はじまりの手紙(ウェイド視点①)
――幼い頃。
俺の眠りは、姉の悲鳴に妨げられることが多かった。
隣の部屋から聞こえる姉・ソフィアの泣き叫ぶ声。
慌てて駆けつける両親の足音。
そして……開いたドアの隙間から、微かに漏れる啜り泣き。
「明日、モーデンさんが死ぬの……川岸で足を滑らせて……そのまま溺れて……っ」
姉の泣きじゃくる声に、俺は悟る。
また、知らない人の予見……夢の中で、『降眼の声』を受けたのだろう。
姉は、『降眼の声』を過剰に受ける体質だった。
頻度としては、ほぼ毎晩。
予見する対象を決めた上でおこなう『星詠みの儀』と違い、『降眼の声』による予見内容は完全に無作為だ。
知人に纏わるものもあれば、面識のない、どこに住んでいるのかもわからない他人の未来を見ることもある。
幸福な内容の予見であればいいが、中には残酷で恐怖に満ちた予見もある。
……ちょうど今夜、姉が見た予見のように。
廊下から姉の様子を窺った俺は、自分の部屋へ戻り、ベッドに潜り込む。
二つ上のソフィアは今、八歳。
こうして予見にうなされるのは、俺の物心がついてからずっと続いている。
……もし、神や運命の主などと呼ばれる存在が本当にいるのなら、それは実に不公平な奴だ。
ソフィアには過剰に『降眼の声』を与え、苦しめ……
俺には一切与えずに、苦しめるのだから。
――<星詠みの眼>の一族の脳裏に不意に降りてくるという『降眼の声』。
頻度は人それぞれだが、少なくともひと月に一度は受けるものだという。
俺は<星詠みの眼>の中で最も由緒正しい王付きの一族・ラージウィング家の長男として生まれた。
しかし……
六歳になってもなお、俺はその運命の主からの声を、一度も受けたことがなかった。
『降眼の声』を受ける才のない者は、血族の間でこう呼ばれる。
未来を見通す眼を持たざる者――"眼無し"。
他の<星詠み>たちから侮蔑と哀れみの目を向けられながら、俺は育った。
しかし、両親だけは決して俺を卑下しなかった。
「ウェイド。確かにお前は<星詠みの眼>の家に生まれたが……星を詠むことだけがお前のすべてではない。お前の価値は、お前自身が決めろ」
父は、幼い俺にそう言い聞かせた。
きっと、『降眼の声』に苦しむソフィアを見てきたからだろう。父も母も、俺やソフィアを<星詠みの眼>として一人前に育てることには固執していなかった。
しかし、だからこそ俺は、父や母の役に立ちたかった。
両親と先祖たちが繋いできた、このラージウィング家の名誉を護りたかった。
『降眼の声』に苦しむソフィアが、<星詠み>として生きなくて良いよう……俺が跡取りとして立身したいと考えていた。
そのために俺は、父に頼み、『星詠みの儀』の作法を学んだ。
竜華結晶と呼ばれる鉱石に囲まれた、特別な祭壇――『星詠みの儀』は、そこでおこなわれる。
竜華結晶は、古の時代に存在した竜の血液が凝固してできた鉱石らしい。
<星詠みの眼>の予見能力は、この竜華結晶の力を借りることで増幅する。
"眼無し"の俺でも、『星詠みの儀』でならば、未来を詠むことができた。
『星詠みの儀』に初めて参加した時、俺の頭には、いくつかのはっきりしない像が浮かんだ。
具体的な情景ではない。何かに対する印象そのものが、ぼんやりと脳に降ってくるような……
それこそが、初めて経験する予見の感覚だった。
「森の向こう……青空……小さな石……荷馬車……川を流れるりんご……それから…………あれは、何だ……?」
脳裏に浮かんだものを順番に口にするが、一つだけ、どうしてもわからないものがあった。
俺はそれについて、拙い言葉で父に説明した。
すると父は、多くを語らないまま俺を馬に乗せ、街の外に連れ出した。
森を超え辿り着いたのは――大河を堰き止めるための水門だ。
実際に目にするのは初めてだが、俺の脳裏に浮かんだ最後の一つは、間違いなくこれだった。
幼く見識の狭かった俺は、水門というものの存在を知らず、上手く言葉にできなかったのだ。
「すごい……父さん、どうしてわかったんだ?」
俺の後ろで馬の手綱を引く父に尋ねた、その時。
水門の上に架かる石橋の上を、一台の荷馬車が通った。
ガタゴトと回る車輪が、小さな石を踏み……その衝撃で、車輪が外れた。
馬車はバランスを崩して倒れ、荷台の中のりんごがゴロゴロと転がり……
水門の開いた川へ落ち、流れていった。
その光景に、俺は目を見開く。
俺が儀式で見た予見は、この小さな事故を示唆したものだった。
国の未来を見るような、重大な予見とは程遠いが……
この初めての予見から、俺は多くのことを学んだ。
予見は、抽象的な印象のまま脳裏に降ってくる。
しかし、それが何なのかを知らなければ、言語化することすらできない。
まずは、人・もの・場所に纏わる広い知識を。
そして、それらを紡いで『予見』にするための豊かな語彙力を身に付けなければ、優秀な<星詠み>にはなれない。
そう、悟ったのだ。
それ以来、俺は知識と教養を身に付けることに精を出した。
同時に、父の知人に頼み、剣術を学び始めた。
"眼無し"であっても家の名に恥じない<星詠み>になるため。
そして、国や大切な人を護れる<星詠み>になるため、俺は頭と身体を徹底的に鍛えた。
そんな生活を続け――俺が九歳になった頃。
父に、こんな誘いを受けた。
「<精霊獣使い>の一族であるアスティラルダ伯爵から手紙が届いた。なんでも一人娘のお嬢さんが母親を亡くして以来こもりがちだそうで、同じ年頃の友人を探してやりたいのだそうだ。ウェイド、お前も日々の鍛錬で疲れているだろう。たまには息抜きとして、森に遊びに行ってはどうだ?」
正直、毛ほども興味はなかった。
友人も、森での遊びも、俺を強くしてくれるわけではない。最短で最高の<星詠み>になるのに不要なものだ。
しかし、<精霊獣使い>といえば、このフィンブルグ王国で<星詠みの眼>と並び称される特別な力を持つ血族だ。
父としては、これを機にアスティラルダ家との繋がりを持っておきたいのかもしれない。
その助けになるのなら……一度くらいは、子供付き合いをしてやっても構わない。
「……わかりました。その娘の名は?」
俺が尋ねると、父は手紙に目を落とし……
「――テスティアだ。テスティア・アイリス・アスティラルダ。もうすぐ六歳になるそうだ」
そう、答えた。




