そして翌日、みんなは昨夜ダグラスが亡くなったことを知ったのだ。みんなは泣いた。クラリスも泣いた。泣いて泣いて、もう涙も枯れ果てたと思った時分に、ダグラスの家に赤んぼうがやってきた。
赤んぼうの名前はティム。亡くなったお兄ちゃんによく似たさらさらの金髪と、柔らかい宝石のような青い目を持っていた。ティムはみんなの『弟』だった。ウィルと大きな星の図鑑を一緒にながめ、マリアの家でクッキーとお茶をごちそうになり、クラリスの弾く『月の光』をよく聴いた。
みんなは時どき、ティムのことを「ダグラス」と呼んでしまうことがあった。ティムは「ティム」と呼ばれても「ダグラス」と呼ばれても、いつも笑ってにっこりうなずき、「何?」と訊ね返すのだった。
ティムはやがて大きくなり、ピアニストになったクラリスと結婚した。子供も生まれ、孫もできて、ダグラスとは似ても似つかない白髪のおじいちゃんになって、眠るようにある朝、永遠に目を閉じた。
あたたかな春の朝だった。柔らかな日の光がさしていた。目覚ましがわりの、七時にセットした音楽が……一年前にお日さまの向こうに旅立った、クラリスの弾く『月の光』が、春の朝には少し不似合いに、とても穏やかに流れていた。
(完)