四話
「志之ちゃん、車の用意、できてるわよ」
早朝、身支度を済ませて自室を出ると、山科さんがめかしこんで待っていた。
「おはようございます、山科さん」
「はい、おはよう。」
上機嫌に応じた山科さんは、私の前を歩きだした。
玄関先には、兄たちを見送っていたであろう母が立っていた。
こちらに気付いた母が、声をかけてくる。
「あら、志之さん。お出かけ?」
「おはようございます、お母さん。学校に行ってきます」
「そう…山科さんもご一緒なのね?」
冷ややかな目を向ける母を、山科さんが迎え撃つ。
「志之さんを送ってあげるんです」
母の眉がピクリと動いた。
母が毒を吐く前兆だ。
「あらあら…そうなの。志之さん、高校生にもなって、相変わらず お か あ さ ま に世話を焼いてもらって居るのね、恥ずかしい。」
「ひどいわ、奥さま。どうしてそう志之さんを邪険になさるんです」
「行ってきます」
山科さんが母に喰ってかかったタイミングで、ふたりを振り払って玄関を出た。
「まって、志之ちゃん!」
山科さんの声が追ってくるので、駆け足になる。
ちょうど停車しているバスに飛び乗った。
思わず「出してください」と叫びそうになったが、ぐっとこらえて周りを見渡す。
先客が、迷惑そうにこちらを見ている。
マナー違反をしたのだから、当然だろう。
私は目を伏せて、空いたスペースに身をすべり込ませ縮こまった。
母から度々言われる「恥ずかしい」が胸の奥に蟠って締め付けてくる。
この不快感をやり過ごすために、私はいつも、身動きが取れなくなる。
**
気付けば朝礼が終わっていた。
いつのまにかクラスメイトが皆いなくなっていた。
「マサキくんや、一限目は音楽室だぜ」
そう声をかけてきたのは、後ろの席のムネチカくんだ。
大柄で背が高く、端正な男顔をした彼女は、学院内では「王子様」と持て囃されている。
彼女が目の前に立つと、制服の胸ポケットにピンで留められたプラスチックの名札が目に入った。
白いプレートに、やわらかい印象のゴシック体で、棟近 操と掘り込まれている。
「ああ…ありがとう。うっかりしていた」
「気分が悪いのなら先生にそう伝えておくから、保健室で休んだらどうだ?」
「いや…、大丈夫。行くよ」
「なら、一緒に行こう。」
ムネチカくんは泰然として笑った。
彼女とは話がしやすい。
ここの少女たちの興味関心になかなか同調できない私にとっては、稀少な存在だ。
「生徒会は、どうだい」
並んで歩くムネチカくんが、穏やかに聴いてくる。
「タケオさんが一人で回しているみたいだ」
「ははは、そうか」
「どんな人なの」
「ん?」
「タケオさん」
「ああ…タケオさんは、凄い人だよ」
ムネチカくんはタケオさんについて抽象的な評価をし、この学院の来歴について教えてくれた。
「凛音がこの校舎に移ったのは、二年前なんだ。」
それまで凛音は、この山の頂上にある勒堂学園の「女子高等部」だったらしい。
当時の生徒会長が、学園の方針に異を唱え、同志を募って独立宣言をしてできたのが、この女学院なのだとか。
「タケオさんは、ハヤト会長…その時の会長の、右腕っていうのかな。学院設立のための
事務的な手続きは、ほとんどをタケオさんが担ってたみたいなんだ」
「へえ…」
「おっと、ここだ、ここ。」
音楽室を通り過ぎるところだったようだ。
ムネチカくんと一緒にたたらを踏んで、ひとまず話はそれぎりになった。
「じゃあ、また」
「ああ」
私たちはそう言って別れ、それぞれの所定の席に着いた。