八話
「志之ちゃん、車の用意、できてるからね」
言う事を聞かない私に業を煮やしてか、言い含めるように言った山科さんの眉間には、深い縦皺が刻まれている。
今回はどうあっても私を車に乗せたいらしく、離してもらえそうもなかった。
「奥様って、どうしてああなのかしら。志之ちゃんのことが可愛くないのよ、冷たい女。」
私を助手席に乗せて早々、吐き捨てるような調子で言い募った。
よほど鬱憤をため込んでいたらしい。
山科さんは父の乳母の一人娘で、父の幼少期は率先して遊び相手になっていたのだそうだ。
青春の大事な時期を費やした父に特別な思い入れを持つ山科さんは、私に母を憎ませようとしているらしかった。
まだ分別のつかない幼少の頃は、山科さんの言葉を鵜呑みにして母を反面教師に据えようともがいていたが、高校に上がる頃には彼女の理想に付き合うことに絶望し、関係性が見えてきていたこともあって、すっかり山科さんへの信頼はなくなっていた。
「ねえ、ちゃんと聴いてる?」
「ええ、母さんとの距離感については、もう慣れていますので、気を揉んでいただかなくても大丈夫ですよ」
山科さんと過ごす時間は気が滅入った。
己に甘く、他者や環境に責任を転嫁してばかりの論旨を一方的に聞かされ続けるのは、精神を穢される気がして受け入れがたい。
――不愉快な女だ。
今となっては、彼女の一挙一投足すら気に障る。
「篤之さんはね、なんでも一人で抱えちゃうひとだったから、お世話するのが大変だったのよ」
父が山科さんからの世話に、理屈の上では感謝の意を示しつつも、釈然としていないのは目に明らかだった。
父は自他ともに対して厳しいリゴリストであった為、父のルールを無視し、己の感性で父に干渉する山科さんは、父とは相容れないようだった。
対する母は、物静かで自律的ではあったが、自分の世界に没入しがちで、他者への興味関心自体が薄かった。山科さんの善意の押し売りに辟易していた父は、この希薄な関係に息をつくことが出来たのだろう。
と、私は山科さんの現在を見ながら手前勝手な解釈をしている。
「志之ちゃんのことも、私がちゃんと面倒を見てあげるから、安心してね。」
延々と彼女の口から垂れ流される愚痴に、気のない合槌を打っていると、ようやく学院に到着した。
駐車場に停車すると、なにかを思いついた顔をして、嬉しそうにこちらを見た。
「そうそう、志之ちゃんに相談しなきゃと思ってたの」
これ、見てみて。とスマホの画面をこちらに見せてくる。
20万ほどもするブランド物のバッグが、目前に提示される。
「かわいくない?志之ちゃんにも似あうと思うの」
私が一切関与しない問題に、私を引合いに出すのが彼女の悪い癖だ。
「ねえ、いいかしら」
もう慣れきったやりとりに、私は何も考えずに彼女の望む答えを繰り返す。
「いいんじゃないですか」
「ありがとう!本当に優しい子、大好きよ!」
これをすることによって、父から与えられている私の学費が、目減りすることも私は知っている。
山科さんは勘定ができない人なのだ。
父から預かる私の養育費を、自分の興味関心に使いたがり、私に許可を求めてくる。
もうずっとそうだから、私は抵抗するつもりもない。
抵抗したところで、頷くまで離してもらえないだけだ。
そのために、私は生徒会に入ったのだ。
彼女が浪費する私の学費を、私が補填する。
それが、私が彼女とは違うことへの証明になると信じている。
**
給料が振り込まれない。
預金通帳を確認して悪い予感がした。
生徒会室に駆け込むと、事態を把握しているであろう会長が締まらない顔で謝ってきた。
「ごめん、申請書なくしちゃってさあ」
「は?」
先月の月頭に会長に回した書類だ。会長が押印して、学園に提出するはずだった。
「…でも、学費の納期は変わらないんですよね?」
「うん?そりゃあね。」
「は?」
は?
頭に血が上った私は会長を押しのけて、
申請書を発掘すべく生徒会室を片っ端から掘り返した。
探していた間の事は、あまり覚えていない。
ようやく目的のものを見つけ出したとき、ふと我に返ると、日が暮れていることに気付いた。
私は初めて、授業を欠席した。
「凄かった」
「怖かった」
放心している私に、会長とカズヤさんが怯えた目を向けてくる。
彼女たちもあれからここに残ってはいたようで、遠巻きに見守ってくれていたらしい。
こうして私は、お金への執念を買われて「会計」に任命された。
凛音発足以来、会長に次いでの役付きらしい。
ただただ腹立たしいばかりである。
タケオさんの苦労が偲ばれた。
後ろで、今日は来ていたらしいショウジさんが会長に耳打ちしている。
「会長、マサキさんお金に困ってるんでしょう?お金の管理任せるなんて、危ないんじゃないですか?」
聞えてる。
てめえといっしょにするんじゃねえや。