50. 落ちる影
「テスティアお姉様……? どうしてここに?」
先に声を上げたのはアンシアだった。
彼女も、私がウーテア山に向かったことは知っている。予定よりも早くに帰って来たことを驚いているのだろう。
「それはこちらのセリフよ、アンシア。森の中枢に部外者を立ち入らせるなんて……お父様はご存知なの?」
全身に走る緊張を隠すように、私が言う。
アンシアは、金色の巻き髪を靡かせながら「ふん」と鼻を鳴らし、
「何を偉そうに。ここはもうじき、わたくしとディオニス様のものになるのよ? この森が抱える問題を、今まさにディオニス様が解決しようとしてくださっているのだから、邪魔しないでくださる?」
「問題……? 一体、何のこと?」
「あはっ。獣たちと仲がよろしいクセに、近ごろ巷を騒がせている事件の数々をご存知ないの? 人食いオオカミに人食いグマ……凶暴化する動物がこうも増えているのはこの樹のせいであると、ディオニス様が原因を突き止めてくださったのよ」
それを聞き、私は奥歯を噛み締める。
自分が起こした問題を大樹のせいにするなんて……そうして嘘に嘘を重ねて、大樹の破壊を正当化しようとしているんだ。
「聞いて、アンシア。あなたは騙されている。動物たちの事件は、すべてディオニスが引き起こしたもの……自分の予見は当たるのだと世間に思い込ませるための策略だったの。その大樹とは何の関係もない」
「はぁ? ディオニス様がどうやって獣を操ったというの? お姉様じゃあるまいし……そうでしょう? ディオニス様」
アンシアに腕を組まれ、ディオニスはこちらを見据え……ようやく口を開いた。
「その通りだ、アンシア。噂によると、テスティアが行く先々で獣による事件が起きたらしい。彼女の方こそ、獣たちを能力で誘導し、あたかも自分が解決したように見せかけ、人々からの信頼を得ようとしたのだろう……まったく、可哀想な女だよ」
「貴様……」
隣で、ウェイドが怒りに満ちた声を上げる。剣の柄に手をかけようとする彼に、私は声を潜めて尋ねる。
「ウェイド、ディオニスの後ろにいるあの男……もしかして……」
「あぁ、間違いない。落石を起こそうとしていた男だ」
やはり……と、私はその人物を見つめる。
背が高く、ウェイド以上に筋肉質な男だ。手には大きな斧を持っている。大樹を斬り倒すために用意したのだろう。
「お前たちがここへ戻ったということは、『星詠みの儀』を終えたのだな?」
ディオニスが、余裕たっぷりに言う。
「どうだった? ラージウィング家の跡取り。その女の運命は、僕が言った通りだっただろう?」
「黙れ。ベルジック家の破滅は、お前の所業により齎されるもの。彼女のせいではない」
「いいや、その女のせいだ。そいつの妨害さえなければ、僕はこの国一番の<星詠みの眼>になれる……あの『降眼の声』は、そういうお告げだったんだ。ま、"眼無し"の君にはわからないだろうがね」
「お前は予見の本質を誤解している。未来は、現在をどう生きるかでいくらでも変わる。『星詠みの儀』で見たお前の運命は、変わらず『破滅』を示していた。お前が裏工作をすればするほど、破滅の未来が確定していく……自らの首を絞めているのはお前だ、ディオニス」
「フンッ、"眼無し"のくせに説教か? なら聞くが……その女の運命に変化はあったのかよ?」
ディオニスは、口の端をニヤリと吊り上げ、
「『竜に唆され、竜の妻となる』……その未来にも、変わりはなかっただろう?」
そう、勝ち誇ったように言う。
言葉を詰まらせるウェイドに、ディオニスは高笑いし、
「僕が受けた予見では、竜はまさにこの場所に現れるんだ。不吉を齎す邪悪な竜……それが、この樹から現れるのを見た。だからこうして――樹を斬り倒しに来たのさ」
言って、ディオニスは斧を持つ男に合図する。
男は頷き、大樹へと近付く。
「やめて!!」
私は止めようと、すぐに駆け出す……が。
「おっと。コイツがどうなってもいいのか?」
と、ディオニスが、鞄の中から何かを取り出した。
それは……一羽の子ウサギ。
耳を掴まれ、乱暴に持ち上げられている。
「それ以上近付けば、こいつの首を刎ねるぞ。心優しい<精霊獣使い>なら、見殺しにはできないよなぁ?」
醜く歪む、ディオニスの笑み。
子ウサギの怯えた声が聞こえ、私は怒りに震えながら足を止める。
「あっはは! たかがウサギ一匹で言うことを聞くなんて、お姉様ったら本当に面白い!」
「今晩のメインディッシュにするために捕まえておいたが、まさかこんな形で役立つとはな。そこで大人しく見ているがいい。この僕が、諸悪の根源を断つ瞬間をな!」
ディオニスが叫ぶと同時に、男が斧を振りかぶった。
今すぐにでも駆け出して止めたい。けれど、子ウサギを人質に取られ、それが叶わない。
ウェイドも同じ。悔しげに歯を食いしばりながら、ディオニスを睨み付けている。
(どうしよう……どうにかして止めないと、大樹が斬られてしまう……!!)
私の額に汗が流れた……その時。
『この卑怯者っ! そのコを離しなさーいっ!!』
ピノが、ディオニスに向かって飛んで行った。
バサバサと羽ばたきながら、ディオニスの頭を懸命につつく。
「くっ……このッ……クソ鳥がァッ!!」
――バシッ!
ディオニスにはたき落とされ……ピノが、地面に叩きつけられた。
私の全身から、一気に血の気が引く。
「――ッ! ピノ!!」
すぐに駆け寄り、手のひらに掬い上げる。
心臓は動いているが、意識を失っていた。何度呼びかけても目覚める様子はない。
「ピノ! しっかりして! ピノ!!」
「チッ……動くなと言っただろ?! それ以上近付いたら、今度こそ……!!」
……と、ディオニスが子ウサギを掲げた――刹那。
突然、視界が暗くなった。
分厚い雲に日光が遮られたように、私たちの足下に影が落ちる。
「…………え……?」
不思議に思い、大樹を見上げる。
すると、そこには――
――見たことのない巨大な生物が、その太い幹に張り付き、こちらを見下ろしていた。




