49. 邪悪な瞳
――ネイファさんが手配した馬は、身体の大きな白馬だった。
ウーテア山周辺に生息する、フウガハクバだ。通常の馬よりひと回り大きく、雪道に適した太い脚を持つ。
馬車でのんびり向かう時間はない。脚力のあるこの馬に乗って、最速で戻る必要があった。
「テスティア、手を」
馬に跨ったウェイドが、手を差し出す。
私はその手を取り、彼の後ろに乗った。
ピノは、私の上着の内ポケットにいる。アンテローズの森と大樹のことを案じているのか、小さく震えていた。
「道中、どうかお気をつけて」
私たちを見上げ、ネイファさんが言う。
「正義はテスティア様のもとにあります。ベルジック家の破滅は当然の結末……恐れずに、為すべきことを為してください」
「ネイファさん……ありがとうございます」
「王都への通達は頼んだぞ」
その短い言葉を最後に、ウェイドは馬を走らせた。
私は頭を下げ、ネイファさんと別れた。
――先ほど馬車で来た道を、風のような速さで駆けてゆく。
馬の重厚な足音を全身に感じながら、私は考える。
そもそもディオニスが私に婚約を持ちかけてきたのも、大樹の中に眠る竜華結晶が目的だったのだろう。
私と結婚し、アスティラルダ家の当主となって、アンテローズの森の管理権を手に入れようとしたのだ。
しかし、そんな折、私がディオニスの一族を破滅させるという内容の『降眼の声』を受けた。
その運命を回避するため、ディオニスは私の従姉妹であるアンシアとの婚約に乗り換え、私とお父様を追い出そうとした……
(何もかもが自分のため……予見に必要な竜華結晶を手に入れ、<星詠みの眼>として成り上がるための策略だったんだ)
その悪意に気付かず、彼との婚約を呑気に喜んでいた自分に腹が立つ。
でも……お父様を裏切り、動物たちを傷付けたディオニスには、もっと腹が立っていた。
怒りと焦燥感から、ウェイドの服を掴む手にぎゅっと力が入る。
すると、無言で馬を走らせていたウェイドが前を向いたまま、
「……大丈夫だ。絶対に間に合う」
そう、力強く言ってくれた。
その言葉に、張り詰めていた緊張が緩みそうになり……じわりと涙が込み上げてくる。
しかし、それを溢さぬよう、ぐっと堪えて、
「ありがとうございます……ウェイドがいてくれて、本当に心強いです」
そう、前向きな声で答えた。
そして……私は、先ほど浮かんだ疑問を思い出す。
「そういえば……ウェイドは、どうして大樹のことを知っていたのですか? 近くに行ったことがあるみたいだったけれど……」
アンテローズの森は、アスティラルダ家が管理する土地。立ち入るには、原則としてうちの許可がいるはずなのだけれど……
私の問いに、ウェイドは暫し沈黙した後、
「……この件が片付いたら話す。君に伝えたいことが、他にもあるからな」
私に、伝えたいこと……?
それが何なのか、とても気になるけれど……
ウェイドがこう言うからには、きっとすべてを解決した後に聞くべきことなのだろう。
私は「わかりました」と答え、森と大樹の無事を祈りながら――
ウェイドの背中にそっと、額を押し付けた。
* * * *
旅の足跡を遡るように、私たちは西へ向かった。
途中、馬のために休息を挟んだけれど、それ以外はほとんど止まらずに走り続け――
日が暮れる前に、アスティラルダ家の屋敷へと帰り着いた。
「ここまでありがとう。後で必ずウーテア山へ送るから、今はここで休んでいて」
走り続けてくれたフウガハクバを庭に残し、私とウェイドは森の入口へと駆けた。
お父様の安否が気になったけれど、見た限り屋敷に異変はなさそうだった。
問題は、森の中だ。
ディオニスを先回りすることができたなら良いけれど……
……と、森に足を踏み入れたところで、
『――テス。誰かいるわ。大樹に近付いている』
ピノが私の懐から飛び出し、羽ばたきながら言った。
私が「え……?」と聞き返すのと同時に……生い茂る木々の先に、二頭の馬がいるのが見えた。
いずれも、背に鞍を着けている。野生でないことは明らかだった。
(まさか、ディオニスがもう……?!)
駆ける速度を加速させた……その時。
けたたましい鳴き声を上げながら、森中の鳥たちが一斉に空へ飛んで行った。
地上ではイタチやウサギ、リスやキツネたちが一斉に駆けて来る。
まるで、大樹の方角から逃げるように。
胸騒ぎに駆られながら、一心に走り続けると……
木々に覆われた視界が晴れ、広い場所に出た。
アンテローズの森の中心――パルエレミア様の大樹がある場所だ。
そこに、三人の人間がいた。
一人は、見知らぬ男。
一人は、従姉妹のアンシア。
そして、もう一人は……
私の婚約者にして、すべての事件の黒幕。
「…………ディオニス」
私が名を呼ぶと、彼は振り返り……
邪悪さの滲む目を細め、ニヤリと笑った。




