29. 君の鼓動
夜鳥の声が響く、森の中――
私はログハウスの外に座り、空を見上げた。
木々の隙間から、細い月が覗いている。
砂金みたいな星々が、暗い葉を飾るように煌めいていた。
あの後、私とウェイドはログハウスの中を掃除し、携帯食料のビスケットで夕食を済ませた。
日が暮れて、森の中は真っ暗になった。ウェイドのランタンと、ログハウスに残されていた燭台、小枝を集めて燃やした焚き火の灯りを頼りに、私とウェイドは交代で見張りをすることにした。
先にウェイドが見張りをし、私を休ませてくれた。
マットだけが残された簡易ベッドに、ウェイドが上着を敷いてくれたので、私はその上で横になった。
彼の匂いに包まれてドキドキしたけれど……疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
数時間後、ピノに起こしてもらい、外で見張りをしていたウェイドと交代した。
「まだ平気だ、もう少し寝ていろ」と言われたけれど、「二日連続で徹夜なんて絶対に駄目です!」と言い返し、無理やりログハウスの中へ押し込んだ。
すると、ウェイドがすぐに戻って来て……
ベッドに敷いていたはずの上着を、私にバサッと被せた。
驚いて振り返るも、彼は無言でログハウスの中へ消えてしまった。寒いから着ていろ、ということらしい。
(もう……無愛想なのに優しいって何なの?! もっとジーク様みたいに無関心でいてくれなきゃ、調子狂っちゃうよ……!)
肩に羽織った彼の上着をきゅっと握り、私は一人悶えた。
――夜もだいぶ更けたけれど、今のところ犯人出没の報せは入っていない。
このまま何もないといいけれど……かと言って、犯人が現れるまでずっとここで見張り続けるのは大変だ。食料にも限りがある。
(朝になったら一旦次の街に行って、お役人さんに協力を仰ごうかな……私の我儘にウェイドを付き合わせ続けるのは申し訳ないし)
……そう。私たちの目的は、あくまでウーテア山に行って『星詠みの儀』をおこなうこと。
真っ直ぐに向かえば五日で辿り着くはずの道程を、既に数日伸ばしてもらっている。
アンブルウルフたちの無念は晴らしたいし、イワウラツバメたちの巣を護りたい気持ちはあるけれど……だからといって、これ以上ウェイドに迷惑はかけられない。
(こんな時、ジーク様なら「目的地への到達が最優先事項。それ以外のことは憂慮する価値もない」とかって言いそうなのに……ウェイドは文句も言わず寄り道を許してくれるんだもん。余計に申し訳なくなっちゃうよ)
はぁ……とため息をついて、私は持っていた『アイテール幻想記』を開く。
家にいる時は毎日欠かさず読んでいたのに、この旅に出てからはゆっくり読む暇もなかった。
見張りの交代まで、まだ時間がある。久しぶりに、ジーク様のご活躍をじっくり拝むとしよう。
私は焚き火の灯りを頼りに、『アイテール幻想記』を読み始めた。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
――鍛え抜かれた長身に、艶やかな黒の短髪。そして、揺るがぬ意志を抱いた琥珀色の瞳……
落下したカトリーナを受け止めたのは、ジーク公爵だった。
「ジーク様……どうしてここに……?」
驚き、目を見開くカトリーナ。
彼女の身体を抱き留めるジークの腕は逞しく、彼の信念と同様、揺るぎない安心感があった。
カトリーナの鼓動が加速する。
ジークとこれほどまでに接近するのは初めてで――彼を異性として意識することも、これが初めてだった。
そんな彼女の瞳を、ジークは真っ直ぐに見下ろし……低い声音で、こう言った。
「君の行動パターンが単純すぎるだけだ。それに、『竜の秘宝』の鍵となる君を失うわけにはいかない。これに懲りたら、今後は単独行動を慎むことだ」
その声は、酷く淡々とした、そっけないものだった。
だから、カトリーナは困惑する。これは彼女の身を案じての忠告なのか、それとも、勝手に危ない目に遭って迷惑だと言われているのか……
真意を見抜こうと琥珀色の瞳を見つめるが、ジークの感情は読めない。
厚い胸板から伝わる心音は、カトリーナとは対照的に、少しも乱れることなく鼓動していた。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
(――心音……)
お気に入りのジーク様エピソードを読み終え、私はふと思い出す。
昨晩、ウェイドに抱き寄せられた時に感じた、彼の鼓動……私に負けないくらいに速かった。
あれは……どうしてなのだろう?
「………………」
い……いや、彼に限って緊張していたはずはないし……
元々、脈が速い体質なのかもしれないし。うん。
なんて、思い出すとまたドキドキしてきてしまって。
私は、『アイテール幻想記』をパタンと閉じた。
すると、私の肩で眠っていたピノが『んあ』と起きた。
『テス……本はもうおしまい?』
「ごめん、ピノ。起こしちゃったね」
『ううん、そろそろ起きようと思っていたところ。ちょうど交代の時間よ』
ピノに言われ、もうそんなに経っていたかと驚く。
鳥の体内時計は、太陽や月と連動しているみたいに正確だ。ピノがそう言うのなら、ウェイドと約束した交代の時間なのだろう。
「そっか、ありがとう。それじゃあ、ウェイドを起こさなくちゃ」
私は立ち上がり、ログハウスのドアを静かに開けた。
テーブルの上の燭台と、ベッドの横のランタンが、室内をぼんやりと照らしている。
壁際に置かれたベッドの上。
ウェイドは、横を向いて眠っていた。
起こすのが忍びなくて、私はそっと彼に近付く。
そして、少し屈んで、彼の寝顔を見つめた。
こうして見ると、本当に綺麗な顔立ちだ。まるで、良くできた彫刻みたい。
友達はいないって言っていたけれど……彼との婚約を望むご令嬢は、たくさんいるんだろうな。
……よほど疲れていたのだろう。よく眠っている。
もしかすると、今なら……ウェイドの平常時の脈の速さを計れるかもしれない。
――ごくっ、と喉を鳴らし。
私は、彼の手首に手を伸ばして……
二本の指を当て、脈を計った。
(起きませんように……起きませんように……)
そう祈りながら計測した、彼の脈動は……
メイプルグマみたいに緩やかで、穏やかなリズムだった。
(あ……あれ? これが、彼の普段の脈拍……? それじゃあ、昨夜のあの速さは……)
……と、私が混乱し始めた、その時。
「――何をしている」
突然、ウェイドが目を開け、そう言った。
私は「ひっ」と声を上げ、慌てて手を引っ込める。
「す、すすす、すみません! その……交代の時間です!」
「随分と熱心に手首を掴んでいたようだが……何か用でもあったのか?」
まさか……起きていたの?!
「いえっ、これは、えぇと……か、身体の大きな動物ほど、心臓のリズムってゆっくりなんです! だから、私より大きなウェイドもそうなのかなぁって気になって……勝手に触ってごめんなさい!!」
などと、咄嗟に思いついた言い訳を口にするが……それはそれで変な女だと思われたに違いない。
引っ込めた手をぎゅっと握り、激しく後悔していると……彼が、ゆっくりと起き上がり、
「……それなら、俺も聞いたことがある。生き物の鼓動の速さは、身体の大きさに比例するのだと」
そう、静かな声音で言うと……
そのまま、こちらに手を差し伸べて。
私の首筋に、そっと触れた。
温かな指の感触に、ピクッと身体が震える。
彼は、しばらく首筋に指を当てると……
ふっと、小さく笑みを溢し、
「……本当だ。君の鼓動は……リスのように速いな」
と……
とろけるように優しく、囁いた。
その笑みを見た瞬間。
私の心臓が、一際大きく脈打った。
いつも無表情なのに、こんな風に笑うなんて……
寝ぼけている? それとも……
これが、ウェイドの本当の顔?
「………………っ」
胸が高鳴って、どうしようもなくて……
それすらもきっと、触れた指から伝わってしまっていて。
(やっぱり、私……ウェイドのジーク様らしくない言動に、ドキドキさせられている……)
私は、何も言えないまま。
ただ、彼の瞳を見つめ返した――その時。
『――来た、来た。怪しいニンゲン。怪しいニンゲン!』
その思考を遮るように。
一羽のゲッコウミミズクが、ログハウスに飛び込んで来た。




