06.早朝の彼女
ドン引きの遼をなんとか説得した、その翌朝。
僕はいつもより三十分以上も早くに登校していた。
遼が昨日言っていた、萩月の善行について確かめるためだ。
結論から言うと、遼の言葉は事実だった。
まだ生徒の姿もまばらな早朝のグラウンド。
教室に上がるまでもなく、校舎のそばで萩月を見つけた。
花壇の前でしゃがみ込んで、地面をごそごそといじっている。草むしりだろうか。
「おはよう」
近寄って声をかけると、萩月の全身がビクリと震えた。
「……嘘でしょ」
萩月は肩越しにこちらを向いて、しかめっ面でつぶやく。
「あっ、敬語じゃない」
「心の距離が縮まったことを示すための、ありがちな変化じゃないですか」
と言うわりには即座に敬語に戻っている。
心の距離は縮まっていませんよと、遠回しにアピールされていた。
昨日の控えめな雰囲気はどこへ行ったのだろう。
陰キャは陰キャでも、オドオド小動物系ではなく、淡々腹黒系だったのかもしれない。
キャラ属性については今後も調査が必要だな。
「朝早いんだね」
「式守君こそ、こんなに早く来るのって初めてですよね」
「そりゃあもう彼女ができたうれしさで夜も眠れず――」
「……まさか、天原君から聞いたんですか」
萩月はジト目で僕の冗談をさえぎった。なかなか察しがいい。
僕は隣にしゃがみ込むと、草むしりの手伝いをしつつ話を続ける。
「自分の彼女が何をしているのか把握しておかないと、口裏を合わすこともできないし」
ニセ彼氏としての建前を述べると、萩月はため息をついた。
「どうも、設定に付き合ってもらってありがとうございます」
感謝のセリフのはずなのにまるで気持ちがこもっていない。
それからしばらく、僕たちは草むしりをしながら言葉を交わした。
「いつもこれくらいの時間に来て、教室の掃除なんかもしてるなんて、全然気づかなかった」
「気づかれないようにしてたので」
「わかる、良いことをするのって気恥ずかしいよね」
「目立ちたくないんですよ」
「萩月はやっぱり良い人だね」
「なんですか、それ」
「目立ちたくないけど良いことはしたい。それを両立するために生徒の少ない早朝に登校するっていうのは、やっぱり良い人の発想だと思うよ」
持ち上げすぎかなと思いつつも本心を語ると、萩月の手が止まった。
隣を見ると、萩月はじっと花壇を睨みつけている。
「萩月?」
「……これは善行なんかじゃないです」
そうつぶいたのを合図に、ぶちぶちぶち、とヤケクソ気味に雑草を引き抜き始める。
善行でないなら何なのか。
さらに尋ねるのを拒絶するような雰囲気だった。
代わりに僕はアドバイスを送る。
「雑草はもっとていねいに抜かないと、根っこが残って、またすぐ生えてくるよ」
「詳しいんですね、まるで雑草博士だ」
「雑草という名前の草はないんだよ」
「でも雑草という言葉はなくならないと思います。雑多な草――モブ、その他大勢という意味で使える便利な言葉ですよ」
萩月は投げやりに言う。
その視線の先には、花壇の中央で咲き誇っている一輪の花が。
「草花に自分を重ね合わせるなんて、なかなか繊細なところがある」
ぽつりとつぶやくと、萩月はからくり人形みたいに首だけをこちらに向けた。
「昨日も思ったんですけど、式守君ってけっこう無遠慮ですよね」
「彼氏彼女の間に遠慮なんて」
「親しき中にも礼儀ありって言いますよ」
「じゃあ僕らはそういう関係性で?」
「はい、よろしくお願いします」
草むしりを終えると、次いで萩月はじょうろで水やりを始めた。
「萩月がそこまでしなくてもいいんじゃないの」
「これは園芸部員としての仕事なので」
「え? そうなの? 萩月って園芸部だったんだ」
てっきり花壇の世話も善行のひとつかと思っていた。
「当然です。部外者が勝手にこんなことしてたら、不真面目な園芸部員への当てつけだと思われちゃうじゃないですか。陰キャのくせに生意気だって」
「考えすぎだよ。園芸部員って、もっとこう……、自然を愛するおだやかな人々ってイメージがあるんだけど」
「確かに園芸部員って自然に親しんでる人たちかもしれませんね。でもそれって環境保護団体みたいなものだと思いませんか? 環境保護団体は過激なんですから。自然を守るためならば文明を破壊することも辞さない危険思想者の集団。園芸部員はその予備軍ですよ」
極端すぎる持論にどこから突っ込めばいいのか戸惑っていると、
「おはよう萩月、今日も早いな」
さわやかな早朝にふさわしい声が後ろから聞こえた。
振り返らなくてもわかるがそこにいたのは天原遼だった。
昨日、萩月に振られたことになっている男だ。
重要なポイントである。
ここでの反応によって、萩月の好感度を見極める。
そのために朝練をサボらせてまで遼を呼びつけたのだ。
振った女と振られた男。
ひと晩明けた二人の気持ちに、果たして変化はあったのだろうか。