奇妙な依頼
ルナはI.B.事実上の崩壊後、表面上は平穏な日々が続いている。
しかしそんな中でも復活の兆候を見逃すまいと目を光らせている存在があった。
その彼らがなぜか突然、医務局への招集を受けた。
目的階へ降下を続けるエレベーターの中、黄暁龍大尉ことNo.18は、腕を組みひたすら首をひねっていた。
「どういうことだ? この間の不具合の調整なら終わったはずなんだが……」
お前が一緒だということは、招集理由は他にありそうだな、とでも言うような視線を受けて、楊香中尉ことNo.17は珍しく真面目だ。
「たしかに妙ね。それとも私達のシステム全体に大規模なバグでも見つかったのかしら」
「だが、それなら直接テラから個々に連絡が来るはずだ」
「つまりは、私達に関する伝達じゃないってこと?」
わけがわからない、とでも言うように楊香は腕組みする。
そうこうするうちに、静かな振動と共にエレベーターは停止する。
どうやら目的地に着いたようだ。
二人が手をかざすと扉は音もなく開き、目の前には真っ白な空間が広がる。
それを目にするなり、暁龍はまるでテラに来たみたいだな、とうそぶいた。
その空間を進むことしばし、突き当りの扉の前で二人は足を止める。
そして、暁龍はインターホンを鳴らした。
「アダムス博士、お呼びでしょうか?」
呼びかけに応じるように、白い扉は静かに開く。
両者の姿を認めたキャスリンは、彼らに対して座るよう促した。
「突然呼び出してごめんなさい。あれからI.B.の動向は?」
机の上には、今ルナで流行りの菓子が置かれている。
これはキャスリンがジャック同様、二人を『ヒト』として扱っていることの証だろう。
ポットからコーヒーを注ぎ分けると、キャスリンは二人の前にそれを置く。
暁龍がお構い無く、と言うよりも早く、楊香は既に菓子へ手を伸ばしていた。
その様子に小さく舌打ちをすると、暁龍はキャスリンに向き直る。
「表面上は沈黙を保っています。上も、このまま自然消滅するのでは、と楽観視しているようです。ですが……」
首魁サードの直弟子と言って良い通称Ꭰが、まだ確保されていない。
あいつがいる限り、I.B.は消えないと思う。
そう言う暁龍にうなずいて見せてから、楊香は言葉を継いだ。
「実際、時折何者かが中枢システムに不正アクセスを試みているフシがあります。私達は残党の仕業だと思っていますが」
言い終えると楊香は菓子とコーヒーを口にして至福の笑みを浮かべる。
暁龍はやれやれとでも言うような視線をそちらに向けてから、キャスリンに問うた。
「で、御用の向きは何でしょうか? まさか茶話会に招待したかった訳でもないでしょう」
言いながら暁龍はキャスリンへ眼鏡越しに鋭い視線を向ける。
どうやら小細工は通用しないと観念したのだろうか、彼女は両者の前にあるものを示した。
言うまでもない、アリスの写真である。
「画像が粗くてごめんなさい。テレビ通話のスクリーンショットをトリミングしたの」
でもあなた達なら補正できるでしょう、と言うキャスリンにうなずいてから、暁龍は写真を凝視する。
「まあそれなりには。……ところでこちらはどなたです?」
言いながら暁龍は楊香をかえりみる。
当の楊香は菓子を頬張りながらしばしそれを眺めていたが、飲み込むなり口を開いた。
「少なくとも、今ルナでの指名手配犯と届出済み行方不明者、そして行旅死亡者に該当する人物はいないみたいですね。でも……」
あの僅かな時間で、楊香はそれだけのデータ照合をやってのけたらしい。
けれど、驚くのはまだ早かった。
「目元と耳の形がNo.5少佐殿に似ているように見えますが、血縁の方ですか?」
概ね彼女の見立てに同意を示し、暁龍はキャスリンに視線を向ける。
当のキャスリンはものの数十秒で正解にたどり着いた楊香に、感心しているようだった。
「……見事ね。そう、彼女はアリシア・ショーン。エドのお嬢さんよ」
その言葉を受けて、カップに伸びかけた暁龍の手が止まる。
心なしか眼鏡越しの視線が鋭さを増したようだった。
「少佐殿の、ですか? ……今は確か、母親と共にルナ在住とか」
彼女が一体どうしたんです、と首を傾げる両者ではあったが、キャスリンから事の顛末を聞かされるとどちらからともなく顔を見合わせていた。
言い難い沈黙が続くこと、しばし。
それを破ったのは暁龍だった。
「それで……具体的に、我々はどうすればいいんでしょうか?」
その言葉を受けてうなずきながら、楊香が続ける。
「正式な命令ではないですよね。上からは、何も……」
最もな反応である。
困惑しているような両者の前で、キャスリンはわずかに肩をすくめた。
「ええ。だからこれは、私とᒍからの個人的なお願いね。街で似た人を見かけたら教えてほしいの」
「……教える、だけでよろしいんですか?」
その話が本当ならば、彼女を手がかりにI.B.を本格的に潰すことができるかもしれない。
暁龍はそう言ったが、キャスリンは複雑な表情を浮かべている。
「確かにそうかもしれない。でも、そうすると……」
「ショーン未亡人と少佐殿が悲しみますね」
楊香の言葉に、なるほど、と暁龍はうなずいた。
どうやらその点はキャスリンも同意見らしい。
しかし、それ以外にも理由があるようだった。
「そうね。それに、いかにあなた達でも、単独でI.B.に対峙するのは危険すぎる。だから、無理だけはしないでほしいの」
心底不安げに言うキャスリンを、暁龍は無表情に見つめていたが、ようやく無感動に口を開く。
「確かに我々でも、丸腰で武装集団に殴り込みをかけるのは無謀以外の何物でもありませんね」
では、早急に実行に移します。
そう言うと、暁龍はようやく冷めかけたコーヒーを口許へ運んだ。




