07.疑り深い彼女
「――おはっ!? おはよっ、ござっ、ますぅ……」
萩月は遼の声を聞いた途端に硬直して、ゴトンとじょうろを取り落とした。
いくらなんでも僕のときと反応が違いすぎませんかね……?
「朝から二人一緒なんて仲がいいな」
僕たちを交互に見て、遼はおだやかに笑う。
そこにはちょっとしたからかいの色があるものの、嫉妬めいた粘っこい感情はない。
「べ、別に仲良くなんて、ないです……」
萩月は下を向いてぼそぼそと言う。
「なるほどツンデレか」
遼がわざとらしくうなずいて応じる。
「えっ、あたし、そんなツンツンしてますか?」
「とりあえずデレデレしてるのは見たことないね」
僕が口をはさむと、萩月の目つきが鋭くなる。
「余計なこと言わないでください」
「ちょ、目が怖いって」
「そうさせたのは誰ですか」
そんな言い合いの横で、少し乾いた笑い声。
「ははは、息合ってるな。……教室じゃぜんぜん気づかなかった」
遼のつぶやきに、萩月は気まずそうに目を逸らした。
すごいな遼、完璧な傷心男の演技だ。演技じゃないのかもしれないが。
「……その、あれだ、昨日のことは置いといて、今までどおりに接してくれるとうれしい」
「あ、はい、それはもちろんです……」
「ん。じゃ、先行ってるからな。イチャつき過ぎて遅刻するなよ」
返事に困る冗談を残して、遼はさわやかに去っていった。
その姿が校舎内に消えるのを見届けてから、萩月はその場にしゃがみ込む。
「……はぁ、びっくりした……」
僕といるときとは大違いの緊張っぷりである。告白を断ったとはいえ、遼のことはそれなりに意識しているらしい。
「振られたショックも癒えてないだろうに、振った相手に気を使わせないよう、いつもどおりの態度を保ってみせる……、実に男前な態度だね」
さりげなく遼をアゲてみるが、萩月の反応は素っ気ない。
しゃがんだまま不審げなジト目でこちらを見上げてくる。
「そうですか? 彼氏と一緒のところに声をかけてくるのって、けっこう挑発的だと思うんですけど。寝取る気満々、自信ありって感じがします」
なるほど。僕と遼が裏でつながっていることを知らないと、そういう発想になってしまうのか。
「精一杯の勇気なんだよ、それか手段を選ぶ余裕がないくらい必死なのかも」
とさらにフォローしてみても、疑わしげな表情は変わらない。
「そもそもショックなんて受けてないのかもしれませんよ」
「まーたそんなネガティブ発言を」
「……式守君は、一夜漬けで受けたテストの点が悪かったら、どう思いますか?」
急に話が変わって、戸惑いつつ返事を考える。
「テスト? まあ、一夜漬けなら点が悪くても仕方ないって思うかな」
「じゃあ、日ごろから予習復習を重ねていた得意科目の点が悪かったら?」
「そりゃ落ち込むだろうね。今までの努力が実らなかったわけだし」
「告白の返事も似たようなものだと思うんです。軽い気持ちなのか、それとも本気だったのか。想いの強さ次第で、振られたときのショックもぜんぜん違うものになる」
「それは……」
ゆっくりと、萩月の言いたいことが染み込んでくる。
「つまり、軽い気持ちでの告白だから、遼はたいしてショックを受けてないって、そう言いたいわけ?」
「……さっきの天原君は、あまり落ち込んでいるようには見えませんでした。そういう風に装ってるっていうのはわかりますよ? でも、その装うっていうこと自体、あるていど気持ちに余裕がないとできないと思うんです」
◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなことはなかった。
萩月は天原遼の〝明るく振る舞う〟技術の高さを甘く見ていた。
「なあ恭治、俺はちゃんと普通にできてたか? 手足とか震えてなかったか? 情けない顔してなかったか?」
休み時間になると廊下へ出て二人で反省会である。
「大丈夫だったよ、すごく平然としてた。普段どおりすぎて、やっぱりあの告白は遊びだったんじゃないかって萩月が疑ってたくらいだ」
「いや、それはそれで困るんだが……」
「心配しなくても、遼が来たときの動揺っぷりはすごかったし、相当意識してるのは間違いないって。告白が効いてる証拠だよ」
「振られたのにか?」
「恋は振られてからが本番って言うじゃないか」
「初耳だが」
「一度否定されることでその想いが本物かどうかが試されるんだよ」
「なるほど、深いな」
非モテである僕の適当なアドバイスに、激モテのはずの遼が深々と頷いている。そういえば遼は女子に人気があるが、特定の相手と付き合っていた話は聞いたことがない。
「遼はまだはっきり萩月が好きだし、萩月だって実はまんざらじゃない。となると、ちょっとしたきっかけで二人の距離は縮まるはずだよ」
「きっかけか……」
遼は難しい顔でつぶやく。
ベタなラブコメならば、僕が嫌がる萩月に無理矢理ゲスいことをやろうとしたタイミングで遼が颯爽と助けに入る、などのイベントを発生させる手があるが、それはリスクが高すぎる。
「まあ、引き続き探りを入れてみるよ。萩月の好みとか、悩みとか、そういうのがわかれば取っ掛かりになるかもだからね」
「おお、頼むぜ」
「まずは昼休みに話をしてみる」
「昼休み……、二人きりでランチデートなのか……」
遼はうらやましそうにため息をつく。
しかし、そのイメージは的外れだ。
萩月と二人きりでいて、そんな甘い雰囲気になることは絶対にないと断言しておこう。