別れ
薄暗い廊下でジャックを待っていたのは、覇王樹主任研究員だった。
しかし、その顔にはいつもの斜に構えたような笑みは無い。
いつになく深刻な口調で、彼はジャックに告げた。
「もう使い物にならないから、左腕の肘下は切除しておいた」
本人と話す? と問われて、ジャックはためらいながらもうなずく。
了解、と短く答えると、王樹は先に立って歩き出す。
やがて、無機質に並ぶ扉の前で足を止めると、その内の一つをノックした。
「……エド、起きてるかい?」
その声に応じるかのように、扉は音もなく開いた。
やはり薄暗い照明に浮かび上がるのは、ベッドに半身を起こしてこちらをうかがう男性の姿だった。
その身体は、無数のコードでベッドの傍らに置かれた機器に繋がれている。
ジャックは重い足取りでそちらに向かうと、それらが示している数値を一通り確認する。
そして、現状を本人に説明しようと向き直ったとき、男性は右手を軽く上げてそれを遮った。
「聞かなくてもわかるよ。……あまり良い状態じゃ無いんだろう?」
そう言って微かに笑う男性。
その顔を正視することができず、ジャックは深く頭を垂れる。
「済まない、エド……。自分があの時、ニックを止めていれば……」
「君が謝ることじゃないよ。……それよりも」
一旦言葉を切り、エド……かつてエドワード・ショーンとしてこの世に生を受け、現在はDollのNo.5と呼ばれる存在は、ジャックの顔をのぞき込む。
「一体何が起きているんだい? 簡単に覇研究員から話は聞いたけれど……」
ルナの惑連及び軍、政府、そして警察。
三カ所のシステムが同時に落ちようとしているなどということは、通常起こり得るはずもない。
それが起きたとなると、何らかの人為的な手が加わったという事になる。
真実を語るべきか。
そして、どこから説明するべきなのか。
ジャックは迷った。
しかし……。
「お嬢さんのアリスが、君の件で惑連を逆恨みして、I.B.に入っちゃったんだ。で、幹部にそそのかされたみたい」
戸口に立っていた王樹が、これ以上ないくらい簡潔に今まで起きたことをエドワードに告げた。
あまりにもストレートすぎるその物言いに、ジャックは何某か言い返そうとしたが、エドワードは目を伏せ軽く首を左右に振る。
仕方なく王樹を軽く睨みつけてから、ジャックは改めてエドワードに向き直った。
「こちらのシステムがウイルスに侵入されるの恐れがあるから、リモートでは対応できない。現地に赴く必要がある。けれど……」
君の命が、果たしてどこまで保つか。
言いさして、ジャックは口をつぐむ。
重苦しい沈黙が、薄暗い室内を支配する。
その時だった。
エドワードは傍らに立つジャックの二の腕を、ぽんと叩いた。
「……エド?」
驚いてジャックは顔を上げる。
エドワードの顔には、ジャックがよく知る穏やかな微笑が浮かんでいた。
「……どこまでできるかはわからないけれど、可能性があるなら賭けてみるよ。それに……」
少なからず自分に責任があるみたいだからね、とエドワード。
けれど、ジャックは未だに首を縦に振ることができずにいた。
そんな様子に、再び王樹が口を挟む。
「……エドにとって、最後の里帰りのチャンスなんだ。快く送り出してあげようよ」
その言葉に、ジャックははっとしたようにそちらを見る。
しかし、王樹の顔には言葉とは裏腹に苦渋の表情が浮かんでいた。
皆、思いは同じなのだ。
けれど、決断しなければならない。
遂にジャックは、振り絞るようにして言った。
「……ごめん、エド。ルナの人たちを、救ってくれないか……」




