10. 名前を呼んで
『ちょっと! 離しなさいよ!』とピノに暴れられ、私は我に返る。
なんか、勢いに任せて大胆なことを言ってしまったかも。
仮にも伯爵家の娘なのに、こんな好戦的なセリフ……これじゃあ本当にただの野蛮娘だ。
(でも……ウェイド様がディオニスに見下されているのは、なんだか許せないんだもん!)
なんて、誰に宛てたものかもわからない言い訳をしていると……
「…………ふ」
ウェイド様が、小さく笑った気がした。
しかし、それは一瞬で……
彼は腕を組み直すと、いつもの無表情に戻り、淡々と言う。
「俺は自分の能力を客観的に把握している。儀式による予見の解釈において、俺以上に正確に言語化できる者はいないだろう。『降眼の声』が得られないことなど問題にならないくらいには、俺は<星詠みの眼>として優秀な人材だ」
「えっ……」
「そのため、ディオニスに"眼無し"と言われたくらいでは何も感じない。俺が"眼無し"であることは、単なる事実だからな。奴に『目にもの見せてやろう』という気概は、はっきり言って持ち合わせていない」
う……
うわぁああっ、恥ずかしいっ!!
「ディオニスをぎゃふんと言わせてやろう」だなんて幼稚な考えを抱いているのは私だけだった!
でも……
(この自信家で余裕たっぷりなところも、ジーク様っぽくて、イイ!!)
打ちのめされつつ悶える私をよそに、ウェイド様の冷静なお言葉は続く。
「俺としては、あくまで王付きの<星詠み>という立場を脅かしかねない相手だから牽制したいだけだ。しかし……」
……と、そこで。
ウェイド様は、私の瞳を真っ直ぐに見つめ、
「――あのような形で婚約破棄を宣言し、君の誕生日を台無しにしたことには……腹が立っている」
スッと目を細め、そんなことを口にした。
私は、耳を疑う。そして、目も疑う。
だって、ウェイド様の表情……
(もしかして……私のために、本気で怒ってくれている……?)
怒りを孕んだ瞳を、ドキドキしながら見つめ返すと……
ウェイド様は、その目をぱっと逸らし、
「……要するに、俺のプライドを気にかける暇があるのなら、君はもっと自分のプライドを大切にすべきだ。君は決して、あのような扱いを受けていい人間ではない」
と、いつもより歯切れの悪い口振りで、そう言った。
それは、薄っぺらいお世辞なんかじゃない。
ウェイド様の、本心からの言葉。
そのことが感じられるからこそ、私は困惑する。
(それって……私のことを、価値のある人間だと思ってくれているってこと? なんで? 精霊獣のいない現代では、私の能力は無価値で、ただ気味悪がられるだけなのに……)
……どうしよう。
戸惑いと嬉しさとで、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
何より……
(こんな言葉をかけられると思わなかったから、どんな顔をすればいいのかわからないっ……だって、ジーク様はこんなこと絶対に言わないもん! 解釈違いにも程がある!!)
他人からの優しさに耐性がなさすぎて、謎に逆ギレしてしまう私だった。
……でも。
心も頭もぐちゃぐちゃだけれど。
今、何と言うべきかは、わかる。
私は、俯きたくなるのを懸命に堪え、
「……ありがとうございます、ウェイド様」
ちゃんと目を見て、心からの感謝を伝えた。
笑顔を向ける余裕なんてなかった。
瞳も唇も震えっぱなし。
そんな私の顔を、ウェイド様はしばらく見つめて……
「……何故、『様』をつける?」
「へっ?」
「俺に『様』をつける必要はない。普通に名前で呼べ」
「うぇえっ?! でも、さすがに呼び捨ては……!」
「構わない。『様』がない分、時短になって良い」
「時短?!」
あまりに畏れ多いけれど……ウェイド様が時短をご所望ならば……
「じゃ、じゃあ…………う、ウェイド。私のことも、『テスティア』とお呼びください」
恐る恐る、そう言ってみる。
ウェイド様は、表情を変えないまま、
「――テスティア」
低い声で、確かめるように、私の名を呼んだ。
その瞬間、心臓がトクンと跳ねる。
言われて、ようやく気がついた。
今までずっと『君』って呼ばれていたから……
ちゃんと名前を呼ばれたのは、これが初めてだ。
それだけのことなのに、なんだか頬が熱くなって。
半ば無意識に、手に力を込めた……その時、
『ぴぎゃっ! もう……いい加減にして!!』
手の中にいたピノが、逃げるように飛び出した。
いけない。もふもふで落ち着くから、つい握り締めたままだった。
「ご、ごめん、ピノ」
私が謝ると、ピノは小さな羽をパタパタと羽ばたかせ……
ウェイドの肩に、ちょんと留まった。
『ま、顔は怖いケド悪いヤツじゃなさそうね。うちのテスのこと、しっかり護るのよ。アタシのことは特別に「ピノ」って呼んでもいいわ』
なんて、上から目線に言った。
ウェイドからすれば、「ピチュチュ」という囀りにしか聞こえないだろう。
しかしウェイドは、不思議とピノの意図を汲み取れたのか……
低い声で一言、こう言った。
「よろしくな、鳥」
『だぁかぁらぁ、「ピノ」って呼びなさいってば!!』
ピノの怒りのツッコミは、「ピチューっ!」という鳴き声になって響いた。




